明日から司法試験ですね。
この時期になると人生の成功に運がかなり左右すると思い出します。
私が合格したときは、本当に自分が得意な分野(早すぎた構成要件の実現、文書偽造、動物占有者の責任)や、たまたま興味を持っていたマイナーな分野(口述の国外犯規定)が出て前年G判定(最低評価)が上位合格できました。
でも一問でも出題がずれたら、うっかりがあったらと思うと、あれは本当に一定の実力ある人が運で選ばれる試験だったと思います。
試験だけでなく、恩師の今井教授が誰も唱えていない自説にお墨付きをくれて励ましてくれたり、融通聞かせてくれたバイトだったり受験生活を支えてくれた周りの人に恵まれた運の要素があったとこの時期は良く振り返ります。
司法試験8回落ちた方の記事を見ましたが、彼は私の可能性の一部だったと思います。
彼の記事を見て感じましたが、成功者はもちろん努力もしていますが、それを全部実力と評価し、社会的、経済的成功を独占する社会は、自分の可能性(自分も失敗する可能性があった。ある意味並行世界に存在する自分)を切り捨てる社会だし、成功さえあれば良い。成功しなければならないとなり、人心の調和が失われる社会なんじゃないでしょうか。
成功できなかった者、事故で障害を負った方などに、自分もそうなる可能性があった。そうなっても安心出来る社会にしよう。という気持ちを持ちつづけたいものです。
司法試験に8回落ちても、その後の彼の人生が良い運に恵まれること、成功出来たものには十分だが自分の人生で使い切る程度の経済と十分な名声を、成功出来なかったとしてもまあまあの経済と誠実な人として評価される可能性がある世の中の実現を祈りながら、明日から受験者が力を出し切れることを祈ります。