太田弁護士が愛知は擁護しつつ赤十字の萌え絵起用は批判して炎上しつつあります。
セクハラ論争は置いといて、このことから気づかされるのは、自分が本当に表現の自由を守る立場を矛盾なく取れるかは、自分が最も唾棄する表現に対しても表現自体は許す。ただ批判はする。しかし表現する自由は守る。という態度を貫けるかどうかで試されると思います。
同じようなことをグッディで質問を受けた時にも思ったことがあります。
有罪濃厚な案件で、しかも酷い犯罪の裁判について「これ裁判やる意味あるんですか。遺族が傷つけられるだけじゃないですか」という質問を受けました。
たしかにその通りで、私も自分の心の中に問答無用で斬り捨てたい気持ちがあることは否定しません。しかし、私たちが魔女狩りをしない人間かは、魔女を目の前にしても手続きを守れるかによって試されている。と考え、そう回答をしました。
人間は好き嫌いから逃れられない。不合理な判断をすることもある。逆に意味があるのか疑問になる手続きも実際にある。しかし今までの叡知の結果、少なくとも現在は人間が神の能力を持たないことを前提に、実態よりも手続きを優先する。ただ、それが正義なのではなく致し方無くしている。という理解が必要なのではないでしょうか。
太田先生は非常に熱意のあるところ、臆せず発信する胆力が素晴らしいと思います。ただ、自分も含めてあるべき論に傾きすぎてはないかな?自分も、誰しも、ときには不合理と言われる好き嫌いを持っていることを認めて許してあげれば自分の意見が正しいと肩肘張らずにうまくやれるだろうになと感じました。