ZOZOタウンの前澤さんが心臓移植を支援したことについて医師の立場からネガティブな評論があり、議論を呼んでます。
この記事自体は初めて知る情報や視点があり、そして何よりも臓器移植する、しない、の意思表示が大切だと気づかしてくれた良ブログなので必見です。
この問題を見て普段コメンテーターとして話すときに考えていることにも通じることを考えました。
私はこう考えます。
1世界という規模での、国という単位を前提とした全体的な正しさ、は多分この医師のいうとおり。ただ、臓器移植における公平とはなんだろう?緊急性?生存率?国の範囲内に限られた助け合い?お金で解決?
2個人というレベルで、世界の正しさなんか無関係に我が子の為に何でもしたいという親の気持ちも、人間の特性として正しい。イスタンブール宣言だろうが何だろうが、子供が救えるなら世界中から非難されても子供を守りたいという感情は否定されなくて良い。
3前澤さんが全体的な正しさを知っていても知らなくても、目の前の、しかも同じ国に住んで文化を共有する仲間を救いたい。皆んなにも協力を求める行動も、人間の特性として正しい。その感情も否定されなくて良い。
4個人が最適な行動をとっても全体が最適になるわけではない。だから、個人が個人レベルで最適な行動をとったら、それが自然に全体の最適につながる仕組みを作るのが政治家の役割。
5政策を作るときに想定すべきは、あるべき人間ではなく、あるがままの人間。どうすれば?例えば将来臓器提供する意思表示を新たにした人を沢山登録させたら順位上がる?いや登録したけど拒否する場合は?池江選手の件でそんな話聞いた。人気投票で良いのか?そもそも他人から大切に思われるというとこに価値を認めることは良いことじゃないか?
6今回の話は、ご家族や前澤さんが正しいのか、医師が正しいのかの話ではなく(そもそもどちらかが正しいという議題は少ない)、ご家族や前澤さんの好意を全体の利益に出来ていない仕組みの不完全さの問題。それに気づかせてくれた医師には感謝
7じゃあ、この後どうするか、仕組みを作る方向性は政治家の役割、具体的な形にするのは官僚の役割。しかし、移植意思を表明する率が低いとされる日本で、現状を続けるのか、一歩踏み出すのか、どういう価値観を優先するかを決断して示すのは主権者たる我々の権利でもあるが義務じゃないか。
8だからどちらが正しいかとかどちらかを叩いて事件をある意味消費して終わらせるのではなく、するしないどちらにせよ移植についての意思表示はせめてして欲しいし、家族に話すくらいはして欲しい。それが、移植出来ずに失われた命へのせめてもの礼儀じゃないか。
こんな風に、事件や話題から、現状が少しでも変わるか、現状が正しいんだと確認する考え方もあるんじゃないか、それに気づいて欲しいと考えながらコメントしています。
生放送の尺ではなかなか伝わらないですが、こんなこと考えながら出てます。
今週も木曜日グッディ出演します。