1 テレビでコメントする際に私が考えていることを少しづつ書いていきたいと思います。今回は2回目です。
私がコメントする際の基本的な考え方は、客観的な事実の見極め→なぜこんなことが起こったかの解明(人間の弱さを前提にする。どっちが正しいかとは無関係に考える)→どうやったら再発防止できるか(当事者の異常性に逃げない)ということです。
今回は、その中で、なぜこんなことが起こったかの解明(人間の弱さを前提にする。どっちが正しいかとは無関係に考える)と再発防止について書きます。
第1回目はこちら
https://lineblog.me/tamurahayato/archives/9353656.html
2 何の為の情報番組か?
世の中の悲しい事件や衝撃的な事件を、ときには報道される方のプライバシーを開示してまで報道することが許される理由は、「広く人に今起きていることを知ってもらう為」で、知ってもらうことがなぜ必要かというと「知ることで二度と起こさないように、起こす可能性を下げるように考える資料を提供する」からだと考えます。
よって、単に事件の登場人物を叩いたり、面白がるのではなく、見ていただく方に「考える資料を提供する」ことが情報番組の存在意義です。
そして、「考える資料を提供する」と言える為には、単に情報を提供するだけではなく、出演者がそれぞれの専門的な立場や、人生経験から咀嚼して伝えることで視聴者に気づきを与えられることが求められていると思います。そこに「コメンテーター」の意味があるんじゃないでしょうか。
3 人間の弱さを前提にする(事件はほとんど「普通の人間」が起こしている)
なぜこんなことが起きたのかを考える際に必要なことは、人間の弱さを前提にする、言い換えれば、人間を完全なものと捉えず、あるがままの人間を前提に考えるということだと思います。
よく事件が起きるたび、「こんな事件を起こすなんて考えられない」「犯人は異常だ」「誰が悪いから懲らしめてやればいいんだ」という意見を耳にしますが、悪い人を排除して解決すれば話は楽ですが、排除しても同じような事件がまた起きているのですから、犯人や登場人物の異常性や悪質性といった特別な事情で事件が起きたと安心したい気持ちはわかりますが、そこが本質的な原因ではないはずです。
犯人や悪い人を擁護する意図は無いですが、人間が生来的に持っている弱さ、ズルさ、認識の甘さ、登場人物の生育環境や当時の社会的・心理的状況から、なぜ「普通の人間」の範囲内であった人が事件を起こしたのかということを考えなければならないと思います。
それで初めて「二度と起こさない為にはどうしたら良いか」が見えてくるはずです。
「犯人が異常だった、異常な奴はけしからん。死刑にすれば良い。」では再発は防げません。もちろん罰は与えるべきですが。
普通の範囲の人間が、なぜ異常な行動に至ったのか、そこに落ち込ませない為には社会の仕組みをどうするのか、最後の最後何があれば事件を防ぐことができたか。そういったことを判断する情報を提供し、コメントすることが出来るように毎回考えています。
4 加害者を生まない社会構造を考えるきっかけに
例えば、社会的に疎外感を強めた結果自暴自棄になって事件を起こした犯人がいたとする場合、その悪質性によっては死刑ももちろんあり得ますが、二度と起こさない為には、犯人がなぜ起こしたのかを知り、疎外感を持たせない為にはどうしたら良いか、疎外感を持たせない為に社会に負担がかかるとしても、事件が起きるよりは良いと考えられる負担か、ということを考えるべきだと思います。
5 被害者を救える社会構造を考えるきっかけに
また、加害者だけでなく、被害者となった人に対しても、なぜ被害者となる状況になってしまったのか、社会全体でもっと前に救えなかったかという考察も必要だと思います。
私が今でも印象に残っている事件が「座間九遺体事件」で、自殺希望の女性が、SNSで一緒に死のうと呼びかけた男性に殺害された事件です。私は、犯人の異常性に驚いたという感想を言うだけでなく、「自殺したいと思うまで追い詰められた女性が社会にいて、それでも死の直前に誰かと一緒にいたいと願ったら悪人だったという方が短期間に8人もいた社会」「自殺したい人を救えなかった社会」について改善することを考えないと、単に犯人の異常性や悪辣性ばかり叩いて、私たちの社会の問題点を改善するきっかけにならないんじゃないかとコメントしたことを覚えています。
長くなったので「どちらが悪いかで考えない」はまた次回に。
私がコメントする際の基本的な考え方は、客観的な事実の見極め→なぜこんなことが起こったかの解明(人間の弱さを前提にする。どっちが正しいかとは無関係に考える)→どうやったら再発防止できるか(当事者の異常性に逃げない)ということです。
今回は、その中で、なぜこんなことが起こったかの解明(人間の弱さを前提にする。どっちが正しいかとは無関係に考える)と再発防止について書きます。
第1回目はこちら
https://lineblog.me/tamurahayato/archives/9353656.html
2 何の為の情報番組か?
世の中の悲しい事件や衝撃的な事件を、ときには報道される方のプライバシーを開示してまで報道することが許される理由は、「広く人に今起きていることを知ってもらう為」で、知ってもらうことがなぜ必要かというと「知ることで二度と起こさないように、起こす可能性を下げるように考える資料を提供する」からだと考えます。
よって、単に事件の登場人物を叩いたり、面白がるのではなく、見ていただく方に「考える資料を提供する」ことが情報番組の存在意義です。
そして、「考える資料を提供する」と言える為には、単に情報を提供するだけではなく、出演者がそれぞれの専門的な立場や、人生経験から咀嚼して伝えることで視聴者に気づきを与えられることが求められていると思います。そこに「コメンテーター」の意味があるんじゃないでしょうか。
3 人間の弱さを前提にする(事件はほとんど「普通の人間」が起こしている)
なぜこんなことが起きたのかを考える際に必要なことは、人間の弱さを前提にする、言い換えれば、人間を完全なものと捉えず、あるがままの人間を前提に考えるということだと思います。
よく事件が起きるたび、「こんな事件を起こすなんて考えられない」「犯人は異常だ」「誰が悪いから懲らしめてやればいいんだ」という意見を耳にしますが、悪い人を排除して解決すれば話は楽ですが、排除しても同じような事件がまた起きているのですから、犯人や登場人物の異常性や悪質性といった特別な事情で事件が起きたと安心したい気持ちはわかりますが、そこが本質的な原因ではないはずです。
犯人や悪い人を擁護する意図は無いですが、人間が生来的に持っている弱さ、ズルさ、認識の甘さ、登場人物の生育環境や当時の社会的・心理的状況から、なぜ「普通の人間」の範囲内であった人が事件を起こしたのかということを考えなければならないと思います。
それで初めて「二度と起こさない為にはどうしたら良いか」が見えてくるはずです。
「犯人が異常だった、異常な奴はけしからん。死刑にすれば良い。」では再発は防げません。もちろん罰は与えるべきですが。
普通の範囲の人間が、なぜ異常な行動に至ったのか、そこに落ち込ませない為には社会の仕組みをどうするのか、最後の最後何があれば事件を防ぐことができたか。そういったことを判断する情報を提供し、コメントすることが出来るように毎回考えています。
4 加害者を生まない社会構造を考えるきっかけに
例えば、社会的に疎外感を強めた結果自暴自棄になって事件を起こした犯人がいたとする場合、その悪質性によっては死刑ももちろんあり得ますが、二度と起こさない為には、犯人がなぜ起こしたのかを知り、疎外感を持たせない為にはどうしたら良いか、疎外感を持たせない為に社会に負担がかかるとしても、事件が起きるよりは良いと考えられる負担か、ということを考えるべきだと思います。
5 被害者を救える社会構造を考えるきっかけに
また、加害者だけでなく、被害者となった人に対しても、なぜ被害者となる状況になってしまったのか、社会全体でもっと前に救えなかったかという考察も必要だと思います。
私が今でも印象に残っている事件が「座間九遺体事件」で、自殺希望の女性が、SNSで一緒に死のうと呼びかけた男性に殺害された事件です。私は、犯人の異常性に驚いたという感想を言うだけでなく、「自殺したいと思うまで追い詰められた女性が社会にいて、それでも死の直前に誰かと一緒にいたいと願ったら悪人だったという方が短期間に8人もいた社会」「自殺したい人を救えなかった社会」について改善することを考えないと、単に犯人の異常性や悪辣性ばかり叩いて、私たちの社会の問題点を改善するきっかけにならないんじゃないかとコメントしたことを覚えています。
長くなったので「どちらが悪いかで考えない」はまた次回に。