南青山の児童福祉施設の件でオセロ松嶋さんが
「
もしも自分のところに来るとなったら、引っ越しをする可能性はあります。あまり知識がなくて分からないから、例えば親に暴行されてキーッとなった子が外に飛び出して、暴力振るったり、喝上げしたりするかもしれないという変な心配があったりもする」
と発言してバッシングされています。
しかし、意見の対立があってもバッシングするのではなく、お互い理解し合えるように対話を求めるという方向で解決するべきではないでしょうか。
バッシングしても自分の怒りを解消するだけで意見の違う者同士の溝は深まるばかりです。
話し合いの結果分かり合えないこともあるでしょうが、お互い譲れない根本的な対立点が明らかになるだけでも、それぞれの価値観が明らかになって有益なのではないでしょうか。
また、「最も信頼できる考えは、最も痛烈な批判にさらされて耐えた考え」です
南青山の児童福祉施設の内容について松嶋さんも「あまり知識がなくてわからない」とおっしゃられていることはとても大切なポイントで、人間は「わからないから怖い」という感情を持つことは当然です。
人間の素直な感情を勇気を持って話してくれた松嶋さんがいるおかげで、反対派の方に理解していただける方法が一つ明らかになったと考えるべきです。
意見の対立が感情的な対立につながることは、それこそ日本社会の分断を深めることです。
まず最初の意見を明らかにし、なぜそう考えるのか、なぜ我々は違う意見なのかを明らかにしつつ、相手を批判するのではなく、相手の論理構造や価値観を理解し合う、疑問をぶつけ合うという方法を経て、解り合えるものはわかりあい、分かり合えない点については妥協点を探ったり、その時々のルールで決着をつける。しかし決着の結果が必ずしも将来にわたっても正義ではない。
このプロセスを経て少しづつ社会が進歩していくという考え方を私は持っています。
とはいえ、感情が出てしまうのは人間なので仕方ないですし、私も書きながら反省することしきりですが、感情的に松嶋さんを叩く前に、少しだけ松嶋さんがなぜそう思ったんだろうということに思いを馳せていただきたいと思います。