1 「刑事さん!私はやってないんです!」の気持ち
警察に着くと、店長、トレーナーさん、僕、おじさんの四人は全員バラバラの部屋で事情聴取を受けます。
何があったのかを聞かれるんですが、何度も何度も同じことを確認されて、おじさんはこう言っている、トレーナーさんや店長さんはこう言っていると聞かされた上で、また同じことを話します。
ジムから出る時に、「先生、これからいろいろ聞くので記憶を固めておいて下さい。忘れないようにして下さいね」と警官に言われていたんですが、その意味がやっとわかりました。
最初は自信があっても、何度も聞かれるうちに何が本当だったのかわからなくなってくるんです。
僕のロッカーをおじさんが開けていた。僕はそのロッカーの鍵を腕にはめていたんだから、他人が開けられるわけがない。
それはわかっているのに、おじさんが否認していると言われると、鍵をかけ忘れたのかもしれないとか、どんどん不安になってきてしまうんです。だから記憶を固めておく必要があるんだなと思いました。
事情聴取の内容からすると、警察は実行の着手のポイントをどこにするかで悩んでいるようでした。
ロッカーを開けたというだけでは弱いので、その一歩先の、金品を手に取ったか金品の入ったカバンを開けたというところを固めたいのでしょう。
でも僕はそこまでは見ていません。財布を手に取ったりする前に声をかけたからです。
おじさんが何をしているところまでを見たのかについては、厳密に何度も聞かれました。カバンのファスナーはいつも閉めているし、トレーニング中に一度ロッカーに戻ってカバンを開けて、また閉めた記憶があるのでそれも確かです。だからカバンは開けられていない…はずなんですが、これもまただんだん自信がなくなってきます。
深夜になっても寝ずに事情聴取を受けて、何度も何度も同じことを聞かれては答えての繰り返しをしていると、やったこともない罪を自白してしまう人の気持ちが本当の意味でわかりました。
何もしていなくても自白してしまう被疑者の気持ちがわかるような気がしました。
そうやって何度も証言をしているうちに、4時半になっていました。
帰り際、警官に「事件化しないんじゃないかと思っていましたが、被害者が弁護士さんということで証言が揺るがなさそうだからやるとキャップが言っていました。よろしくお願いします」と言われました。
僕も物証はないし窃盗未遂だから警察はこれ以上何もしないのではと思っていましたが、どうも違うようです。
そしてようやく家に帰ることができました。
実はその日はグッディの生放送で、後から画像見ると寝不足で顔が真っ白でした。
2 おじさんはやってた
翌日か翌々日に警察から電話が来ました。
おじさんは窃盗の常習犯で、刑務所から出てきたばかりだったそうです。
これは弁護士という立場してを離れたて一人としての人間の正直な感想ですが、それを聞いて僕はどこかほっとしました。自分の見たことには自信があるつもりでも、万が一の確率でも無実の人を警察に突き出してしまったんじゃという不安がずっとあったからです。変な話かもしれませんが、前科がある人だったと聞いて、自分の見たことが本当だったとやっと安心できた気がしたんです。
あと気になっていたのは、おじさんはどうやって鍵を手に入れたのかということです。
それについては、後日検察官が犯行の手口を教えてくれました。
そのジムを利用する時は、会員証をゲートに通して入ります。そしてロッカーに会員証を差し込むと、ロッカーの鍵が回せるようになります。その鍵を腕に着けてトレーニングに行きます。
トレーニングが終わったら、鍵をまた挿してロッカーの鍵をかけると、会員証が取り出せるようになります。そして会員証でゲートを通って外に出ます。
こうなっているので、本来なら鍵はジムの外に持ち出せません。が、おじさんは何らかの方法で鍵を持ち出して、鍵屋さんに持ち込んで合鍵を作ってもらったそうです。
そしてまたジムに戻ってきて、元の鍵をロッカーに挿して返します。あとは後日改めてジムを利用しに来て、合鍵でロッカーを開けて中身を盗むというわけです。
鍵屋さんは、おじさんについて「よく来ていました」と言ったそうです。
ということは、他のジムとかスーパー銭湯とかの合鍵も作っていたんでしょう。
…でも、それってちょっとおかしくないですか?そういうところの鍵って、見ればすぐわかるじゃないですか。悪いことに利用される可能性が高いのに、それでも合鍵を作ってしまうものなのかなと思います。
でも、鍵屋さんが断っても別のお店に行ってしまったら同じなので、お店の段階でストップをかけるのは難しいんでしょうね。
3 検察官と検察事務官の微妙な関係
検察からは、おじさんが示談したがっているとも聞かされました。
示談は被害者の権利だともちろん知ってはいますが、思わず「示談とかしてもいいんですか?」と聞いてしまいました。なぜなら、僕私が示談しなければ、おじさんは刑務所に行くことが目に見えているのに、からです。それを私が示談するしたことでによって、常習性のある犯人を一人社会に出すことになってしまうからです。
検察の人は「私たちはどっちでもいいですよ」と言ってくれましたし、弁護人の方も感じが良かったのでし、おじさんがの反省してくれることに期待してにかけてたので、示談することにしました。
検察官は本当に親切で、「被害者の人は事件の処分結果や犯人の身柄の状況がどうなっているのかを通知してもらうことができますよ」と教えてくれました。
この通知制度を利用するには書類を提出するんですが、検察官が事務官に「通知の書類どこ?」と聞いたら、事務官が「通知の書類って何ですか?」(お前余計なこと言って仕事増やすなよ)」みたいな感じで何だか横柄な態度を取っていたのがいまだに印象に残ってます。
もちろん事務官が全員そうではないと思いますが、事務官が検察官にそういう態度を取るのってちょっと意外で、え、そういう関係なんだって思いますよね。被害者になってみて刑事弁護手続きをの裏側から見ることが出来て新鮮でした。
そういうことがあって、僕はおじさんと示談しました。
こうして事件は終わりました。
事件のあった時からアフターケアまで、ジムの対応はすごくよかったです。
自分がおじさんを捕まえたことで面倒を起こしてしまったんじゃと気にしていたんですが、そんなことはありませんと言ってもらえてすごく気が楽になりました。その後ジムには菓子折りをもって挨拶に行きました。
4 みんな気づかないうちに盗まれているかも
こういった場所のロッカーの鍵を複製して持ってる人がいるらしいということは知識としては知っていましたが、自分が使っているロッカーが開けられるまではやっぱり実感が湧きませんでした。しかもおじさんはあれだけ体を鍛えているところを見ると、たまたま外部から侵入してきたわけでなく、ちゃんとジムに通ってる人なんですよね。
検察から聞いた手口によると、彼らは現金しか盗まないそうです。しかも財布の全額を盗むのではなく、その中の一部しか盗まない。だから手持ちのお金が思ったより少なくなっていても、窃盗に遭ったとは気付かない人が多いらしいです。
でも僕はあの日6000円しか持ってなかったんですよね。しかも5000円札と1000円札が一枚ずつ。だから気付かれないような盗み方はできなかったんじゃないかなと思います。
おじさん、とことんツイテナイ。
「弁護士だからいっぱい持ってるんでしょ?」と警察の人にいじられて「いや、6000円しか持ってないです…」って言ったときは、取調室が「シーン」となりました。
んですが、あれはちょっと恥ずかしかったです。
5 もし被害に直面したら
今回の件でわかったのは、何かの被害者になったらその場でメモを取るなどして記録を残した方がいいということです。
事情聴取をされていると、記憶があいまいになっていってどんどん自信がなくなります。メモを取ると、自分の記憶に自信が持てるようになってだいぶ違うと思います。
本当はおじさんを見つけた時に黙って動画を撮れば一番の証拠になったんでしょうけど、そんな精神的余裕はなかったですね。
あと、おじさんは常習犯だから何度も逮捕されているはずなのに、「現行犯だから逮捕する」と言ったとたんにシュンとしたのは意外ですが、とても効果があったと思います役に立ちました。ちょっと面白かったです。
逮捕された経験があるからこそ、逮捕という言葉に敏感になったんでしょうか。
その時は必死な気持ちでそう言ったんですが、もし僕の見間違いなら違法逮捕になってしまうという怖さも同時に感じていました。もちろん私人なのでペナルティはありませんが、弁護士という立場でそんなことをしてしまったらまずいんじゃないかなと。
今振り返ってみても、自分の身にこんなことが起こるとは思わなかったというのが一番大きいです。
事件から三か月ほど経ったし、最初にも書きましたが、弁護士がこういう被害を受けるのは珍しいと思うので記録のために書き残しておこうと思いました。
何も盗まれなかったので被害はゼロでしたが、一つだけ困ったことがあるとしたら、その後しばらくジムから足が遠のいてしまって、また太ってしまったことでしょうか。
今はまたジム通いを再開してますが、ジムの人が巾着袋をくれたので、トレーニングの時はそれに貴重品を入れてしっかり自分で管理してます。
皆さんもロッカーの合鍵と、運動不足には気を付けて下さい!