今日は直撃ライブグッディで寝屋川の殺人事件と久兵衛対ホテルオークラとの件でコーナーゲストとして出演しました。

 

コメンテーターではなく専門家として呼ばれると、また違った引き締まった感じがして新鮮でした。

 

□久兵衛対オークラのポイント1(裁判に限定)

久兵衛対オークラの裁判について、格式がとか違う場所でも久兵衛ならやれるとかいう意見も出ていますが、この裁判のポイントは簡単に言うと

「裁判所で交わした約束に、前と同じような良い場所を貸すことが内容になっていたか」

です。

これに対して久兵衛さんは「良い場所が約束の内容になっていた!」と主張しています。

その主張の根拠は、裁判所での和解の際に

    旧賃貸借契約が存在することを前提に

    利用条件を考慮して建て替え後も賃借し

    賃料を今までと同一とする

という約束があったのだから、ホテル内の場所の価値をも保障したものといえると主張しています。

また、わかりやすく言うと、「タワーマンション建て替えの時に今まで最上階借りていた人には建て替えても最上階借りる権利が保障されるでしょ」と言っているようなものです。

これに対してオークラさんは、「そんなことを明確に約束した文書はない」という反論をしているみたいですが、具体的な反論は今後の裁判で明らかになるでしょう

□久兵衛対オークラのポイント2(裁判外での戦い)

オークラとしては、裁判での勝ち負けとは別個に、「テナントに賃借権を認めない。」「オークラと争ったらどうなるか他のテナントに示す」という狙いがあるように思えます。

根拠は、訴状によると久兵衛に対して裁判所の判断が明らかになるまで賃借権を認めなかったこと、新しく入る「かねさか」には業務委託という形式で契約していることです。

ホテル経営を考えるとテナントに賃借権を認めると売り上げが下がった場合にテナントの入れ替えをできなかったり、自由にテナント構成を変更してホテルの全体的なプロデュースを出来ないことは悩みでしょうが、定期借家等で対応するのが法律上の建前でしょうね。

オークラとしては、この裁判で仮に負けたとしても、ホテル経営全体を考えて動いているという部分があるように感じます。

 

□放送中に感じたこと

寝屋川の事件の件で高橋克実さんが死者に口なしだと涙ぐまれている時がありました(視聴者には伝わらなかったかも知れませんが、私の場所からは目が潤んでいて赤くなっているのが見えました)。お子さんがいらっしゃるので感情が現れたのだと思います。そのような方の感情も汲み取りながら、しかし必要な手続きだということをうまく説明出来ればなと考えました。

久兵衛の事件、ヨネスケ師匠なら「新しく入る「かねさか」だって、師匠ともめているの知ってるなら、「師匠にお話通してからでないと入れませんって言うのが筋でしょう。落語会でこんなことしたらいられませんよ!」っておっしゃるんじゃないかなーともし木曜日久兵衛の話が出来ていたらまた違った視点からのヨネスケ師匠のお話が聞けたんじゃないかなと考えていました。

1 グッディレギュラー1年が経ちました
 グッディレギュラーのお話をいただいてから早いもので1年となりました。
 テレビでコメントする際に私が考えていることを少しづつ書いていきたいと思います。
 私がコメントする際の基本的な考え方は、客観的な事実の見極め→なぜこんなことが起こったかの解明(人間の弱さを前提にする。どっちが正しいかとは無関係に考える)→どうやったら再発防止できるか(当事者の異常性に逃げない)ということです。
 
2 客観的に見ることの重要性
 まずは、客観的に見ることの重要性です
 誰しも事実の上に評価があるのだから当然だし自分は客観的に見られていると考えているかも知れませんが、難しいことです。
  なぜなら、人間はどうしても「自分が見たいものを見ようとする」生き物です。
 また、ある実験では、被験者に「今からモニターを見てバスケットボールのパスの回数を数えていて」と指示すると、 同じモニターに映ったゴリラの着ぐるみが横切ることに気づかない人間が半数いるそうです。
 様々な問題が起き、AとBとが対立しているときに、瞬間的な感情でどちらかに味方しようと考え、味方に有利に物を見ようとするのが人間です。
 よって、まずは自分の心にブレーキをかけて、客観的な事実は何か、を見極める必要があります。
 
3 客観的な事実の確認方法
とはいえ、報道されている事実だけでは客観的な事実を見極めることは難しいです。
なので私が一応の基準にしているのは以下のようなことです。
①当事者双方が(評価は異なるとはいえ)示している事実が一致している時には事実に近いと取り扱う
②その事実が自らに不利益な内容の人間が話している事実は、不利益部分は事実に近いと取り扱う
③嘘であった場合メリットに比して多大なリスクを負う場合(医師の診断内容や、メリットがない第三者の発言)についても事実に近いと取り扱う。逆に利害関係がある第三者の発言は意図して排除する。
④当事者双方が、自らの正当性を裏付ける事実として主張している事実や、有利な事実はすぐには信じない
⑤①〜④について、人間の認知機能の限界を考慮して評価部分(大きいとかいっぱいとか)は排除する
⑥事実にちかいパーツを集めて、矛盾ないストーリーになるためにはどんなパーツが欠けているかを考える。ストーリーは複数あるはずなので、せめてAに有利、Bに有利、どちらでもないを想定し、可能性は低いが意外な内容も想定する
⑦⑥を記憶しながら新しい事実をあてはめていき、自然なストーリーを考える。
⑧①〜④で事実に近いと取り扱った事実の1つを外したら自然なストーリーとなる場合がないかを考える。
です。
 例えば、体操協会の塚原VS宮川選手の事件では、
①速水コーチの暴力はあった、
②塚原氏が宮川選手を呼び出して速水コーチとの関係を切るように言ったことは認めている
③暴力内容についての第三者の発言は真実だと思う。池谷さんの塚原氏への発言内容は、過去に因縁があったそうなので意図して排除する。入れるとしても、「池谷さんに嫌われている塚原氏(どっちが悪いとか理由はまだわからない)」という評価を入れない事実の部分しか入れない
④宮川選手の「私と速水コーチとを切り離して塚原氏のクラブに入れるため、速水コーチを処分した」という部分は、塚原氏から発せられた言葉を宮川選手が評価したものなので⑤でもあるし、正当性を裏付ける決定的な部分なので一旦保留ということを最初に考えました。
 これを考える際に、若い女の子が勇気を出して記者会見したんだから真実に違いない!と感情を揺り動かされるのはわかるのですが(そしてジャーナリズムに長年いらっしゃる方からもそのような発言があるのでそう考えるのも理解できますが)、人間にあるバイアスを排除するため、その部分は自分の脳内から排除して考えます。誰が言っているからに左右されると、結局どちらかの言っていることが不自然であっても引っ張られる危険性もあります。
 塚原氏の「全部嘘だ!」という発言も、全部嘘ではない→だから塚原氏は全部信じられない、ではなく、マスコミの取材を突然受けて追求された際に「全部嘘だ」と言ってしまう方(そしてそれは正解ではないが人間にありがちな態度)という認識しかしない。そして新しい事実をどんどん入れて行って自然なストーリーの可能性を考える。
 こうやって書いていると、裁判で真実がどこにあるかを見極める場合に似ていますね。事務所の弁護士にも読んで欲しい。。

4 社会に起きた不幸な出来事を無駄にしない
 客観的な事実を確認する前にどちらかに偏った見方をすることは、たとえ結果的に自分の考えと事実とが一致していたとしても「たまたま当たった」だけであって、物事の本質を知ろうとし、その結果慎重に判断するという経験を積めず、次また「たまたま当たる」ことに賭けることになります。
 社会で誰かが不幸になってしまった事件が起きているのですから、不幸になってしまった方の不幸が無駄にならないためにも、せめて客観的に物を見て、次同じことが起きないようにどうしたら良いかを考えるべきで、その気づきを皆様に提供できたらテレビに出ている意味があるんじゃないかと思っていつも考えています。 

藤田ニコルさんが、自身も過去にハロウィンで仮装していたら痴漢被害に遭ったことについて、自分にも責任があるかのように発言してバッシングにあっているそうです。
痴漢被害者に落ち度がないのはもちろんですが、被害者だったニコルさんに対してバッシングするのは間違っていて、ニコルさんには「そんなことない。痴漢が卑劣なだけで、あなたは悪くないよ。」と言ってあげるのが被害者に対する対応じゃないでしょうか。
また、仮にニコルさんが被害に遭っていなかったとしても、「被害者は悪くないんじゃないですか?」と問いかけをするのが建設的な相手に気づきを与える対応です。叩いても社会全体の認識はレベルアップしないばかりか分断を招くだけです。
ニコルさんへのバッシングは、叩きたいから始まってるだけのように感じます。

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