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太田道灌別館の隣に筑土城がありました
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今の筑土八幡神社の建つ丘です
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筑土城は
関東管領 上杉時氏が築いたとされるんですが
歴史を紐解いても
関東管領には上杉時氏なる人物はおらず
それどころか
この頃の上杉氏全体を見ても
該当しそうな上杉時氏は見当たりません
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よくあることで
今と違ってデータに保存なんてありませんから
口伝か
せいぜい筆写で歴史は語り継がれましたので
誰かがド忘れしたり
いい加減なこと言うと
それがそのまま伝わっちゃうんです・・・
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上杉時氏はいないので
多分
扇谷上杉家の上杉朝興が築いたんじゃないかって
考えられています
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太田道灌の別館には
そのまま誰かがいたので
その隣に
江戸城の出丸となる支城を築いて
北の押さえとしたんですかね・・・
MVIMG_20200104_092225.jpg上杉朝興は
太田道灌とは50年ほども後の武将です
落ち目の扇谷上杉家を盛り立てて
北条氏綱・氏康父子と渡り合いますが
勢いは覆すこと出来ずに急死してしまいました(-人-)

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崇徳天皇 菅原道真とともに
日本三怨霊とされるのが平将門です
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政争の渦中で陰謀により
都を追われた崇徳天皇や菅原道真はともかく
私怨から兵を起して敗れて死んだ平将門は
天下を怨む所以はないように思いますけど
それほど
平将門の恨みは強かったのだと
そう思うほかありません
MVIMG_20191204_132541.jpg何しろ
平将門を封じた魔法陣を崩したために
東京大空襲が東京の街を焼け野原にした
とか
将門の首塚の前でギャグをかましたため
爆笑問題は全く仕事が来なかった
とか
まことしやかに囁かれるのですから
東京人の心には
今だ
将門の怨霊は生きてるのかも知れません・・・
MVIMG_20191204_132308.jpg平将門が活動したのは平安時代
都から赴任してくる上級貴族が
現地で働く下級貴族から
巻き上げるだけ巻き上げて私腹を肥やし
体制批判が燻っていた時代でした
MVIMG_20191204_132302.jpg平将門は
屈強な肉体に
真っ直ぐ過ぎる性格をもった人でしたから
下の者からは大いに慕われ
余所からも平将門を頼り人が集まり始めました
MVIMG_20191204_132408.jpg最初は地元 茨城の罪人を庇い
罪の撤回を求めたことが発端でした
拒んだ役人と諍いとなり
あっさり勝利したどころか
役人どもが逃げ出したため
常陸国府 つまり茨城県庁を手に入れてしまいました
先の通り
この頃の関東は
都から来たお偉いさんが
好き勝手にやってた時代でしたから
群馬や栃木からも
将門の力で役人を追い出して〜って声がかかると
これも上手くいっちゃうんです
MVIMG_20191204_132245.jpg向かうところ敵無しと
煽てる周りに気が大きくなった平将門は
自ら 新皇を自称し
勝手に政権を作ってしまうから
ホンモノの朝廷は
関東が独立宣言!って大騒ぎ
軍隊を送り込み制圧に向わせます
藤原秀郷が平将門を討つと
その首は京都 四条大橋に晒されますが
無念を遺した将門の首は
胴体を求めて宙を越え
今の大手町
芝崎の浜辺に辿り着きました
それから300年以上
疫病をもたらすなど
怨霊として憚られた平将門でしたが
鎌倉時代に
時宗の高僧 他阿真教というお坊様が
平将門を神として祀り
ようやく怨霊は鎮められたというのです・・・(-人-)

MVIMG_20191204_132256.jpg九段下の筑土神社さんには
平将門の首が祀られていたと言われます
神官でさえ見ることを禁じられ
長らく封じられてきましたが
太平洋戦争の空襲により
失われてしまったそうです(-人-)

MVIMG_20191204_114154.jpg鎌倉や伊勢原と
領国 越生・居城 江戸城を行ったり来たり
戦が起きれば戦場を飛び交う太田道灌には
ゆっくり楽しめる休日はありません
MVIMG_20191204_114310.jpgそんな道灌さんにも
目の中に入れても痛くない愛娘がいて
江戸城の居室に帰ると娘を呼び出しては
顔を見るだけで鼻の下を伸ばしていました・・・
MVIMG_20191204_114159.jpgそんな愛娘を天然痘が襲います
天然痘は疱瘡とも呼ばれ
しばしば大流行を起こしては
多くの死者を出し恐れられていました
幕末に
緒方洪庵が牛痘ワクチンで治療するまで
疱瘡は死の病
神に頼るしかなかったのです
MVIMG_20191204_114415.jpg太田道灌は
小野篁が病を得た時平癒祈願した神様を思い出し
京都から勧進したのが
太田姫神社のはじまりだと伝えられます
姫御の疱瘡はすっかり治り
太田姫神社は江戸城の中に祀られたのですが
徳川家康・秀忠の江戸城改修に伴い
駿河台を経てこちらに鎮座されました
太田道灌の御家族の話はあまり伝わらないのですが
娘想いの優しい父親でもあったんですね〜

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