台風が過ぎて、ミナホや山形の学祭OTONOKEが中止になってしまって、急遽空いてしまった土日を過ごしていた。

親族の11月に生まれる予定だった初子ちゃんがお母さんのお腹の中で亡くなってしまったと連絡が来た。

先生は「悲しいけど、よくあること」と言ったらしい。
11月に生まれる予定だったぐらいだから、もうしっかり、当たり前だけど立派な赤ちゃんで、可愛い顔だったらしい。

それぐらい大きくなっていると「流産」とは言わないことを無知なもんで初めて知った。


「よくあること」だからなにが言いたいのかはさっぱりわからないし、「そうですか、よくあることなんですね安心しました」なんてどう考えてもなるわけないし。


当の本人にとっては紛れもなく新しい命で、それは周囲や統計や傾向で接し方が変わるなんてことはなんにもないわけで、時々場面が違うところでそういう「無神経」になる自分の中の経験を無意識に押し付けてしまうことがきっと俺にもある。


仕事で上司や取引先に怒られた友人に「まぁよくあることだよ」とか、浮気されて失恋した友人に「よく聞く話だよな」とニュアンスは違くても似たような内容で伝えたしまったり。励ましたいから、慰めたいから、の気持ちが空回った結果「しらねぇよそんなの」という気持ちにさせてしまったことがきっとある。


でも言葉をかけないのはもっと悪人になるような気がして、だからこそ自分が見てきた範囲の中で少しでもその人を想うからこそ、自分の未経験な感情をなんとか穴埋めしたくて、「よくある」他人事を探してみる。

でも、いつだって、当の本人にとっては目の前の出来事や感情が1分の1であって100%であって、そこに周囲の統計を持ってこられても耳をすり抜けていく程度の言葉でしかない。

秋は台風が多いからライブイベントの中止も「まぁよくあること」
それはもちろんそうなんだけど、そうじゃなくて、一個人の今しかない「今」っていうのは過去の例がどうとか誰かの経験談がどうとかじゃなくて自分の中にしかない「100%の今」。


今日生まれた命もあるだろうし、今日消えてしまった命もあるだろうし、今日生まれた感情も、消えてしまった関係もあるだろうし、知らないだけで俺は俺の毎日を過ごしていて、みんなはみんなの毎日を100%過ごしている。

来月ほやほやで生まれてきた命が大きくなっていって、初めて喋った言葉に感動したり、小学生になったり、友達と喧嘩したり、恋人を作ったり、母になって今度は自分がおばぁちゃんになっていったり、そういうとっても広い未来が途絶えてしまったことを「よくあること」という、対人の関係の中では何にもならない暴力的な一言がどうにもこうにも腑に落ちない。そこに励ましの意図があったとしてもなんか変。

「よくあること」っていう平均化された数字に毎日を当てはめて括ってはいけない、と思う。


他人は他人、はたしかにそうだけどだとしたら他人には常に敬意を持っていたい。
俺もあなたも毎日を自分だけの特別感で生きている。