月別アーカイブ / 2019年05月



本当は昨日のうちに書ければよかったけど、メンバーとスタッフ、それとこの間のツアーでサポート鍵盤を弾いてくれたなりぽよと、スタッフのお家でバーベキューをした。

午前中のうちからメンバーで集まって、今日公開したラヴラヴラヴを撮ったり新曲のことを話したり、朝から午後のバーベキューのために随分活動的だった。

15:30には買い出しに行くから、とスタッフの家の最寄駅に着いてスタッフの車で近くのスーパーへ行って、たんまり食材をカゴに入れながら店内を歩いた。試食販売をするおばさんから販売用のミートソースを使った一口分のパスタをいただいて、それがすごく美味しかったのでどさくさに紛れてカゴに入れて自分用にしちゃおう!と企んでいた。お肉を今まで生きてきた中で一番多いぐらいの勢いで重ねて、買い物を終えてスタッフの家まで向かう。家に着くともう1人のスタッフも到着していた。スタッフは2人とも女性なので2人はキッチンに立ち、メンバーはベランダでバーベキューの用意、俺はその2つを眺めていた。(なにもしてない)

高校生の時も、クラスのロングホームルームという授業の中で河原でバーベキューをしよう!となったりしても40人もいるんだからバーベキューの用意をしてくれる人がいるし、俺はなにもやらず、調子のいい時だけすでについている火にうちわで風をかけて、手首が疲れたらまた河原にふらっと遊びに行ったり、そんなんだった。無人島に流れてしまった人がいたとして、その相手が俺だったら大変申し訳ない。すぐに今世を諦めた方がいいと思う。


キッチンで女性2人が話しながら野菜を切ったりサラダを作ったりして、外では男子たちがもうお酒を飲みながらダラダラとバーベキューの準備をしている図が、なんとなく正月とかお盆とかに親戚一同が集まってそれぞれの家庭のお母さん同士はキッチンへ、お父さんたちは茶の間で話したりしてる、みたいなあぁいう図で、それを見ているだけで結構もう心地よかった。大人になるにつれて親戚同士が昔のように集まることもなくなってしまったから、そういう、謎の安心感のある平和な風景を感じれたのは嬉しい。

夕方は風も少しあって、微妙に曇り空で、時々寒くなる感じだったけどダラダラお酒を飲みながらダラダラ話しいるのを楽しむ横で、七輪の炭になかなか火がつかなくて悪戦苦闘していた池田さんがいた。

18時ごろになって七輪の調子もイケイケになってきて、そこで初めて、みんなで乾杯をしてお肉を焼き始めたりした。話題やテーマがあったわけじゃないから、本当にその場で話したいことを話して、ただそれだけ。それだけの時間。それだけなのにすこぶる楽しかった。

メンバー同士でこうしてただダラダラしてたのも久しぶりな気がするし、街を一望できるベランダだったから遮るものもないし、自分たちだけの秘密基地みたいな感じで。
かつ丸はお酒を飲むと口が悪くなる。こういうことを言うと「イメージじゃなかったです…」とか言われたりすることがあるけど、「イメージ」ってなんだ。相手が作り上げた偶像通りにならないことで勝手に傷つかれたり引かれたり、イメージってなんだろう。
だからかつ丸が酔い過ぎると口が悪くなることもうちらはいつも通りその風景を見ているし、かつ丸もそのことを自覚しているからこういう時にしか深くお酒を飲まない。むしろものすごい良心的だと思う。ごんたはずっと七輪をあっためてたし、お酒の弱い池田さんは早い段階で眠たそうにしてた。俺は寒くなったら部屋に入ってぼーっとしたり、LINEの返事をしたり、別に誰かがいなくても戻ってこい、とか言ったりしてこないバランス感がすごく心地いい。

むしろかつ丸の擦れた闇深いところをみんなにお披露目してあげたいぐらい面白いからみんなに見せたい(性悪)

正体の見えないものや得体の知れないものはだいたい怖い。だからどうしても自分の中で安心できるものを当てはめたくなる。

「優しそう」「怖そう」

俺もそうだからこそ、すこぶる、常にはいらない感覚だと思う。先入観とかイメージとかなんて、特にうちらは楽曲や声から与えるイメージは多くなる。
でもだからこそ、自分の素直な感覚を歌やサウンドに表すことができたらいいなと思う。

ただでさえ俺なんかは声質や歌メロでそういう意味での「優しそう、いい人そう」とか言われることがあるけど、全然そんなことない。

バーベキュー手伝わないし、ふらっといなくなるし、怒るし泣くし、犬の世話をする。でもそんな俺はいい人、でありたい。それは人が思ういい人ではなくて、自分が思ういい人。大事にしたいことのために向き合えること、せめて、そこにだけは誠意を持っていたい。だいたいそのつもりで生きている、いい人だから…

でも、じゃあ悪い人ってなんなんだろう。どんないい人だって、怒るし泣くし、欠点の1つや2つくらいあるし、叩けば埃が出てくると思うし、それが普通だからむしろ悪い人、っていうのはわかりやすくは強盗とか殺人とかの犯罪を起こしてしまう以外俺はあんまり出てこない。

だから、だいたいの人はみんないい人。いい人が普通だから、「良い」を普通に感じてしまうだけ。みんな、いいところが沢山ある。俺だって残念ながらそこまで知らない人の方が多くて、だからイメージがついてくる。知らないんだもんしょうがない。でも別に、例えばアンテナのファンの誰かを「キレイ好きそうだと思ってたのに部屋の片付けが苦手なんですね。イメージと違いました」という機会があったとしてもそれで「もうライブに来ないでほしいなぁ」とかなるわけがないし。

かつ丸は排水溝の髪の毛を取るって言ってて、これだけでいい人ポイント爆上げだった。

違う人間がいるから面白い。違う考えがあるから面白い。そういうものが集まって1つのバンドが成り立ってるのはやっぱりすごいこと。
違う人たち同士が集まって、バーベキューして、居心地のいい空間と時間を共有出来てる、同じ目標がある。すごいこと。

だからバンドやメンバーの存在を好いてくれることもすごいこと。イメージはきっかけでしかなくて、自分の気持ちがイメージと同じところも、違うところも越えて好きになる。だからファンがいる、っていうのも、改めてとてもすごいこと。

23時半頃、終電がなくなるから、とスタッフの1人が言うのでみんなでバタバタ駅まで向かった。


「6月になったら今年も半分終わるんですね」と言ったら
「それは言わないでー」と言われた。年々、早くなってる気がする。でももっともっと色濃い日々がこれからあるはず。

そんな風に、帰りの電車で思ってた。


ちょうど今日、ごきげんようの配信動画の予告ツイートをしたら「訛りはりょうくんのイメージじゃないです😆」ってリプライが来たけどそれとは全く関係なく昨日思ったことを書いているので。

俺は訛るよ✌️ばぁちゃんの前だと特に。
訛る人だよ、ばぁちゃんがつけてくれたたくわんもバリバリ食べてたよ。イメージと違うからこそ、気になってくんだよ。






俺のGWが終わってしまう、というか終わってしまった。
GW中、ゆっくりしながらゲームをしようと思っていたのに曲作りばっかりしてしまっていて(いいことなんだけど)ドラクエ2は全クリまだ出来てないし、人狼だって1回も出来てない。その代わり、曲はすごくいい。

最近、ツイッターにあげてる短い曲は空いた時間に作ってみたりしてるやつばかりだから「どんな曲になるか楽しみです」と言ってくれた方がいたけどごめん、バンドの曲にはならない。


音が溢れてるとか言いだしたら気持ち悪いけど、今は溜まった色んな気持ちをばーっと形にしていたい時期、ということにしてる。


新曲の詰め作業のために久しぶりにバンドでスタジオに入った。アンプから出る音は大きかったし、ドラムの生音も大きかった。ベースもずんずんしてるし、池田さんはパソコンをいじってた。

歩いてスタジオに向かってる途中、なんのきっかけもなしに「メイクで顔が変わるのと整形とは何が違うのか」っていう自分会議が脳みそで行われていて、顔が変わるっていう結果は変わらなくてそこに至る過程が違うだけなのに、なんでどちらかと言えば整形の方が謎の偏見を持たがちなんだ、と脳みその中の俺が話してた。

親からもらった顔だから、と言えばじゃあ歯の矯正は?ハゲて育毛サロンに行って自分の遺伝子に逆らいながら髪をフサフサにすることは?と言う俺がいるし、「でも、でも、」の繰り返しだった。

俺本体としては整形をすることで自分に自信が持てたり、美徳の追求をしていけることは素晴らしいことだと思うし、俺だって角ばった顔の形をゴリゴリに削りたいし、まん丸な鼻の穴を小さくしたい。笑うと腹話術の人形みたいな縦線が口の横に出来るのも嫌。腸から来るというアトピーも、内臓を新しく出来る技術があるなら借金してでもとっとと取り替えたい。親からもらった内臓だろうが、困るもんは困る。


「薄い唇だね」とむかーしむかしに言われてからまだあまり親しくない初対面の人とかの前だと話す時に口を手で隠しながら喋ってしまう。なんの悪気もなく、ただ言ったのであろう「薄い唇だね」が「人と違うことがいけない」と思ってしまったのか、だから逆に俺は、人と会うときに口元を無意識に見てしまう。


外見の印象ってすごいし、むしろ初めましての人に対してなんて外見情報しか与えられないんだから外見を気にする、っていうのは当たり前のことで、顔面で「怖そうな人」「優しそうな人」と判断されたり、服装や髪型でも「真面目そうな人」「チャラそうな人」とか判断されるし。

「他の人と同じであること」を求めてくるのに、そのくせ「他人と違うところ」の矛盾を求めてくる就活が大嫌いだった。


外見的なコンプレックスがある人こそ、よく人を見てる。(と思う)
例えばその中でNEOかわいいを掲げているCHAIのみんなは存在自体が最高にかっこいいし、楽曲も大好きだけど、みんながみんな、普段からNEOかわいいを掲げて生きていけない。俺も散々「好きなものは好きって言っちゃえよー」と言うけど、それを言うことで「えぇあんなの好きなの?」と反感を持たれる時ももちろんあった。

小学5年生の時はっぱ隊のCDを買ったことをクラスメイトに話したら「あんなの買うなんてやばすぎ」と大笑いされたとき「CDではっぱ隊を買うことはいけないことだ」とものすごい反省した。(その後の笑う犬の冒険の中でオリコン7位だった!と笑う犬メンバーが言ってたのを覚えてる。たくさん買ってるじゃんみんな)


外見のコンプレックスがあったりするから気になるところをよくしようとして、それを行動に移せる時点でもう整形だろうがメイクだろうがその人の勝ち。行動したもん勝ち。

脳内会議の「なぜ?」の結論は「整形の方がメイクよりもハードルが『高そう』で興味があるから&同じように不安な人が叶えられなかったことをしている嫉妬」と、脳内司会者の俺がパワープレイ結論を出した。

それから道行く人とすれ違うたびに「この人もどこか気にしてんのかなぁ」と思っていると、「じゃあ完璧ってなんだ」と思ってきたので思考停止。



何かを叩いたり虐めたりすることはものすごい労力のいることで、「10年先まで嫌いでいること」と「10年先まで好きでいること」なら圧倒的に嫌いであることの方が辛い。無理。

10年前嫌いだった同級生を今も「嫌い」の気持ちで追いかける気にもならないし。

でも10年前から好きだった漫画とか映画とか、友達とか音楽とかは今も好きだから、結局、妬みとか嫉妬とか批判を何かでされてることがあったとしても、みんなそのマイナスな気持ちを他の標的に向けていく。

だから、コンプレックスでも少数派でも、気持ちが美しくなれるような心がけが出来るきっかけを大事に出来る人が結果、一番かっこいい。


かっこいいことやって、かっこいい気持ちを大事にし続けられるような、久しぶりに入ったスタジオでの曲作りでもそう思った。


なんだかまとまらなかったけど、そんな日。


ライブしたくなってきた。


朝方、雨だった。それからずっと降ったり止んだりな感じで、ごんたの家の方まで用があったので傘を片手に持って歩いて向かった。

途中にあるセブンイレブンに立ち寄って、120円に値下げされていたお茶だけ買ってお店から出ると雨が降ってきた。タイミングが悪いのか、むしろいいのかわからない。

そのまま真っ直ぐ行くと、ドラッグストアがあって広めの駐車場と、入口の前にはガーデニング用の鉢植えとかも売ってあるような大きな店舗。そのドラッグストアの入口前にお留守番で繋がれていた青い服を着たミニチュアダックスがずっと、店内に向かって寂しそうに鳴いてた。いずれ出てくる飼い主さんのことが待てないだけじゃなくて不安を感じてしまっていたのが愛おしくて、昨日ちょうど、わがままがなんたらなんて日記に書いたこともあったからか、目の前で鳴いている犬を見てもなんだか切なくなった。


用事を済ませて夕方になってからは曇り空に少しだけ晴れ間も見えてた。まっすぐ帰るのがなんとなくもったいない気がして、ドラッグストアの並びにあるスーパーでアイスクリームを買った。ドラッグストアにいたダックスはもういなかった。飼い主さんと一緒にいられてよかったよ。

夕方という時間も相まって小学生や主婦がスーパーには多くて、インスタント証明写真?の撮影機の前にあったベンチに座ってアイスを食べた。音楽も聴かないで、あったかくなってきたし風も吹いていて心地よかった。日も随分伸びた。

「冬だったらこの時間もう暗かったのに」っていう比較するものがあると冬が懐かしくなる。

コーンのアイスを買ったので開けるときに、年甲斐もなく開け方を失敗してしまって少しクリームが指についていたようで、それに気付いたのはちょっぴり遅かったから見つけたときにはクリームが乾き始めていた。

小さいときもっと盛大に手を汚したときにベタベタな手がものすごく嫌だった。一回でもグーに手をすると、また手を開くときのベタベタでなかなか開かない感覚が気持ち悪くて。

大人になってからもあの時の嫌な感じは継続されているから手についたアイスを見つけた時は少量でもげんなりした。

知らないうちについてたアイスみたいに、知らないうちに忘れたり、傷になってたり、そんなこともあるんだと思う。
アイスの汚れみたいに簡単に洗い流せるもんじゃないこともあったなぁ、と思った。

洗い流しちゃえば簡単なんだけど、洗い流すまでが大変で。

乾いたティッシュでもベタベタは落ちないし、ベロベロに自分で舐めたって変わらないし、水場のあるところまでいくまでが大変。

忘れてしまうまでが大変、忘れてしまえば早いもの。
でも、アイスをつけてしまったことはなんだか悪い気はしなかった。
あんまり急いで洗い流さなくてもいいやと思ってそのまま、乾かせたまま家路に。

家に着いてから手を洗ったらやっぱり簡単に手はすべすべになった。

昔、お客さんに「手にサイン書いてください」と言われたことがあるから手にサインを書いたことがある。その人にとっては思い出だから手を洗いたくない、っていう話はテレビとかでも見たことあるけど、そんなサインも当たり前だけどもう残ってないだろうし、けど、良い思い出は消す必要がないからだんだん、だんだん、薄れて消えていく。嫌な思い出は、消えてしまえば一瞬で、消えるまでが大変。


そしてどっちも思い出には変わりない。


そんな日。



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