2月末に赤い公園のつのまいささんと飲みに行った。アンテナが活休するタイミングでアンテナを知ってくれて、今回アルバム発売の時にまいささんのラジオに呼んでもらったりしたけど、個人的にはすごく思い入れのあるバンドだったのでこうして関わることが出来たのが嬉しかった。

「さよならの代わり」を発売してから、いくつかのレコード会社の人から声をかけてもらったとき、当時赤い公園の担当だった人も仙台に来てくれて、その時に「今僕がやってるバンドのCD聴いてね」と渡されたのが赤い公園の「ブレーメンと歩く」で、特に気に入っていたのが最後に収録されていた「ふやける」という曲で、「こんな曲を作りたい!!」と思って作ったのがアンテナがその後発売するバースデーというアルバムの「溶けたいよ」という曲だった。溶けたいよ、はアルバムの最後に順番にした。


確か2012年だったかな、ソンソン弁当箱という地元仙台のバンドのイベントで赤い公園が仙台マカナに来てきたのでそれも見に行っていたり、アンテナが「底なしの愛」というアルバムを出す時のアー写やアートワークも参考にしたりなどしていた。

きっかけが2012年で、ようやく(?)初めて音楽人として関われたのが2019年。7年。こういうのって俺の主観で言うとやっぱりすごく感慨深いし、言われた側はなんのこっちゃ、かもしれないけどすごいことだなぁ、と思う。


2017年に出たミュージックゴールドラッシュという番組でMCをしていたサバンナ高橋さんにお会いした時も一方的に14年かけて出会えた人で、その人がこの間のアンテナのワンマンにも収録の後に来てくれて、「アンコールしか見れなかったごめんー、次は最初から行くね」と終演後すぐに楽屋に来てくれたのがすごく嬉しい。

そういう、自分の気持ちにそのまま素直な人にここ数年で会えることがとても多くて、大事にしたいと思う。


一番最初のそういう人はBrian the Sun のりょーただった。りょーたに会えた時、ちょうどアンテナがというか、俺自身が第一次「この先どうしたらいいんだろう」という時期だったのもあったけど、「こんな人がいたんだ」と感銘を受けたし。

まいささんとの飲みの席もすごく楽しくて、こないだから日記にも書いていた仙台、名取のイーチタイムというカフェの店長、健太さんの話をした時も会ったことなどないのにホロホロ泣いていて、「仙台に行った時、そこに連れてってください」と言っていて、「って言ってましたよ!」って本人に伝えられないのがむず痒いけど、って言ってくれてたよ。

翌日は、俺が予備校でバイトしていたときに高校3年生だった子たちが大学を卒業するのでお祝いも兼ねて飲みに行った。
2015年か。だから、第一次「この先どうしたら〜」時期の時に出会ってた子たちで、特に懐いてくれていて、「今度の仙台のライブも行くよ」と言ってて、「言ってよ買わなくていいのに」と言うと「買いたいから買った」と言われた。俺の同級生もそうだったけど、いいやつ。

高校を卒業するお祝いに、だったかな(あんまり覚えてない…)と当時発売していた会場限定のCDをあげたら何度も聞いてくれてて、それから「さよならの代わり」のアルバムを買って「遠くへ 遠くへ」が好きだ。と言っていたり、とにかくたくさん聴いてくれていたから今回の仙台ライブも「仙台で見るから意味があるんだよ。色んなこと思い出せるから」と話された。

22歳、すごい。

22歳の時にも確かに「高校の時」の感じを懐かしんでいたけど、俺のそれに音楽はあまりなかった。それを音楽で感じることの出来るこの子たちに、少しでも自分たちの音楽がなっているのであったら尚更嬉しい。


そっか、だからこの子たちの今の年頃の時に俺はレコード会社の人に赤い公園の話をされて、CDをいただいたんだ。不思議だなぁ。


本当に、ゆっくりな上に紆余曲折しながら歩いてたなぁと思う。


でも、それでよかった。今だからこそ意味のあることがその都度あって、そういうことをより感じている。

バンドの歴史があればあるほど、お客さんそれぞれとの歴史も沢山あって、俺が直接聞けないだけで大学を卒業する子たちが「当時を思い出す」と思ってもらえる何かを沢山感じてもらえたのと同じようにお客さんもそうなんだと思う。


まだまだ出会えるものがあるのは、今まで出会ってきたものがあるからこそだから、多分これからも色んなことが繋がっていく。


色んなことを思い出せて、感じれて、とっても良い週末だった。