月別アーカイブ / 2019年02月


気付いたらもう2月終わり。
2月は大阪、岡山、仙台の3カ所でライブをしたのと、ツアーに向けた準備を始めたこと。まだ1か月先のことだけど、多分この1ヶ月もあっという間なんだと思う。

小学1年生か2年生ぐらいの子の群れが
「今日うんちを食べた!!」っていう会話をしていて「うんちを食べた!」だけでゲラゲラお腹がよじれるように笑っていて、小さい時って確かにそういう「うんち」とかなんか好きだったよなぁ。

その時々の年齢で会話の流行り?みたいなのが必ずあって、小学生になるとテレビゲームの話とかがメインであったり、中高生で会話の率が上がる「恋バナ」みたいなのはそんなに出てこないし、大学生になると「バイト」の話がメインになってきたり、だいたいその年代でよく話してる話題っていうのはいつの時代もそうだった。

社会人になると当たり前だけど仕事の話がメインになってそこに「恋バナ」が入ってくる頻度はたまにすることはあっても圧倒的に減ってきたし、仕事量であるとか、給料であるとか、上司であるとか、そんなことがメインになってくる。

30後半になってくると「健康」についての話がメインになってくると聞いたことがある。そりゃそうだよなぁとも思うし、その時々の自分の状況によって集める物も変わっていったし。


「変わりましたね」って言うのは本当はすごく自然なことであって「変わらない」という方がおかしい、というか「変わらずに変わっていく」というのが一番しっくりくるかもしれなくて、自分自身もそうやって変わらずに変わってきたはずなのに、知人とちょっと会わなかったりして久しぶりに会ったら「なんか変わったね」という印象を持ってしまったりもするし。

変化は怖い。
おんなじであることに変な安心を覚えてしまうけど、おんなじであり続けることが変な話で、しかも人間意外と強くて、変化を拒んでおきながらいざそこに放り出されたりすると少しずつその変化にまた慣れていく。


会話の内容が変わっていって、「うんち」でゲラゲラ笑えなくなったり、恋バナが主じゃなくなったり、知らない間に自分でも変化していってることもあるのと同じように、周りもどんどん変化していく。

仙台駅の周りも随分変わった。
でも「仙台駅」には変わりない。

西口と東口を繋ぐ通路にあったマツモトキヨシも、マクドナルドも、プリクラ機がずらっと並んで女子高生が群がっていたゲーセンも、Zepp仙台も、その隣にあったクレープ屋も、もうない。


130センチ用の服も入らない、学生の時のブレザーもジャージももうない。社会人になったときのスーツももう着てない。周りの友達は太ってきてからスーツのサイズがどんどん大きくなってった。でも、俺は俺だし、友達はいつでも友達。


また「うんち」でゲラゲラ笑えるようなその感覚、なんか持ってみたいなぁ、欲張りだよなぁ。


今日のちびちゃんたちは別に大人になってから「俺たち小1の時うんちで爆笑してたよな」なんて日常の一コマ過ぎて振り返らないんだろうけど。



だからコロコロコミックってすごいよね。大人が子供の感性を持ててるんだから。


仙台ワンマン、あと6枚(もっと減ったかな?)、東京もe+だけ。うーんドキドキ、ワクワク。新しい風景の意味のツアー、これもまた変化だよね。






今日もともと入れてた予定をなくした。
Twitterにも書いた、宮城県の名取市にあるカフェ イーチタイムにお邪魔して、先輩の中村マサトシさんのライブをなおポップさんの隣で、影に隠れながら見ていた。

俺が入店してすぐ、お客さんが鼻をすする音があちらこちらから聞こえていたし、俺の目の前にいたおじさんは何度も何度も声を殺してハンカチで顔を覆って肩を震わせいた。
店内は窓側にキャンドルが置かれていて幻想的だった。

日中、タワーレコード仙台PARCO店でインストアをして、ブースいっぱいに溢れるぐらいのお客さんがいて「おかえりー」と言ってくれてみんな笑顔でライブをたのしんでくれて、「初めて見る人いる?」と聞いたら手が沢山あがった。活動休止をしていて、表に出ることがなかったのになんで増えてんだ?と思ったらラジオがきっかけだった。そういえばモーンガータを発売したときにパワープレイになった福岡でもそうだった。

サイン会はやっぱりちょっとザワザワした。
けど、みんなニコニコしていて「応援しています」とか「ワンマン楽しみにしてます」とかアンテナを知ってくれたきっかけとか、思い思いのことを話してくれてちびちゃんたちからもラブレターをもらえたりして「こんなに愛してもらえてるなんてありがたい」と思っていた。

そして夜、イーチタイムに行った時の空間はどちらかと言ったらMCで笑顔になることもあったけどそれはアンテナを見ていたお客さんのような笑顔ではなくて(当然なんだけど)、涙が多かった。
なのに、それも愛だった。涙で溢れて想う愛もやっぱり愛には変わらなくて、故人を偲ぶ気持ちがいっぱいだった。

ママさんがカウンターの中で料理を沢山用意して、KUDANZのゲンさんとママさんの姪っ子ちゃん?たちがそれを手伝っていて、演奏本編が終わってからママさんに会いに行った。
ママさんはいつもみたいに笑って「ありがとう〜」と言った後に「ごめんね」と言っていて、その「ごめんね」がなんだかずっと離れなくて、「全然!」と返すのが精一杯だった。

本当はいっぱい話したかったけど、人も多かったしママさんに書いた手紙だけ渡してお店を出た。


なんでもかんでも、極論で言ってしまえば自分以外は他人で、「自分の人生なんだから自分の好きなように生きろ」と自分では思うのに、アンテナに会うために時間を割いて、笑顔になってくれる人がいたり、故人を偲んで涙する人がいたり、手伝ってくれる人がいたり、「他人」を想って喜べたり涙したり出来る心はやっぱりすごく綺麗だ。


どんなにラブラブなカップルだって身体は別だで、ありえないほど強く抱き締め合ったって相手の身体は吸収できないし、「ひとつ」なんかには心も身体もなれない。
だからその人や物に心を映す。

健太さんがいない店内に「いつもはここでこうしてる」イメージを浮かべたり、例えば恋人が脱いでいったパジャマとかに残像を探してぬくもりとか言ったり、匂いとして記憶したり、本当の意味で1つになんかなれやしないんだから何か手がかりを求める。

幸せも、悲しみも、他人であるはずの相手がいるからこそ生まれる心と気持ちで、どちらの感情もすごくピュアで綺麗で。

「イーチタイムはみんなで守っていきます」と中村さんが言っていた。俺も俺の中で出来ることでずっと、長くこのイーチタイムという場所を守っていけるようにする。
それとおんなじように、俺はアンテナという場所も守っていけるようにやっぱりしていく。それは実はこの1年間こそ、「ファンの方みんながアンテナという場所を守ってくれていた」ということだと思う。

バンドだけではなくて家族や友達とかもみんなそうで、見えない気持ちでいつも誰かを、場所を、それぞれが守ってる。




グッバイフジヤマが活動を終了するってツイートを見て、割と色んなことが重なってどん底レベルに落ち込んだけど、終了を選択したのもすごく勇気のいることで、守り合ってきたものへの感謝がないとむしろ出来ないことだから。(感謝どうこうの前に終了という選択を取る場面ももちろんあるけど)


アンテナがツアーを成功させたい、と願う気持ちもきっと「この場所を守る」と願うことと通じてるのかもしれない。成功させる、きっとすると思う、みんなでその成功を喜びたいから。


物理的に1つになることはできないけど、うちらはステージからフロアのみんなに気持ちを乗せて、みんなはフロアからステージのうちらに気持ちを乗せて、それで初めてまた新しい場所になる。そういうことをたくさん作っていけるように。だからもう「他人」なんかじゃないことばかりだ。









あーママさんに直接「俺も支えますからね」と言えなかった。会場のお客さんが泣いている人が多かったので俺は泣いてはいけない、と泣かなかった。
健太さんにも届くように、僕らがやることは音楽なのでツアー成功させますから、ってかっこよく言えなかった。

いつもそうなんだよなぁ。いつも少し、遅れちゃうんだよなぁ。





昨日が祖父の誕生日だったのと、少し「死」についての寂しさを書いてたら今日Twitterで訃報が流れてきた。
家に帰る途中の道路の横の歩道を歩いていて、帰宅ラッシュなのか真横をびゅんびゅん通る車の向こうの空を見ながら「あぁ日伸びたなー」とか思ってた時にたまたま目についた訃報。

そういう訃報で初めて「え?」と声が出た。立ち止まって、もう一回ゆっくり読んでもやっぱり当人の内容だった。亡くなったのは俺が弾き語りで何度もお世話になっているカフェの店長さんで、「突発的な事故」が原因で亡くなったようだった。

大柄で俺よりも年下なのに「諒くんよりも年上に見える」とよくいじられてて、本当にいつもニコニコしていて、作ってくれるご飯が美味しくて、弾き語り中は自分で勉強したPAをしたり、写真を撮ったり、何よりも活動休止中に「よかったらみんなでホームパーティーしましょう」と誘ってくれて、そのカフェで家族と俺で食べ飲みしたり、活動再開を発表した後の年末、仙台で弾き語りをしたところもそのカフェだったし、メジャーデビュー直前もそのカフェで記念弾き語りをしているし、とにかくお世話になりっぱなしで。

年末年始も会ってるし2019年の話もしたばかりだし、言葉が出てこなくて、整理に時間がかかった。
「アンテナブルーってカクテルを作ったんですよ」と強めの度数のカクテルを出してくれたのがたったの1ヶ月半前の話で、こうして書いててもなんか変な感じがして、だって深い 深い 青のアルバム発売のタイミングとかで一緒にいたわけで、うちらのツアーもまだ始まってなくて、仙台ワンマンだってあるし招待してたし、一人だけ違うところに行ってしまってる感覚がわからなくて、感覚が分かりそうなところになると家に着いてもいないのに泣いてしまいそうで、「受け止めたくない」っていう気持ちだったんだと思う。

受け止めてしまったら、気付いてしまったら。




明日そのカフェで仙台の先輩のイベントがあるし、先輩たちがみんな「このお店を守る」と言っているのは店長さんやお店がどれだけ愛されてたか分かるし、俺もおんなじだからインストアが終わったらそこに向かう。


ご冥福をお祈りします、っていうのがすごく苦手で、だからご家族にも直接会いに行きたくて、遅いのかもしれないけど遅くないし、明日ちゃんと自分の目でその場を見ていたい。


悲しい。




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