月別アーカイブ / 2018年11月


道路で車に轢かれたであろう野良猫が横たわっているのを見た。

大学3年生の時に家まで帰っている途中、結構おっきめの野良猫が電柱下で横になっているのを見つけた。おデコの模様が八割れ?で目がくりくりで可愛かった。近づいても逃げないけど、牙を剥き出しにして威嚇してくるのでよく見ると後ろ足が変な方向に曲がっていて、血が出ている傷口付近は砂や埃がついていた。

家の近くにあった動物病院に電話をして、保護と治療をさせてあげたい、と伝えるとすぐにおっきな網を持った看護師さんが2人来て、猫は足を引きずりながらなんとか逃げようとしたけどうまく歩けないのですぐに捕まった。捕まってからも随分怒っていた。
猫を預けて、その出来事を祖父に話すと祖父は「命は簡単に拾うもんじゃない、誰が育てる?簡単なようで簡単じゃないんだ」と怒ったので俺もムキになって自分で育てる、と答えた。(当時ペット飼育禁止の賃貸だったんだけど)

動物病院から連絡が来たので猫に会いに行くと、猫は落ち着いていてゲージの中から瞳を大きくしてこっちを見ていた。それと、猫の怪我していた足はなくなっていた。恐らく車に轢かれたんだろう、随分酷い折れ方をしていたので切断するしかなかった、と先生は言っていた。動物病院は祖父の家の裏にある病院なので祖父とも顔見知りであったため俺個人のことなどはすぐに把握してもらえたけど、先生も「悲しいけど僕たちもボランティアでこの仕事は出来ない。治療費もかかる。この手術代とこれからの治療費は諒くんに請求することになるけど大丈夫か」と尋ねてきた。本来であれば、市役所などに電話しておくもの、ということをその時初めて知った。

なにか間違ったことをしたのか、と随分腹が立ったけど色々経験してきた先生や祖父からすると「無責任な優しさは優しさではなく、優しさには責任が伴うこと」というのを言いたかったのかもしれない。
治療費を聞くと、随分なものだった。それでも多少安くしてくれたのかもしれない。
とりあえず額も額だし、具合も見たいから何日かは猫ちゃんを預かるよ、と先生は言ってその日は家に帰った。家に着いても全然納得がいかなかったのを覚えている。猫太郎って名前にして、ちゃんと責任を持って飼おうと決めてた。

翌日、貯金を下ろそうと思って銀行のATMに向かう途中、動物病院から電話が掛かってきた。
猫太郎が亡くなったという電話だった。

すぐに動物病院に向かうと猫太郎はおっきめのダンボールの中に何重にも重ねてふかふかになったタオルケットで眠っていて、傷口から内臓にまで随分菌が入っていたことを教えてくれた。
保護をしてくれた看護師さんは「多分、保護されなかったとしても長くはなかったと思います。でも見つけてくれて保護されてよかったと思います」と猫太郎を撫でながら泣いていた。

先生はなんにも言わず、「治療費ね、いらないよ」と言って「処理はどうしようか」と言うので動物の火葬施設を紹介してもらった。祖父の家に行くと、祖父が「昨日の猫はどうなった」と聞くので「死んじゃったんだよ」と言うと「そうか」と驚いた様子もなく言った。動物好きの祖父だからこそ、命を扱うことの大変さも知っていたからこそ、あの時怒ったのだと思う。それから、祖父の車を黙って借りて火葬施設に猫太郎を預けた。

動物病院の先生もそうで、むぎに会うたびにデレデレして話しかけるし、本当は悲しかったのだと思う。

白黒二色で八割れの猫太郎をたまーにまだ思い出す。間違った手の出し方だったかもしれないけど、間違った選択だったとは今でも思わない。

車に轢かれる運命だったといえばそれまでだけど、言ってしまえば余所事なのに、いつも変な感情になる。



昨日の夜Twitterでツイートして、朝になって「気持ち悪っ」と思ったので消したツイートがあって、それが1月発売のアルバムを音楽関係者の人から良いね、と連絡を一気にもらえたことだった。

1人は、さよならの代わりを出したときにマネージャーで、今は別の会社でアリーナツアーをしてる某バンドさんのスタッフをやっているお兄さんみたいな人で、1人はアンテナのバースデーを発売したときから取材をかけてくれてる媒体の方で年下の男性。

どちらももう随分前からアンテナを知っててくれて、変遷も全部見てきてくれた人でとても信頼してる人なのでとても嬉しかった。

もともと、「ずっとベイビー」とアルバムタイトルで発売するはずだったアルバム。その収録曲を制作しているときから「なんだこれ」と作品に対して良いと思えるものがどうしてもできなくてメンバーに渡す前に何曲もボツにしてて、その時期はモーンガータをリリースしたばかりだったからキャンペーンも多くて家を離れることが多かった。確か12月とかは家にいるのが1ヶ月のうち1週間もなかった。キャンペーンが悪いということではなくて、むしろキャンペーンで出会う人、出会う土地、その全部が刺激的で感動的だった。
それでもレコーディングの予定日は迫ってくるし曲は納得出来ないし、なんとか絞り出した(と思ってた)曲でレコーディングを終えた時に、何かが外れたのか「こんなの届くはずもない、売れるはずない」と変なスイッチが入ってしまってから、並行するライブも届いているのか、キャンペーンでどれだけ喋れてるのか、夜が明けてホテルで目を開けるたびに昨日とは違う天井を見ながら「昨日、ちゃんとやれたのか」と不安に感じることが多くなってからは色々崩れるのが早かった。

だから「発売延期」としているアルバムの内容は個人的には封印しておきたい、そんな風に思ってた。活動再開をしようとなってからバタバタとレコーディングを始めた。変な話だけどレコーディングは楽しかった。元々のアルバム内容に新しく3曲加えて(収録予定のものをその分外したんだけど)全体を聴き直したとき、やっぱりギリギリで作ってた曲は自分の心境も加わってちょっと苦しかった。

でも、なんか、封印してしまうのはやっぱり違かった。弱ってる時に作った曲もたしかにあるけど、それをなかったことにしてしまうのはその時の自分もなかったことにしてしまうのでやっぱり違う。
後付けになりそうだけど、出来上がっているものを改めて聴いてみると、そこに活休中の自分たちの気持ちや、待ってくれたみんなの気持ちも乗っかるような気がしてちょっとずつちょっとずつたった1年前なのに随分前に感じる当時の自分と自分の曲を受け入れられてきたような気がした。

その時にちょうど、「アルバムすごくいい」と連絡をもらった。その「すごくいい」の中には苦しい時にできた曲も入っていて、背中をさすってもらえてるみたいにホッとして、嬉しくて、それからまた曲を聴き直すことが増えた。聴き直すたびにだんだん愛おしく感じて、大事に大事に届けられたらと思うようになった。


そしたら今日、また別の人たちからも連絡が来てた。大阪のライブハウスの方と、取材をされたことはないライターさんだった。
特にライターさんはものすごい聴き込んでくれてて、アンテナとしての本質や俺個人の本質までしっかり理解してくれててやっぱり嬉しかった。

よそ見したくなる過去の自分なんて大なり小なり誰にでもあって、よそ見したままにしてもいいと思うけど俺は表現者として少しでも向き合えてよかったと思ってる。

どの曲がいつ作ったもの、とかは言う必要はないと思うし、そういう制作秘話みたいなのを感じながら聴かなくていいと思う(じゃあ最初からこんな長く書くなとかはなし)全部引っくるめて出せることでやっと本当の意味でまたスタート地点に立てると思うので、あと約2ヶ月、期待値どんどん上げててくださいね。

もうすぐ1/19のワンマンの二次先行も始まるし、二次先行と一般発売合わせても枚数は正直あんまり出せないみたいなんだけど、日本で一番感動的で輝く日になると思うので気になってた人、撮り逃した人、みんな来て欲しいなと思う。


あー宣伝ぽくなっちゃった…



ブログメインにします、とブログを始めてから1週間が経った。まず1週間続いてよかった…

キリよく「1週間記念日」とか言えたらいいけど1週間じゃそんなこともないなぁ、と書きながら感じてる。

付き合って1ヶ月、とか高校生の時周りがやってるの見て「あぁ…いいなぁ…そういうのいいなぁ…」と羨んでたんだけどあれ、大学生とかになると「記念日とかもうどうでもいいわw」みたいな思考になっていく傾向あったんだけど「お前それ1ヶ月ごとの記念日ちゃんと満喫してちゃんと負担になってって経験したからだろ」と大学生の同級生に言ったらやっぱりその通りだった。

でも、なんか嬉しかったなぁ…1ヶ月記念日。1ヶ月で嬉しい気持ち共有できるってそれほど初々しいものないよね。
こう、20歳過ぎて、社会人になってから「1ヶ月記念」とか言ってるの見ると「はいはい」とかなりがちだけどさ、本人たちからしたら1日1日がもう噛みしめるほど楽しいんだろうし、自分もそうだったんだよね。その先に別れがあろうが、今をそう感じて生きてられたら最高だと思う。

あ、なんだっけなに書こうと思ってたんだっけ。

えーっと記念日。で、記念日って別にそんな1ヶ月単位とかだけじゃなくて色んなところに存在してて、バンド結成日、初ライブ日、結婚記念日、命日、誕生日、たくさんあるけど、3年前に亡くなった祖父の命日を迎えるたびに思う。

記念日って、その日をお祝いすることよりも自分自身の気持ちの整理にすごくぴったりな日で、「今までこうだったな」と思い返すこと、「明日からこうしよう」ってまた思えること、それって極論、自分のための儀式になるんだけどそのきっかけをくれたのは亡くなった祖父であって、付き合った恋人であって、祝いたい人がいたりであったり、だから自分と相手とで改めて明日からの過ごし方を考えられる良い機会なんだと思う。

(そりゃまぁ、毎週毎週記念日なんかやってたら記念日マンネリにはなると思うから一年に一回がちょうどいいのかもしれないけど、頻度なんて本人たちで決めればいいし)

祖父が亡くなってからしばらくは、夢で祖父を見るたび祖父は生きてて、生きてた頃のまんま話してて笑ってて、夢から覚めるたびに「そっか」とちょっと切なくなって、そこから、相変わらず祖父は夢の中で生きてるけどだんだん夢の中の俺が「あ、たぶんこれは夢だ、じーちゃん死んでるし」と気づくことが増えてって、こないだとうとう、夢の中でも祖父は亡くなっていた。目が覚めたときに本当にどうしようもなく悲しくて、俺の心の中からも祖父はもう消えつつあるのかと思うと余計に悲しくなった。

9月のお彼岸明けの頃祖父は亡くなって、親戚や仲良くしてた近所のおばちゃんたちは「良い旅立ちの仕方だ」と泣きながら喜んでいた。(お彼岸で亡くなるのは仏様が帰るときに一緒に連れてってもらえる徳が高い人だかららしい)

今年の命日の日はお仏壇の前で「今ちょっと休んでてどうなんだろう」と報告できたことも、そうやって自分自身を見つめ直すきっかけがそこにあったんだと思う。

高校生は3年しかないし、3年のうちの1ヶ月ごとの記念日って実はものすごく貴重なのかもしれない。大学生になってバイトをして、半分社会経験もできるようになってからの1年ごとの記念日も社会人と学生の微妙なラインを歩いている身としてとっても貴重なのかもしれない。
いつだってどの時も、自分たちの今は自分たちなりに必死で、何年後かの自分が自分を見てはくれない、常に今が100%だから痛いやつとか、ダサいとか、どんなに思われてても自分自身が立ち帰れるきっかけであれることがとっても大事。

会社の創立記念日とかもそうだよね。

メジャーデビューして1年記念を直接なにかで自分たちでお祝いすることはできなかったけど(ハレソウ仙台があったのはある意味運命)、日記1週間をちっさな節目で感じ取れたのはいい感じ。


好き放題書いてるし、読む人と考え方が違うところもあると思うけど、まぁ、個人の勝手な日記だから。


あのさ、1月発売のアルバム聴き直してたんだけど良いアルバムなんだよ。早くみんなに聴いてほしいと思うし、たーくさんの人に見つけてもらえるのを願う。



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