気付いたらもう2月終わり。
2月は大阪、岡山、仙台の3カ所でライブをしたのと、ツアーに向けた準備を始めたこと。まだ1か月先のことだけど、多分この1ヶ月もあっという間なんだと思う。

小学1年生か2年生ぐらいの子の群れが
「今日うんちを食べた!!」っていう会話をしていて「うんちを食べた!」だけでゲラゲラお腹がよじれるように笑っていて、小さい時って確かにそういう「うんち」とかなんか好きだったよなぁ。

その時々の年齢で会話の流行り?みたいなのが必ずあって、小学生になるとテレビゲームの話とかがメインであったり、中高生で会話の率が上がる「恋バナ」みたいなのはそんなに出てこないし、大学生になると「バイト」の話がメインになってきたり、だいたいその年代でよく話してる話題っていうのはいつの時代もそうだった。

社会人になると当たり前だけど仕事の話がメインになってそこに「恋バナ」が入ってくる頻度はたまにすることはあっても圧倒的に減ってきたし、仕事量であるとか、給料であるとか、上司であるとか、そんなことがメインになってくる。

30後半になってくると「健康」についての話がメインになってくると聞いたことがある。そりゃそうだよなぁとも思うし、その時々の自分の状況によって集める物も変わっていったし。


「変わりましたね」って言うのは本当はすごく自然なことであって「変わらない」という方がおかしい、というか「変わらずに変わっていく」というのが一番しっくりくるかもしれなくて、自分自身もそうやって変わらずに変わってきたはずなのに、知人とちょっと会わなかったりして久しぶりに会ったら「なんか変わったね」という印象を持ってしまったりもするし。

変化は怖い。
おんなじであることに変な安心を覚えてしまうけど、おんなじであり続けることが変な話で、しかも人間意外と強くて、変化を拒んでおきながらいざそこに放り出されたりすると少しずつその変化にまた慣れていく。


会話の内容が変わっていって、「うんち」でゲラゲラ笑えなくなったり、恋バナが主じゃなくなったり、知らない間に自分でも変化していってることもあるのと同じように、周りもどんどん変化していく。

仙台駅の周りも随分変わった。
でも「仙台駅」には変わりない。

西口と東口を繋ぐ通路にあったマツモトキヨシも、マクドナルドも、プリクラ機がずらっと並んで女子高生が群がっていたゲーセンも、Zepp仙台も、その隣にあったクレープ屋も、もうない。


130センチ用の服も入らない、学生の時のブレザーもジャージももうない。社会人になったときのスーツももう着てない。周りの友達は太ってきてからスーツのサイズがどんどん大きくなってった。でも、俺は俺だし、友達はいつでも友達。


また「うんち」でゲラゲラ笑えるようなその感覚、なんか持ってみたいなぁ、欲張りだよなぁ。


今日のちびちゃんたちは別に大人になってから「俺たち小1の時うんちで爆笑してたよな」なんて日常の一コマ過ぎて振り返らないんだろうけど。



だからコロコロコミックってすごいよね。大人が子供の感性を持ててるんだから。


仙台ワンマン、あと6枚(もっと減ったかな?)、東京もe+だけ。うーんドキドキ、ワクワク。新しい風景の意味のツアー、これもまた変化だよね。