THE 1975の新譜がちびるくらい良かった。なにがどういいか、とか評論家みたいなことは全くいらないし、とにかくよかった。

「心に響く」ってなった時の感覚はなにがどうとか理屈で説明できなくて、なんかいい。この「なんか」って俺はとっても重要だと感じていて、受け手の第六感が震えることってサウンドやフレーズやメロディや歌詞、歌声、全部が混ざって1になることで力になる奇跡的なもので、それが「なんかいい」になる。

一目惚れに近い感覚かもしれない。

その人の髪型、雰囲気、顔、最初は性格なんてわからないから外見の情報だけでその人のことを気になったりするけど。

ラブソングをとりあえずラブソングとして歌っている曲があんまり好きじゃなくて、難しいんだけど、本心でもなさそうな、「とりあえず生」みたいな感覚の「とりあえずラブソング」ってのが苦手で。

恋愛ソングに助けられたり、勇気付けられたりもちろんするわけで、でもほんとに恋愛をしている人たちにとっては「とりあえずラブソング」なんて感覚のラブソングに自分の未来を重ねたくない、と俺なら思ってしまう。
なんで「とりあえず」って感じるのか、こそ、「なんかそう感じる」の一言でしか言えなくて、別に俺が苦手だからって世の中の不正解じゃないし、俺1人が苦手でも残りのみんながその曲に勇気付けられたり、センチメンタルな気持ちになれるならそれがいい。曲を否定するつもりもないし、ただ俺は苦手なだけ。


チャラい人が言う「お前だけだ」ほど信用ならないものはないし、付き合ったことのない人が言う「異性なんてちょろい」ほど寒いものはない。

取り繕ったなにかに自分自身の気持ちを委ねるなんて俺にはあんまり分からない感覚で、かと言って「俺はモテないーーーー!!!!!」とか「頑張れーーーー!!!!!」と素直さの圧がすごすぎても「いや、はい、大丈夫です…」と避けたくなってしまうし、本当にめんどくさいやつだと思う俺。


社会人になって、新しいことを覚えなきゃいけない、一人暮らしを始めて慣れない土地で友達もまだそこまで多くなくて、例えばそんな人がいるとしてそのときに最初に聞こうとした音楽が「とりあえず」系の音楽なわけはなくて、「なんかこれが聴きたい」と手を伸ばしたのがその時の自分の気持ちにぴったりな素直な曲なのだと思っている。


リスナーだってバカじゃないし、嘘を嘘と気付ける。それぐらいは見抜けるようになるぐらい、毎日たくさんのことを感じながら生きてる。
それでも大好きな音楽に自分だけの自分自身の気持ちを委ねたいと思うときがある。


休んでいる間、バンドサウンドが聴きたくなくてバンドサウンドから離れていて、それから最初に聴いた曲がHelsinki Lambda Clubの「Joke Box」だった。なにが良いのかわかんないけど、とにかく良かった。光だった。

その後に聴いたのが、失礼ながら一度も聴いて来なかったSaucy Dogの「真昼の月」だった。

小説を読んだみたいな歌詞で、それからアルバムを買い漁って狂ったように聴いた。

俺は石原くんじゃないから、石原くんが思う気持ちなんか理解できないはずなのに石原くんの詞は聴き手の俺の中で俺が主人公で変換された(ように感じた)

音楽を作りたい、と思ったきっかけだった。
(でもこんなにすごい歌詞を書く人がいてはもう無理じゃないか、と少し凹んだ)


ただのリスナーとして曲に感動できたことが嬉しくて、それこそ俺の「なんか」に2バンドの歌が響いた時で、その時の心境、環境、色んなものが重なって一つの感動になるのはやっぱり奇跡的なものだと思う。

2バンドは俺の中で勝手な恩師なのでいつか直接感謝を伝えられたらと思うし、感謝を伝えられるような活動をまたこれから出来るようになれればいいなと思う。

「なんか、いい」このなんかを大事にできる心って簡単なようで複雑で、大人になればなるほど経験値が増えるほど薄れてしまうものだけど、なるべく純度高く感じていられたらと思う。


いい曲、たくさんあるなぁ、と感じた日だった。






鹿児島帰りの飛行機は行きよりも楽だった。
後ろにいたお母さんとちびちゃん(みーちゃん)がずっと騒いでたおかげかもしれない。

みーちゃんはお母さんがiPadかなんかで映してくれるドラえもんを観たくてしょうがなかったのだけれど、ドラえもんが消えるたびに「ドラえもーーーーーん!!!!」と声を上げた。
それが不定期に来るので真後ろから聞こえるみーちゃんのドラえもんの声に意識を一旦持ってかれることがよかったのかもしれない。ありがとうみーちゃん。

朝からなんだか身体が重たくて、倦怠感がすごい。熱はないので湯疲れだと思う。

大学の卒業旅行の時に栃木の鬼怒川温泉に高校からの同級生5人で泊まりに行った。俺以外みんな野球部。ホテルの温泉に5.6回は入りに行ったら翌日、今日ぐらいのダルさが身体を襲っていてどうやら「湯疲れ」である、というところまで行き着いた。(「湯あたり」とは呼ばないらしい)
その時は翌日に日光東照宮などを見に行く予定だったのに早く帰りたくてしょうがなかったのに、同じ回数入った友人たちはぴんぴんしていた。

「卒業旅行行こうぜ」と言い出した友人が旅行日の3日ほど前に連絡をしてきて、ホテルを決めた日は旅行日の前日、大雪の日の深夜に漫画喫茶のファミリールーム(真ん中にコタツが置いてるワンルームみたいなところ)でネット予約をした弾丸旅行だった。みんな就職先も決まっていたし、学生最後の、学生らしいノリだった。

Twitterにも書いたけどニュースで「ようやく冬将軍が」という見出しの天気予報が流れていた。
寒いなら寒いとブーブー言うのになんだかんだ待ってたんじゃん冬、と可笑しかった。

きっと、終わってしまえばあっという間と感じる3ヶ月ぐらいの冬、匂いが記憶とリンクしやすいというのが俺個人の話だけで言うとあるんだけど、冬はそういうその都度その都度、「なになにがいつあった」という頻度が高い。
11月は1年の中でどういうわけか一番記憶がすっぽ抜けてしまいがちだけど、今年は違ったし、12月に入ってからも色々な初めましてな出来事がたくさんある。

順当に、寿命というものだけで言えばアンテナのスタッフや社長とかの方から自分たちより先に死んでいくんだから死んでしまう前にたくさんのことを教えてもらったり経験できないと、死んでからじゃどんなに願っても一言も聞けないし、事柄や感情も共有できないし、だからどうせ先に死ぬもんだとしたら死ぬ前に色んなこと経験しようと話したらスタッフに「失礼だな」と笑われたけど、季節もそうだと思う。

今年の冬は今年しかない。過ぎてしまってはもうこの冬には会えない。季節だけじゃなくてなんでもそうなんだけど。

家に着いてキンキンのフローリング床を踏んで冬になるなぁと実感した。
楽しい冬になりますように。




鹿児島2日目。スタッフが病院の整理券をもらいに朝6時に起きて準備をして向かったおかげで整理番号を1番で取ってくれた。俺はその間寝てた。

スタッフが車で迎えに来てくれて、車で10分ほどで着いた病院はすでに沢山の患者さんに溢れていた。朝なのにすごい。

整理番号1番であったおかげですぐに診察室に入れて、名医といわれている先生と対面。
先生は80歳ぐらいのおじぃちゃんで、先生の後ろにはお弟子さんが2人いた。先生は入って早々「どう?」と聞いてきて、顔の前に手をかざして目を瞑った。そして「後天性のパニック障害だね!」と言って、そのまま手で空を横に切りながらブツブツなにかを言ったあと「14.15歳の時の記憶がフラッシュバックしちゃうんだ」と言った。

「そりゃあ14.15の時なんて誰しも思春期だしなにかしらトラウマみたいなのあるんじゃ…」と半信半疑な俺。
でもたしかに、中2、中3の時は人生で一番辛い時期で、高校生になってからの人間関係に救われたところがあるし、まぁ思い当たるところはたくさんある。

先生曰く「ステージに立つことで周りの視線が気になってしまうのは当時のストレスがそのままフラッシュバックしてる」とのこと。そのまま先生は「じゃあさ」とニコニコして前のめりになって話しかけてきて「靴を脱いで足を俺の太ももに伸ばして乗せて」と言うので言われるがままに靴下になった両足を先生の膝にピンと伸ばすと先生が足の指先を軽く反時計回りにさわさわしてきた。
そのまま「当時のこと、思い出してみな」と言うので思い出そうとしても確かにまぁ、具体的に思い出せない。(足先さわさわしてるからでは?)と思ったけどマッサージみたいで単純にきもちよかった。


そのあとも色々話したけど割愛で、診断は終了。

薬などを処方されることもなく帰された。その時点でまだ10時とかだったのでスタッフととんかつを食べようか、とホテルのスタッフさんオススメのとんかつ屋さんに向かうも営業時間は11:30から。そりゃそうか。
一旦ホテルに戻って(チェックアウトは12時だったので)少し休み11:30になってからチェックアウトをしてとんかつ屋さんに向かった。とんかつ屋さんも列が出来ていた。
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お肉が柔らかくておいしかった。

鹿児島は昨日ほどではないにしてもやっぱり寒くて、少し雨も降っていた。

中学3年生のとき、なにが嫌だったのかとにかく全てが嫌で、朝学校に行ってくる、と言い学校の側の森の中で1日を過ごしてばかりだった。
友達と思っていた人たちからは心当たりがなく省かれて始めて、嫌われたくないからとニコニコしていたらますますこいつは適当に扱っていい、と思われたのか誰からも相手にされなくなった。好きだった子もバラされた。そういうのは中学生にとっては一大事件だと思ってる。
同じクラスの男の子をみんながいじめてるときに、「ここでいじめに加担したら今の環境から抜け出せるかも」と一緒になっていじめた。余計なことするな、と言われた、そんなことで関係を取り繕うとしてる自分が情けない。(そもそも行為自体がよくないことに気づけなかった)。その子はそれでも毎日学校に来た。その子の方がよっぽど強かった。一度だけ、なぜか覚えていないけどその子と帰り道が一緒になったので話しかけたことがある。「将来、ロボットを作りたい」と言ってたその子は高専高校志望だった。俺よりよっぽど強くて芯のある人だった。かたや俺は学校にますますいかなくなった。森の中で本を読んで、14時ぐらいになると同級生が下校時間になる前にのそのそと家へ帰る。(もう部活も引退していたので)母ちゃんには学校に行ったという程にしていた。

保育所から幼馴染の女の子の愛美ちゃんがたまに気をかけてくれた。(夜中、卒業した小学校の校庭、倉庫の壁に座って水筒に入れてきた味噌汁をなぜかもらったことがあるのを忘れられない)でも、愛美ちゃんに話したことも学校のやつらに筒抜けにされるのではないか、と相手にしなかった。冬になって、中学の同級生がいる高校には行きたくなかったので、少し遠めの高校を受験して受かったときには中学からは男子1人だけだったのですごく嬉しかった。(入学してから女子も1人だけ入学してて、それが愛美ちゃんだったときは絶望したけど、そこから打ち解けてきて今もたまに連絡を取る)

ここに書いてない酷いことをされたし、酷いことをしてきたし、自分だけが被害者だ、なんていうことは全く思わないし因果応報、自業自得だと思う。そんな小さなことが蓄積されて、大人になってからストレスとして抱え過ぎたときに当時のこととリンクするように何かが爆発するなんて、なんて都合の悪い身体だろうと思う。


あの頃があったから今の曲をかけます、なんて綺麗ごとだ、と思う自分もいるけど、やっぱりそこも自分を蓄積している一部だと思うし、目を背けることは出来ない。
弱さや不安は自分を追い込んでいって、自分でもよくわからない行動を起こしたりしてしまうのは自分の中の精一杯のSOSなんだと思う。
ただひたすら必死で、悲しい。



今日の診断が今後の自分にどこまでプラスに影響するのかは分からないところももちろんあるけど「あ、やっぱり大丈夫かも」と確信できる内容だった。


鹿児島は食べ物が美味しくて街の雰囲気も良くて、また一つ自分の中で大切な節目になれるポイントに鹿児島が増えた。そういう、良いポイントがこれからもどんどん増やせるように元気でいたいなぁと思う。


戻れない過去をやり直すことは出来ないけど、乗り越えることはいくらでも出来ると思う。


みんなでそうあれればもっと嬉しい、と思った日だった。



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