月別アーカイブ / 2016年06月

タイトルは太鼓の達人風に読んでくださいね♪お弁当を食べるどん❤︎

AKB総選挙なうですね。
楽しそう…いいなー選挙だけ参加したい♪
キャバクラの月初のミーティングとそっくり♪
というか、ミーティングのナンバー発表を全国放送してるようなもんなのだけど、
やっぱ人が見てると楽しいだろうな〜泣いたりするのが。
やっぱり女子は、
順位付けされるのが好きよね〜

これ、男子だとやっぱりあんまりうまく成立しないでしょうね。
男なんて順位付けされると
ナンバーワンを目指し、結果に散るしか脳がないもの。

女はどんな状況もキャラや振る舞いに変えるしなやかさがあるから、
一位と二位と同じようなドラマが75位と76位にもあり、
また一位よりおいしい五位というのもあり、
売り上げのない人気嬢とか
ナンバー圏外なのにキャラは女王さまとかいうことがありえますからね。
ホストクラブのナンバーというのも、
男のためでなく、女のためにあるわけです。

キャバクラのナンバーが
ホストのナンバーにくらべて
扱いが内向きなのは
客である男が
そんなに順位付けにあつくないからでしょう。
ま、ホス狂いめいたキャバクラ客というのも、
歌舞伎町とかの店にはいますが。



先週に引き続き、
清楚系で。


くらたま姉様の隣でしたよ〜
ライン交換して、
今度飲み会しよーって話になりました
わーい⁽⁽٩(๑˃̶͈̀ ᗨ ˂̶͈́)۶⁾⁾ 

さて。。
帰っておぐらりゅうじパイセンに原稿送らねば…💦

清廉さと締め切りを大切にね❤︎すずみ

親族だけで母の小さいお葬式をしました。母の希望は、葬儀は最小限、後日、灰島かりとしてのお別れの会をやってほしいとのこと、お別れの会は8月に開く予定です。

こちらの連絡が遅れているのにも関わらず、新聞やネットで訃報を知り
大学の関係者さま、出版社さま、学者仲間の方たち、父の友人、私の友人、
多くの方からお悔やみの言葉・お花をいただき、本当にありがとうございます。
というかそもそも私
新聞記者出身なのに
新聞社・通信社へのご連絡もばらついて遅くなってしまいました。

母が最期に過ごした月島のマンションに取り急ぎつくったプチ祭壇は、
すぐに沢山の方が送ってくださったお花でお花畑になりました。
鎌倉の実家に送られたものも
ちゃんと月島や私のいる新宿に転送されてきています。

戒名は
清麗院かり日貴大姉

鈴木家がお世話になっているとても良心的な住職が
故人の実績を讃えたい、と
平仮名のペンネームを入れて下さりました。
清・麗という字も
なんかあってるというか
少なくとも母が自分を飾られるのに気に入りそうで、
とてもよい戒名だったと思います。


母は、父よりも先生よりも
激しく私のしていることを拒絶し、
諦めることなく、
最期まで話をしようとしていました。

モルヒネの影響であまり話せなくなる前は病室でも、
何故看護師さんはすごく親切なのかわかる?
テレビにうつってただ感じのいい人の役をやって満足?
入れ込んで書いたものと器用さで書いたものの違いはわかる?
と議論をふっかけてきました。

最期まで私の間違いを指摘し
最期まで私を世界で一番愛してると言っていました。

母の愛し方はそういうものでした。
遺体と対面しに訪れた母の友人たちは揃って
母について愛に溢れた人だったと言います。
父もそう言っていました。

私もそう思います。
包み込むような生やさしいものでなく、
散弾銃で打ち込むような愛情の持ち主でした。



父親がよく冗談半分本気半分で、
ロンドン住んでた頃の小さいみどりは可愛かったね
と言うと
母は真顔で
そう?今の方がずっと可愛いと言ってくれました。

私の過去の職業すべてに
私が好きなものすべてに
死ぬほど怒っている時でも
私にはあなたは今が一番可愛いと言っていました。

私には正直、
愛しながら嫌い、
嫌いながら愛すようなそのかたちが
未だに根本的にはわからない。
人は好きなものを愛するのだと思ってしまいます。

好き嫌いや是非を超えた愛があるとしたら
私の母の愛はまさしくそれでした。

私を傷つけるものは許さない、といい
だから自分を傷つける私を許しませんでした。

母が他界したことで
私の生活が急に変わることはないでしょう。
私は間違った男に抱かれた
間違った身体のまま
母の棺が火葬場に入っていくのを見送りました。

抗がん剤の治療で体力も衰えていた頃、
銀座でうきうきとカツラ選びをしていた母に最後に化粧してあげました。
彼女は最期まで、
人間の、女性の、
本質的な美しさについて考えていました。

ロングヘアが好きだった母は結局カツラはあまり気に入らず、
私がたまたま鎌倉でかぶっていた
もらいもののRadyの(笑)帽子を
気に入って横取りしてかぶっておりました。


そんな母の葬儀にダサい喪服もなんなので
FOXYのNYラインの真っ黒のワンピース
を着ました。
生前は私の服にしょっちゅう文句を言っていて、
改善のためによく一緒に買い物にいきました。
FOXYやナラカミーチェ、Theory Luxe。
そういえば祖父の葬儀も
2人で、喪服じゃない
BCBGのセットアップで出ました。

すっかりしょぼくれてる父と祭壇を作った後、
新宿の部屋に戻ると
そこは相変わらず私の好きな
間違ったくだらない光景が変わらず広がって、
私を必死に笑わせようとしてくれる人が
全身マッサージしてくれました。

うん、週末にでも一度鎌倉に帰って、
母のバッグでももらってきます。

締め切りとマメな連絡を大切にね❤︎すずみ

昨晩、ホリジュンさんとウーマン村本さんMCのAbemaプライム、コーナー出演しました

一応報道番組だから白ジャケット、
でも元セクシー女優としてコーナー出演だったから中はセクシーワンピで。

で、その帰り道、タクシーの中で電話があり
元々最近すごく具合が悪かった母が危篤状態になり
慌ててかけつけ、先ほど看取りました。

3日前、モルヒネの影響で
ほとんど言葉の意味がわからなくなった母が
いい娘をひとり育てた、幸せだった、
と最後の言葉をくれました。

物書きとしても女としても
まだまだ教えて欲しいことはたくさんあったけど、
病気と戦って負けてしまいました。
「身体を売ったら〜」を出版した頃は
「あなたよりあなたの母上のファンになりました」というご感想をいろんな方から頂きました。


母の教えてくれたことは
また本にも書きたいと思います。
感情的で、女性的で、
70年代っぽくて、議論好きな
いかした母親でした。
母親の言葉を残せるのだから、
本当に物書きでよかったなぁとなんかちょっと思ってます。

夫も娘も不良だったけど、
不良になりきらなかったのは
母親のおかげです。

娘を元セクシー女優の謎な物書きにしたことを
母は教育者としても子どもの本の専門家としても
非常に重く受け止めていたけれど、
間違いなく彼女は一流の教育者でした。

最近は
病院とおうちの往復で
毎日陰鬱な顔して病院から帰ってくる私を支えてくれた人にも感謝します( ´•̥_•̥` )

珍しい二連休、
息抜きしようや〜って車借りようとしたらうっかり土曜日で、
職安通りのレンタカー屋さん、
そういえば平日しか行ったことなかったから、
軽トラしかありません、て言われて
でもせっかくおうち引きこもらず外出たことだし、
励まそうとしてくれてるのか、
カラオケとかゲーセンとか
高校生みたいなデートして、
ゲーセンでめっちゃアツくなって
2000以上かけてとってくれたリラックマが妙に愛おしく思えたり。


毎日ケーキとピルクル買って帰ってきてくれたり。
ご飯つくる元気ない時は
にいむらにとんかつ食べに連れてってくれたり。
側にいてくれる人がいて救われました。

母はいつも、
社会をなめるな世界をなめるな結構きびしいぞ、
女ひとりで泳ぎきる立派な人もいるけど、
大切な人と一緒の方が、
絶対楽しいよ、
と言っていました。

彼女はパワフルな人だったから、
人の和やら空気感とか大事にするタイプの私は
そんなところはすごく昔は嫌だったけど、
中身はとても慎ましく恋に生きていて、
さすがは児童文学者だと思うほどにファンタジックな人でした。

うん、
本当はもっと意識がはっきりしてる時、
母との時間を大切にすべきだったし、
すっかり弱気になった彼女には
もっと優しい言葉をかけてあげたかったけど
でも33年間、
染み付いた彼女の教えを私が生き抜くことで
魂を死なせないことなら
これからもできるかな。

がん検診と親を大切にね❤︎すずみ

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