お知らせ

今日、六本木でミーティングの時間待ってる時にちょうどこれ生放送で見てて、
f.m.pとかめっちゃ面白かったんだけど、
事前アンケートの結果や
出演者の方の考えを聞いて、
大変驚きました。
というかそもそも事前アンケートで
男女の友情は成立しないと答えたのが
たったの13%って。

私は確実にアンケートを埋める立場であればNOと答えたでしょう。
ちんこついてるひとに友達とか言われても。
友達って同性間の関係性をさす言葉でしょ…

ただ、私は反射的に多分そう答えてしまいますが
多分、これ成立する、しないで考えてないですね。
私はおそらく、
男友達が欲しいか欲しくないかで考えています。
その次元の問いは
たぶん成立するかしないかという考えにも大きく関係はするけど、
けしてイコールではないですよね。

だからまず私の立場をいうと
私は男友達は別にいらない
いらないので作ろうと努力もしたことない
だから頑張れば成立するかどうかなんて知らない
ということですな。
異性について「お友達でいましょ」「お友達から始めましょ」っていうのは
単にまわりくどく断ってる言葉である、と思ってます。

例外はあります。
一番わかりやすいのはゲイ。
ゲイの友人にとって私はヘテロな女友達にとっての私と同じように性の対象じゃないですからね。

あと、男女混合の友達グループ、
というのはあり得ると思ってます。
例えば高校のクラスメイトで飲んだり
大学時代の仲間や会社の同期で集まったりする時
そこにいる男子たちは友達と呼べる。
ただ、そこにいる男子たちであっても
基本的に普通にただ友達として二人で遊ぶとか食事をすることとかないです。
女の子とは当然あるし、ゲイの子ともあるけど。

あと、私は彼氏とかに対して愛情と同時に並々ならぬ友情も感じてるので、唯一の男友達でもありますね。

男と女の関係性はもちろん
恋人同士、夫婦、親子以外にもありますよね。
師弟関係とか、客とか、雇い主とかマネージャーとか。仕事関係ってのが一番多いかな。
でも例えば直接的な仕事でなくて二人で会うとなったら大抵は
・相手が私に好意がある
・私が相手に好意がある
・お互い好意がある
・何か利用目的がある
のどれかじゃないですか。

で、3番目ならとっとと付き合えって感じなので
どーでもいいとして
女の子はよく1番目を男友達とカウントする、
つまり自分は興味ないけど自分のことを好きな男を友達という名目でキープする。
まぁそういう男子たちは便利ですからいいんだけど
それを私は友達とカウントはしてないですね。
女にとっての優しい男って
男にとってのやらせてくれる女みたいなもんです。
友達じゃないな。10割奢ってくれるし。

あとは2番目の場合に
友達という関係に甘んじるということがありえます。
相手は自分に興味ないっぽいけど会えないとか一緒に遊べないくらいなら友達として側にいたい!的なやーつ。
でも自分に興味ない男ってよその女の子は口説いてセックスしてデートしてるわけですよ?
そんなやついらないっしょ。
私は私のこと女として見ない男も
私にキョーミない男も嫌いだっっ。
大体、キョーミない友達と思われながら側にいたら
こっちの気持ちはなかなか冷めないじゃん
世の中に男はいっぱいいるので
そんなひとの友達に甘んじて時間を浪費するより
甘やかしてくれる人を見つけた方がいいとおもっちゃいますね。

で、これは私もよくあるんですが、4番目。
女の子の場合は1番目と重なるところも多いんだけど、
相手と二人で会うことで何らかの利益を得ようとするやつ。
まぁこれはもちろん友達でもなんでもないですね。
パパ活とまでいかなくても
例えば人事権のある先輩とご飯行くとか
女優がプロデューサーさんとご飯行くとか
まぁそれも、指先ひとつ触れずにセックスを売ってるようなものなので、
オトモダチデス、なんていうのは寝言ですよね。
_var_mobile_Media_DCIM_101APPLE_IMG_1193.JPG
というのが私の意見。
女友達は大好き。
二人で会う男性は
彼氏、親、マネージャー、編集者、、くらいですよ。
彼氏がいなければ前述の一番にあたる男子たちとよく会いますし、
以前は前述の四番にあたる人々、つまり広義の客とはもちろんしょっちゅう会ってましたが。

でもさっきのニコ生見てたら
自分の中の男性っぽさを隠して女友達を作るとか
自分の中に眠ってる男っぽさを前面に出して音の友達を作るとか
私の理解の範疇を超えた感覚の方もいて
むしろ私の意見も極端に偏っているのかも
と大変勉強になりました。

一番面白かったのは
異性友達には性的な目で見られたくない
という感覚ですね。
えー!
ヘテロでちんこついてる人にクリアに非性的な目で見られたらなんかムカつくけど。

まぁ、成立するかしないかは議論になるけど
欲しいか欲しくないかだとそれぞれどうぞお好きにという話なのですが。

人間はつがいになりがちなので、
自分の感覚が問題となるのは
つがいの相手、つまり彼氏彼女のあいだで
立場の齟齬が生じた場合くらいですね。

というかね、
心が狭いとかじゃなくて
異性友達別にいらない派、
としては、欲しいという感覚がよくわかんないんですよ。
グループでワイワイ仲良く、そこには女も混じってる、とかならわかりますよ。
でも女と二人で行くような場所には私を連れてけばいいし、
私以上に一緒にいたいひとがいるならとっととそっちと付き合えばいいし、
私の方が好きなら2番目3番目の女にさく時間を私にさいたほうがいいじゃん、
ということは異性と二人で会うことなんて一切必要なくない?
、、、などと言うと大抵すごい軽蔑の目で見られたりケンカになったりするのですが、
少なくとも私は心からそう思ってます。

異性間の友情・友達、というのは
何か不都合なことを隠すためのコトバ
というのが私の持論。
_var_mobile_Media_DCIM_101APPLE_IMG_1087.JPG
新刊発売中♪

電気と女友達を大切にね❤︎すずみ

もろもろサボりすぎて昨年は文庫化を除いて一冊も本を出していないので、
今年、
最低でも3冊本が出なかったらペンネームを東条まやにするくらいのペナルティは覚悟してます鈴木です。

_var_mobile_Media_DCIM_108APPLE_IMG_8612.JPG

さて、その第一弾が5月25日幻冬舎より発売されます。
↓五月に入り先行予約がスタートしたのでおしらせします。


こちらは、
一応「身体を売ったら〜」の続編というか

前作が夜のお姉さんの恋バナやら女の子同士の猥雑な感じを
女の子同士特有のひたすら脇道にそれてそれてまとまらない会話を模した文体で綴ったものだったのですが

本作は夜のお姉さんの親子関係を
母親と不貞腐れた子供のぼそぼそ煮え切らない会話を模した文体で綴りました。

半分は幻冬舎プラスで連載していたコラムの収録
半分は書き下ろしました。

基本的に
連載分は私の友達やすれ違ってきた女の子たちの親との話
書き下ろしたのは自分と母親と母親の死についてです。

_var_mobile_Media_DCIM_108APPLE_IMG_8575.JPG

ひとが書くものというのは
常に自分を投影したものでしかなく
対象と自分との関係を記したものとなるわけですが、
対象を自分に設定すると
自分の意識と自分との関係に切り込むわけですから
私は大変苦手です。
自分について書くというのが。

そもそも
その人自身の話って
ただその人自身の話ってだけでは
面白くないじゃないですか。
私はこういう人です
と言われても
知らんがなと思います。

普遍性のない個人的な話をするべきか否かという迷いを抱えながら書くくらいならば
目の前の灰皿について延々と書いていた方が
結局は自分について分かることは多いような気もするのですが、
今回の本では自分の話をかなりの枚数さいて書きました。

_var_mobile_Media_DCIM_108APPLE_IMG_8517.JPG

お尻の穴見せるより恥ずかしいですよ。
いや、まぁお尻の穴見せるのが全然恥ずかしくないという私の性質もあるけど。
ただ、
良くも悪くも私に大して影響力のあった母親を昨年亡くしてみて、
母親と娘の関係とはなんて皮肉でなんて複雑でなんて素晴らしいんだと思ったからです。

1〜3部で構成される本ですが
第3部はほぼ全て書き下ろしですので
連載読んでくださっていた方にも飽きずに読んでいただけると思います。

あと、これはいつものことですが、
私は脚注を1つのコラムと思っているので
大量につけた注もぜひ読んでください。

母親を
愛したくても愛せない
憎みたくても憎めない

自分に
優しくしたいのに優しくできない
嫌いたくても嫌えない

全ての人へ。

ちなみに7月発売予定の本は
がっつりおじさんの悪口を書き連ねた本なので
母娘ものを読んでしんみりし終わったら
ぜひそちらで口直しして
偽悪的に強かに生きましょう♪

_var_mobile_Media_DCIM_108APPLE_IMG_8455.JPG

全然関係ないけど、
今日も聞かれたんですけど
すずきすずみ
って本名じゃないからね?
本名すずきみどりだから。
さすがにそんな野比のび太みたいな名前じゃないっすよ。

電気と親を大切にね❤︎すずみ

突然ですが。
私はパロディが大好きです。

_var_mobile_Media_DCIM_106APPLE_IMG_6368.JPG

特に言葉遊び的なパロディは好きで
(「白い恋人」→「面白い恋人」的なもの)
前著「身体を売ったらサヨウナラ」のタイトルは
勿論、「地雷を踏んだらサヨウナラ」をパロってるわけですが、
出版当初
「かなりショッキングなタイトルですがどういう気持ちでつけたんですか?」と
聞いてきたライターさんが
そもそも一ノ瀬泰造を全く知らなくてショックでした。

説明するのは野暮ですし、
私の読者の方ってほぼ教養人なので聞くに耐えないかもしれないですが
もう2年前の著作なのであえて言えば
身体を売ったら〜のタイトルは
一ノ瀬泰造が歩いた地雷だらけのカンボジアに夜の福富町や歌舞伎町をなぞらえ
幸福をアンコールワットに例えたわけで、
語呂とリズムの良い、
一度聞いたら忘れないそのタイトルを文字って、
本の中身を示唆したわけです。
勿論、本家を知っている人は
以上のことを説明しないでもわかります。
というか、そういうある程度多量な情報を
コンパクトに詰め込む際に
言葉遊び的なパロディはとても便利です。

ちなみに身体を売ったら〜は
コラム集ですが、中のコラムの見出しも
ほとんどが有名なタイトルや一節をパロったものです。元ネタをわざわざ書きます。
これからの性器の話をしよう→これからの正義の話を話をしよう(サンデル)
嫁さんになれよだなんてドンペリニョン二本で言ってしまっていいの→「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの(俵万智)
歌舞伎丼の女王→歌舞伎町の女王(椎名林檎)
モテない男は麦を食え→貧乏人は麦を食え(池田勇人)
愛情はふる 槍がごとく→愛情はふる星のごとく(尾崎秀美)
なんとなくで、クリスタル?→なんとなく、クリスタル(田中康夫)
24のヒトミちゃん→二十四の瞳(壺井栄)
などなど。

私の最も敬愛する作家に
井上ひさしさんがいます。
戯曲も小説も好きですが、
彼の作品には随所に絶妙なパロディがでてきたり
有名な作品のパロディ作品であったりしてとても楽しいです。
吉里吉里人には「失われた記憶を求めて」という小説が登場します。

また、私の最も好きな海外小説は
「うたかたの日々」(日々の泡)
なんですが、
そこにもJ.S.パルトルという学者がでてきます。

パロディといっても色々あって、
赤ずきんなど世界的に有名な物語には
たくさんのパロディがありますし、
文字遊びではなく物語や世界観そのもののパロディもあります。
オースティンパワーズなんて大好きです。
シュレックもものすごくよくできています。
ちなみに私のデビュー作
「AV女優の社会学」は
社会学やフィールドワーク自体をちょっとパロったようなところがあります。

パロディがパロディとして有効であるためには
著者も読者も元ネタを知っていて
もちろん元ネタが元ネタであるということも了承していて
さらに元ネタについてのマスイメージを共有していることが重要です。
当たり前のことですが、
それなりに高度な遊びであるわけです。
読者に求められる前提としての教養が必要なわけだから。
「家政婦は見た!」をみんなが知っているから
「家政婦のミタ」が面白いわけです。

そもそも本家を知らないとワケがわかりません。
前提として元ネタを知っていてそれを元ネタとして採用していることに読者の合意があることがパロディの条件で、パクリとは全く違うところです。
パロディは読者にも作者にも高度な読み技術書き技術を求めます。
ただのワナビーにそんな高度なことはできません。
で、パロディをパクリって言っていたり
パクっただけのものをよく言えばパロディなんて言っていたりするのは貧しいことです。
よく言えば、とかじゃなく
全く違うものです。

パクリをするひとは
「みんなが元ネタを知らない」と思っている、もしくは知らないといいなと思っていて、
パロディをするひとは
「みんなが元ネタを知ってる」と思っている、もしくは知ってると面白いなと思っている。
対極です。

また、借用というのも引用というのもあります。
引用は言わずもがな
出典を明記し、
自分の論を保管したり強化するために
或いは引用元に反論したり疑問を唱えたりするために
人の文章を載せることです。

借用というのも私はよくやります。
概念や造語を借用しますし、
タイトルごと借用したりします。
前出身体を売ったら〜のコラムタイトルは
パロディもありますが名作そのままのものもあります
大人はわかってくれないは、漢字をひらがなにしただけでトリュフォーの映画の日本版タイトルを借用しました。
ハートのエースが出てこないもしかり。
キャンディーズの名曲のタイトルのエースをホストのエースになぞらえたわけです。
また、
パラサイトシングル・婚活(山田昌弘さん)
草食男子(深澤真紀さん)
プロ彼女(能町みね子さん)
などの言葉も多用します。
あと、もともとはアラウンド40.というドラマから一般的に使われるようになったアラフォーアラサーもものすごく使います。
峰なゆかちゃんのアラサーちゃんが大好きなので
あれを読んでからさらに使うようになりました。

こちら借用の方も
作り手にかなり技術がないとパクリと言われる可能性はあります。
新しい造語については勿論みんな考案者に敬意を評して使うわけですが
いちいち引用元を書かないことも多いし
さらに素晴らしく言い得て妙な言葉は一般名詞化したものも多いですよね。中二病とかイタイとか。
いろんな情報が錯綜し、また色んな人が発信者になりうる時代に
これは私が最初に言ったという主張、
パクられたパクったという争いは止みませんし
もともと誰かが考案した概念についてもこういう意味で言ったわけじゃない
という思いにかられることも多いと思います。
そういう争いは大いにやるべきだし
うまいこと乗っかろうとする安易な借用やパクリ上手には食いつくべきです。

先日も私の親友の婚活アドバイザーが以前営利目的ではない教材に書いた文章を
大手の団体がまるでその団体の代表のカリスマが考えたことのように勝手に使用しているということがあり、
私はバキバキに怒っています。
パクリの最も悪質であるものは
そういう、それほど名前を売っていない作者のものを
名前が売れたものが勝手に使うことですよね。
逆ならただのワナビー、ファン、信者で片付けられるけど。
そんなことがあって熱くなってこんな長いブログ書いちまったよ。

そして私の何よりの願いは、
そういう風潮に
上質なパロディやオマージュなどが巻き込まれないようにしたいですよね。ということ。
パロディがパクリって言われたらものすごくつまらなく思います。

パクリだとか悪用と言われがちな書き手は、パロディなんていう高度なことはできない人たちがほとんどかと。
借用を認めてもらえるほどの人間力がなかった、とか。
まぁ、ちょっとしたことでパロディやアイデア借用してわざとかぶせたのをパクリと言われることもあるか…炎上社会ですものね。

なんか長くなってしまいました。
とにかく私は
ただのライターやツイッタラーに何かパクられても軽蔑こそすれ文句を言ったことはないが
経験はないけど有名な人にパクられたら怒るよ(*˙꒳˙*)‧⁺✧*

_var_mobile_Media_DCIM_106APPLE_IMG_6613.JPG

そう言えば
以前必ずブログの最後につけていた
〇〇と✖︎✖︎を大切にね❤︎
も勿論東電のパロディですね。

大事なのは愛と敬意と教養があることですよ。
リスペクトでんこちゃん!

↑このページのトップへ