もろもろサボりすぎて昨年は文庫化を除いて一冊も本を出していないので、
今年、
最低でも3冊本が出なかったらペンネームを東条まやにするくらいのペナルティは覚悟してます鈴木です。

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さて、その第一弾が5月25日幻冬舎より発売されます。
↓五月に入り先行予約がスタートしたのでおしらせします。


こちらは、
一応「身体を売ったら〜」の続編というか

前作が夜のお姉さんの恋バナやら女の子同士の猥雑な感じを
女の子同士特有のひたすら脇道にそれてそれてまとまらない会話を模した文体で綴ったものだったのですが

本作は夜のお姉さんの親子関係を
母親と不貞腐れた子供のぼそぼそ煮え切らない会話を模した文体で綴りました。

半分は幻冬舎プラスで連載していたコラムの収録
半分は書き下ろしました。

基本的に
連載分は私の友達やすれ違ってきた女の子たちの親との話
書き下ろしたのは自分と母親と母親の死についてです。

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ひとが書くものというのは
常に自分を投影したものでしかなく
対象と自分との関係を記したものとなるわけですが、
対象を自分に設定すると
自分の意識と自分との関係に切り込むわけですから
私は大変苦手です。
自分について書くというのが。

そもそも
その人自身の話って
ただその人自身の話ってだけでは
面白くないじゃないですか。
私はこういう人です
と言われても
知らんがなと思います。

普遍性のない個人的な話をするべきか否かという迷いを抱えながら書くくらいならば
目の前の灰皿について延々と書いていた方が
結局は自分について分かることは多いような気もするのですが、
今回の本では自分の話をかなりの枚数さいて書きました。

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お尻の穴見せるより恥ずかしいですよ。
いや、まぁお尻の穴見せるのが全然恥ずかしくないという私の性質もあるけど。
ただ、
良くも悪くも私に大して影響力のあった母親を昨年亡くしてみて、
母親と娘の関係とはなんて皮肉でなんて複雑でなんて素晴らしいんだと思ったからです。

1〜3部で構成される本ですが
第3部はほぼ全て書き下ろしですので
連載読んでくださっていた方にも飽きずに読んでいただけると思います。

あと、これはいつものことですが、
私は脚注を1つのコラムと思っているので
大量につけた注もぜひ読んでください。

母親を
愛したくても愛せない
憎みたくても憎めない

自分に
優しくしたいのに優しくできない
嫌いたくても嫌えない

全ての人へ。

ちなみに7月発売予定の本は
がっつりおじさんの悪口を書き連ねた本なので
母娘ものを読んでしんみりし終わったら
ぜひそちらで口直しして
偽悪的に強かに生きましょう♪

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全然関係ないけど、
今日も聞かれたんですけど
すずきすずみ
って本名じゃないからね?
本名すずきみどりだから。
さすがにそんな野比のび太みたいな名前じゃないっすよ。

電気と親を大切にね❤︎すずみ

突然ですが。
私はパロディが大好きです。

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特に言葉遊び的なパロディは好きで
(「白い恋人」→「面白い恋人」的なもの)
前著「身体を売ったらサヨウナラ」のタイトルは
勿論、「地雷を踏んだらサヨウナラ」をパロってるわけですが、
出版当初
「かなりショッキングなタイトルですがどういう気持ちでつけたんですか?」と
聞いてきたライターさんが
そもそも一ノ瀬泰造を全く知らなくてショックでした。

説明するのは野暮ですし、
私の読者の方ってほぼ教養人なので聞くに耐えないかもしれないですが
もう2年前の著作なのであえて言えば
身体を売ったら〜のタイトルは
一ノ瀬泰造が歩いた地雷だらけのカンボジアに夜の福富町や歌舞伎町をなぞらえ
幸福をアンコールワットに例えたわけで、
語呂とリズムの良い、
一度聞いたら忘れないそのタイトルを文字って、
本の中身を示唆したわけです。
勿論、本家を知っている人は
以上のことを説明しないでもわかります。
というか、そういうある程度多量な情報を
コンパクトに詰め込む際に
言葉遊び的なパロディはとても便利です。

ちなみに身体を売ったら〜は
コラム集ですが、中のコラムの見出しも
ほとんどが有名なタイトルや一節をパロったものです。元ネタをわざわざ書きます。
これからの性器の話をしよう→これからの正義の話を話をしよう(サンデル)
嫁さんになれよだなんてドンペリニョン二本で言ってしまっていいの→「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの(俵万智)
歌舞伎丼の女王→歌舞伎町の女王(椎名林檎)
モテない男は麦を食え→貧乏人は麦を食え(池田勇人)
愛情はふる 槍がごとく→愛情はふる星のごとく(尾崎秀美)
なんとなくで、クリスタル?→なんとなく、クリスタル(田中康夫)
24のヒトミちゃん→二十四の瞳(壺井栄)
などなど。

私の最も敬愛する作家に
井上ひさしさんがいます。
戯曲も小説も好きですが、
彼の作品には随所に絶妙なパロディがでてきたり
有名な作品のパロディ作品であったりしてとても楽しいです。
吉里吉里人には「失われた記憶を求めて」という小説が登場します。

また、私の最も好きな海外小説は
「うたかたの日々」(日々の泡)
なんですが、
そこにもJ.S.パルトルという学者がでてきます。

パロディといっても色々あって、
赤ずきんなど世界的に有名な物語には
たくさんのパロディがありますし、
文字遊びではなく物語や世界観そのもののパロディもあります。
オースティンパワーズなんて大好きです。
シュレックもものすごくよくできています。
ちなみに私のデビュー作
「AV女優の社会学」は
社会学やフィールドワーク自体をちょっとパロったようなところがあります。

パロディがパロディとして有効であるためには
著者も読者も元ネタを知っていて
もちろん元ネタが元ネタであるということも了承していて
さらに元ネタについてのマスイメージを共有していることが重要です。
当たり前のことですが、
それなりに高度な遊びであるわけです。
読者に求められる前提としての教養が必要なわけだから。
「家政婦は見た!」をみんなが知っているから
「家政婦のミタ」が面白いわけです。

そもそも本家を知らないとワケがわかりません。
前提として元ネタを知っていてそれを元ネタとして採用していることに読者の合意があることがパロディの条件で、パクリとは全く違うところです。
パロディは読者にも作者にも高度な読み技術書き技術を求めます。
ただのワナビーにそんな高度なことはできません。
で、パロディをパクリって言っていたり
パクっただけのものをよく言えばパロディなんて言っていたりするのは貧しいことです。
よく言えば、とかじゃなく
全く違うものです。

パクリをするひとは
「みんなが元ネタを知らない」と思っている、もしくは知らないといいなと思っていて、
パロディをするひとは
「みんなが元ネタを知ってる」と思っている、もしくは知ってると面白いなと思っている。
対極です。

また、借用というのも引用というのもあります。
引用は言わずもがな
出典を明記し、
自分の論を保管したり強化するために
或いは引用元に反論したり疑問を唱えたりするために
人の文章を載せることです。

借用というのも私はよくやります。
概念や造語を借用しますし、
タイトルごと借用したりします。
前出身体を売ったら〜のコラムタイトルは
パロディもありますが名作そのままのものもあります
大人はわかってくれないは、漢字をひらがなにしただけでトリュフォーの映画の日本版タイトルを借用しました。
ハートのエースが出てこないもしかり。
キャンディーズの名曲のタイトルのエースをホストのエースになぞらえたわけです。
また、
パラサイトシングル・婚活(山田昌弘さん)
草食男子(深澤真紀さん)
プロ彼女(能町みね子さん)
などの言葉も多用します。
あと、もともとはアラウンド40.というドラマから一般的に使われるようになったアラフォーアラサーもものすごく使います。
峰なゆかちゃんのアラサーちゃんが大好きなので
あれを読んでからさらに使うようになりました。

こちら借用の方も
作り手にかなり技術がないとパクリと言われる可能性はあります。
新しい造語については勿論みんな考案者に敬意を評して使うわけですが
いちいち引用元を書かないことも多いし
さらに素晴らしく言い得て妙な言葉は一般名詞化したものも多いですよね。中二病とかイタイとか。
いろんな情報が錯綜し、また色んな人が発信者になりうる時代に
これは私が最初に言ったという主張、
パクられたパクったという争いは止みませんし
もともと誰かが考案した概念についてもこういう意味で言ったわけじゃない
という思いにかられることも多いと思います。
そういう争いは大いにやるべきだし
うまいこと乗っかろうとする安易な借用やパクリ上手には食いつくべきです。

先日も私の親友の婚活アドバイザーが以前営利目的ではない教材に書いた文章を
大手の団体がまるでその団体の代表のカリスマが考えたことのように勝手に使用しているということがあり、
私はバキバキに怒っています。
パクリの最も悪質であるものは
そういう、それほど名前を売っていない作者のものを
名前が売れたものが勝手に使うことですよね。
逆ならただのワナビー、ファン、信者で片付けられるけど。
そんなことがあって熱くなってこんな長いブログ書いちまったよ。

そして私の何よりの願いは、
そういう風潮に
上質なパロディやオマージュなどが巻き込まれないようにしたいですよね。ということ。
パロディがパクリって言われたらものすごくつまらなく思います。

パクリだとか悪用と言われがちな書き手は、パロディなんていう高度なことはできない人たちがほとんどかと。
借用を認めてもらえるほどの人間力がなかった、とか。
まぁ、ちょっとしたことでパロディやアイデア借用してわざとかぶせたのをパクリと言われることもあるか…炎上社会ですものね。

なんか長くなってしまいました。
とにかく私は
ただのライターやツイッタラーに何かパクられても軽蔑こそすれ文句を言ったことはないが
経験はないけど有名な人にパクられたら怒るよ(*˙꒳˙*)‧⁺✧*

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そう言えば
以前必ずブログの最後につけていた
〇〇と✖︎✖︎を大切にね❤︎
も勿論東電のパロディですね。

大事なのは愛と敬意と教養があることですよ。
リスペクトでんこちゃん!

三月なのに寒いですね。でも、結局床暖房のおかげで一度も部屋のエアコンをつけないまま冬が越せました。
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文春オンラインの自分の連載のアップ日を失念してしまったため、出版社のアカウントから探そうと思って「鈴木涼美 文春」と検索をかけたら、こういうツイートがありました。

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はて、私って不倫したっけ…
と一瞬思いましたが、
思い起こせば日経新聞退職直後に文春の取材を受け
「元日経代表記者はAV女優だった 父は有名哲学者」
という見出しの記事を書かれたことがありました。
おそらくこの方はそのことを覚えてくださってるのかと。

その時の話は直後にリテラというウェブサイトに書いた原稿が残っていて、
さっき久しぶりに読んだらものすごく筆圧が強くて当時は確かに私の生活に大きなショックであったことは思い出しました。
リテラの記事は↓です。


そういえば
後輩の女の子からも以前、
「文春ってあれだけひどいことしておいてよく連載なんて頼んできたね」
と言われて驚いたことがあります。

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というか思い出せば報道当時から
一応書かれた本人であるワタシよりも
まわりのフェミ寄り左巻きの人たちが
かわりに怒ってる、という印象がありました。

そんな話は以前産経のイロンナに書いた記事があるので↓こちらもよかったら。


それはそうと、
私にとって
週刊文春で過去に記事になったことと
文春の編集者さんと仕事をしていることは
まったく矛盾なくそれぞれ独立しているのだけど
それは一部の人にとっては
節操がなかったり信じられなかったりするようでした。

そう考えると、
ではなぜ私にとってそれが問題がないか
ということについて整理してみたくなります。
いくつか考えうることはあります。

第一に、
報道機能をもっている会社といえど一枚岩ではない
ということをワタシは身を以て知っている。

以前、私が新聞社の記者として都庁クラブに所属しながら、
いわゆる新聞の地方ニュース面(私の場合は日経東京面)を主に執筆していた頃、
日本経済新聞社の発行する媒体に書かれた一本の記事のせいで、
一瞬、大変困ったことがあります。

問題となった記事は勿論別に何かをひぼう中傷するものでも誤報でもない。
ネットショッピング産業の急成長のデータをまとめた、おそらく(ちょっと記憶が曖昧なので不正確だったらごめんなさい)消費産業部がメーンの執筆を担う日経MJの記事でした。
別になんの変哲も無い…といったらそれはそれで執筆記者に失礼ですが、
日経によくありそうな
楽天の売り上げがこれだけ伸びていて
アマゾンはどうでゾゾタウンはこうで
ネットスーパーのような新サービスも色々始まって…
みたいなまとめ記事だったと思います。

ただ記事についていた見出しのひとつに
「百貨店はもういらない?!」
というものだったのです。
新聞では大きな記事だと見出しが三本くらいたち、メーンと柱とソデとかいいますが、たぶん柱見出しだったんでしょうね。
で、一部の業界団体が一時、
日経新聞への取材協力を控えるよう所属企業にアナウンスしたわけです。
地方ニュース面というのは
地元の百貨店が改装するとかこんな催事をやってるとかっていうことをよく扱いますから
一応、地方部にいた私も取材を控えざるを得ないことになりました。(結局は、謝罪などでその緊張状態は解除されました)。

私は私で百貨店の広報の方と築いてきた信頼関係がありますし、
広報の方もそれは理解してくださって
その後もたくさんの取材協力をいただきましたが、
その時には明日は我が身で
自分の書いた記事が会社全体の取材機能を停止してしまう可能性があることを実感するとともに、
正直、やや腹立たしいと思うこともありました。
私が書いた記事でないのは勿論ですが、
あれだけ厚みのある媒体を毎日いくつも発行している会社では隣の部がどんな見出しで何を書いてるかなんて末端の記者はそれこそ刷り上がりを見ないとあまり把握してないのです。

属人的要素が強い仕事ですから
嫌な記者もものすごく下手な記者も失礼なのもデキナイ奴もいますし、
優秀で気さくで鋭い記者もいるわけで、
一度会った日経記者が超馬鹿でひどい奴だったから日経とらない、とか日経と仕事しない、
というのは、
私個人の考えでは勿体無いということになります。
もちろん、そういう選択をする人はする人で自由ですが。

以前、鈴木涼美としてAmebaブログでオフィシャルブログを開設しようとして事務所を通してお伺いをたてたら、
経歴その他諸々の事情で断られたことがありますが、
母体が同じAbemaTVにはとてもよくしてもらっています。
会社ってつくってるのが人だから一枚岩になることはそうないんじゃないかと。

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第二に、
これも少しさっきの話と似ていますが
見出しと記事はある程度独立しているという事情を知っているということがあります。

私は5年半の新聞社生活で
出稿部(外で取材し記事を書く部署)に四年、
整理部(紙面編集して見出しをつけ新聞自体をつくる部署)に一年半いました。
整理部の仕事の方が好きだったという話は以前もどこかで書きましたがそれは今どーでもよくて、
つまり原稿を書いているのと
見出しをつけているのは違う人間で
そのどちらにもその論理があるということです。

原稿を書いている人間は
もちろん現場の空気を知っていますし、
実際に人に会って話し、
憎んだり同情したり愛したりします。
新聞ですから基本的にそれほど何かに肩入れするような記事は載りませんが
もちろん、思いがあって記事を書くわけです。
思い入れがあるものもあります。
批判的な流れの中でも真摯に書こうとすることもあれば
やや皮肉をこめて書くこともあります。
詳しくいうとその後にキャップやデスクの鬼のような直しが入ることもあり、整理部に届いた時には自分が書いたものとは全然別のものになってることも多いのですが、割愛。

整理部の仕事はその記事のエッセンスを瞬時に11文字以内に押し込めるということでもありますが、
読者の目を引く、分かりやすい、面白い、おしゃれなものにするのも仕事です。記事の編集権もあるので、後ろの方の長ったらしいところはカットして載せることもあります。

現場の空気を吸ったばかりで熱っぽい出稿記者と
部屋で面白い紙面、目を引く見出しをひたすら考えている整理部記者はぶつかることも多く
こんな見出しつけないでほしいと思う取材現場の記憶も
紙面全体を考え何より読者の方を向いている編集現場の記憶も
結構なまなましく覚えています。

だから私は
例えば取材時に面と向かって話をした記者が思うように原稿を記事化していないのを知っており、
タイトルや見出しになるべくごまかされず
記事の内容もよく読むタイプです。
たとえばその文春の記事や
同時期に記事がのっていた週刊大衆の記事も
よく読みました。
よく読むと、
記者の良心のようなものが三文字くらいは見つかるもので、それはそれで結構ほっこりした気分になりますし、個人に対して攻撃的な気分にはなりません。

で、
逆に明らかに嫌いで馬鹿な個人がいたら、
その人と仕事をしなければいい
というのも真理で、
何も大きな会社全体を毛嫌いしないでもいいというのも整理部時代に勉強しました。
このエトキを書いたやつとだけは仕事しません!とかね。
それはそうすればいい話です。

私は
誇張癖のある、ポエマー気取りの、才能がないが故に凝った表現が好きなライターにインタビューを書かれるのは嫌ですから
そういう個人に仕事オファーをされたら断ります。

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第三に、
これが一番重要なことですが
報道の自由の法のもと、
報道する側の最後の良心を信じていることです。

言うまでもないが
なるべく最大限まで報道の自由を支持したい。
それは報道機関にいた人間として当然です。
例え自分に火の粉がかかり、
末期癌の母親に「あなたの騒動のせいで癌が倍の大きさになった」と言われた時も、
その母がその想いのまま死んでいったのを見た時も
その気持ちは特に変わりませんでした。

自由というのはものすごく厳しくて
記者やカメラマン個人個人が負うべき覚悟や持つべき良識が問われます。
それが担保されないのなら自由は後に奪われるでしょう。

私は、
取材者を志すものなら
日々の雑務に追われて見えなくなることこそあれ
その自由を支持し、支持するが故に自分を律しようと奥底で思っている、、、
と、同業者のよしみで思っているわけです。

で、その覚悟と見識の上で取材執筆をしてるのであれば、
自分の意にそぐわないものでも圧倒的に認めようと……
まぁ努力はしています。

こんな記事も書いたことがあります。


おまけの第四に、
私はエンタメとしての週刊誌的なもの
紙媒体としての雑誌を本当に愛しているし、
ゴシップも悪口も好きなので
自分のことだけ正しい反論をしようなんていう気はもともとなく、それをしてしまうと
私という俗っぽい人間が成立しないというのがあります。
だから、文春(実は個人的にはあまり恨みがない)も現代(実はちょっと個人的には恨みがある)も、まだ読んでいますよ。
読んでいますし、連絡がきても出ない!仕事しない!とか思ったことはないです。
そもそも雑誌なんて編集長がかわれば一気に雰囲気がかわる可変物ですから
それ自体を長くうとましく思っていたら面白いものを見逃します。 

さらに関係ないけどさ、
↓TENGAさんにもらったirohaの新商品で、女性用デリケートゾーンソープ。そんなに興味なかったんだけど、使い始めてから、どんなにムレるストッキングはいてもあそこがムレなくなりました。フレッシュという方がおすすめ。

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報道の自由とおまむこを大切にね❤︎


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