10月前半にあったリリース、リリースツアーのときも沈黙を守り続けたこのブログの封印を久しぶりに解いてみると最後の更新は闘病記

このまま2019年の12月後半頃に

「いや〜今年も色々ありました言うとりますけどね!」

とかなんとか
年末年末しいブログを書いて2019年を終えるのは少しばかり自分の中で悔いを残しそうで、ポツポツとまたインターネットの地獄に身を埋めることを決めた

ブログごときで悔いってなんだよなぁ
今年の秋頃に己の面倒臭さにようやく気がついた
それまでは至ってシンプル明快な人間と自己をみていたけど、どれほど自己分析能力にかけていたんだろう

でもそんなもの欠けてていいのかもね
戦略的に生きるのであれば、もちろん絶対的にあったほうがいいけど向いてなくても痛くてヒリヒリするようなセンスでも、自分のしたいよう、なりたいようにしていたい

そこまで開き直れたのも、本当にやっと最近かな



IMG_20190422_025247.jpg


4月には私の青春がまたひとつ大きな終わりを迎えて


スパイダーマン2が終わると年内に大好きなMCU作品の上映予定はなくなった


生きる活力…!
THOR4の公開も私のアモーレことロキのドラマもまだまだ先だ


でも楽しみが先々にあることは本当に良い
生きる力がみるみる湧く
実際問題何があってもTHOR4とロキドラマを見たいので絶対健康&絶対死なない(※万が一トラックなどに突っ込まれても跳ね返すくらいの気持ち)を持ち日々を暮らしている


また闘病記の話しに若干戻ってしまうけれど、退院して約2週間後にハワイに行くことを私は当時決めていて、その目標があったからどんなに歩けなくても、身動きひとつで脂汗が止まらなくても気力で回復した面もあるような気がする

生きていく自分の道にはいつも少し、楽しみが用意できればいい


好きの力は何よりも強く、
だから恋愛や友達関係なんかのトラブルでかつては好きだった感情が憎悪や嫉妬として変化し
悲しい結末を迎えることがあるのかな


押し付ける愛は愛を装ったまがい物だ
愛は何か還ってくるようなものじゃない


ラブソングが苦手な女が今日のブログでは好きなことを淡々と書く



IMG_20191002_015705.jpg


※ここからDQ11sのネタバレあるかもしれん、ネタバレ無理な人は見ないで綺麗な景色とか花とか、みて幸せに過ごしてください







9.27発売になったDQ11sをとにかくやっている
毎日、毎分、毎秒

DQ11s
ドラクエ11s
2年前に発売されたドラゴンクエスト11の追加ストーリーや新要素の入ったゲームだ


周りの人から「あんたそんなにドラクエ好きだったか」と問われる
確かにドラクエは11以外一切やったことがない
幼少にやったテリーのワンダーランドは、頭脳が角砂糖一粒分しかない私には高尚で、キラーパンサーに肉を投げつけるだけのゲームと化してしまい全クリには程遠いところで辞めてしまった


そもそもゲームができる人、好きな人ってめちゃくちゃ脳すごいよ
あれは賢くないと到底できないし尚かつ根気もいる


そんな私だけど、ドラクエ11は完全にド名作じゃん…となったんだよね
私がRPGでクリアできたものって本当に少ないんだけど、11はRPGが苦手な人や初めての人にも楽しんでもらえる工夫が本当によく出来ていると思う



「え、こんなにも報われないの?」
「何があったらこんな不幸な展開に…」
「村が焼かれたのに皆わりと許してる…」

勝手にハートフルRPGシリーズだと思っていたけれど本当にストーリーがしっかりしてて、案外ダークなことがばんばん起きる


推しの「ホメロス」というキャラクターがいる
ざっくり言うと、親友のおじさんに嫉妬して闇落ちするおじさんだ

ホメロスは完全な悪役として出てくるキャラクターなんだけど、結構可哀相なんだよね
私の最推しマーベルのロキの人物像に似ている気がする


プライドが高いようで自己評価が低くて、冗談が通じないわけでもなかったり多少口が悪かったり、他者ばかりみて、自分の良ささえも見失ってしまったり現実にもいそうな性格設定がこのキャラクターの魅力なんだと思う


2年前の11ではどうやってもホメロスだけは救えなかったんだ
どうしても死んじゃう
時が戻っても、大事な友達とわかり会えないまま


今作では彼の救済があって、
まあその救済も想像の斜め上を行くどころじゃない救われ方なんだけど私は泣いた
MOTHER3以来ゲームで泣いた


存在しない架空の人物が報われて泣くということは、なんだか文字にするととっても妙
ゲームや映画
漫画やアニメ
そういったもので泣くのはおかしいという考えを持つ人間も一定数いるらしい
私は案外どんな空想でも現実でも、じゃんじゃん泣くタイプなんだ
だから(ええ…)みたいなリアクションされることもあるよ
泣きそうにない顔してるしな


でも昔
「空想で感動なんか得られないという人間もいるけれど、じゃあ私がゲームをやって、漫画を読んで感動してるこの感情はなんだというのでしょう?」という作文を書いていたおうむの言葉を私は今だに信じてるから、何で泣いてもわりと気にしない


感動のハードルなんて自分で決めるんだよな
あれは本当に良い一文だった
あの作文の続きをまだおうむは覚えているんだろうか


line_339152613737708.jpg


好きなことを好きというのは、
それにしても気分がいいね!

私はこれからも己の好きを崇めて生きていくよ
皆もそうしてくれ


否定から始まる文章は一見賢くみえるし、目をひくよ
好きを連呼する文章はその逆で賢そうにはあまり見られない


でも後者のほうが絶対的に何かが正しいと私は思うんだ


人生なるべく好きを増やして、並べて



地面に世界で一番近いバンドウーマンは日々そう思ってるよ
皆の一生が大丈夫でありますように!

「プロフ帳とかいう貴族の遊び」
っていうタイトルにしようと思ったけど、やめたのは広めたいことがあったから

最近の空前の平成ブーム
“昭和特集”を子供の頃みかけるたびに妙に冷めた気持ちになったことを思い出す
生きたことのない時代と生まれた時代を比較されて「昔はよかった」を繰り返されてる気になって、子供心無償に寂しかった
今は今で幸福があるのに、って思っていた
当時は持ち合わせてた過去がそもそも少なかったからそんな風に感じたのかな
自分がいなかった世界を慈しむ時間は、自分以外地元が同じ知人4人くらいとサイゼ行ったらそいつらが勝手に地元の話しで盛り上がりだすような居心地の悪さがある

時は流れて平成を存分に生き抜いた私は、あの頃わからなかった感情もわかるようになる

いいことばかりじゃなかったはずなのに
自分がなんとかブチギレ生きてきた時間と好きな人と嫌いな人と、しっちゃかめっちゃかに過ごした日々は無条件で可愛い


もう二度とこない時間を
あの頃流行った懐かしアイテムで拾い上げ
思いを馳せることは
楽しくてどこまでも儚い時間で
不必要なことのように思えて案外とっても重要なこと
生きるとも前進することも摩擦がすげぇ
だから時々振り返って過去を可愛がる
それが絶大な精神回復に繋がると昔のわたしは知らなかった


過去は甘いチョコ
主食じゃないけどなくなったらとってもつまんないね

時々、本当に時々
1粒で1600円くらいするチョコ食べないと息ひとつできませ〜〜ん!ってときあるもんな



念願叶って食べたときの多幸感ったらないよ




私の病気はそんな平成残すところあと2日、
4.29にみつかった


IMG_20190520_164629.jpg



何度見ても半端ないけど、
このお腹の持ち主はわたしです


2〜3年前からかな?
吐けど暮せど腹が太ってるなーーーー!と思って生活する日々


身長161センチ
もともとの体重が48〜49キロをいったりきたりするのが常に、だったはずなのに気がつけば53〜54キロくらいになっていた


その頃の私の生活といえば
天下一品でラーメンと餃子をたべて、家までの帰り道にアイスたべて家に帰ったら特大サイズののり塩たべて、夜はドンキで買いだめしてるシンハービールを好きなだけ飲んで泣きながらアベンジャーズみる


というような生活を週2〜3はしてたし、その努力が実ったんだと私は確信


さまざまなダイエットを試みる
ジム通い、バグった食生活と睡眠サイクルを正す、何時以降食べないだとか、骨盤矯正に整体に、エステの体験にも行ってみたり

それでも何も変わらない体重


代謝が悪くなってるのかな?
いや、代謝最高にいいですよー

なんてジムのトレーナーに言われて首を傾げる
体脂肪率も18〜21をいったりきたり
むむむ脂肪は決して多くないということは内臓下垂かぁ



私は内臓をブチ上げることに燃えた



line_533655388776251.jpg



肉フェスを終えた次の日
GWライブに備えてこの日は色々すませておきたいことをする
足りなくなった日用品を買い足したり
銀行に行ったり


近所のレディースクリニックにいったのもその延長線だった


ピルもらおーっと



前から気になってはいた生理諸症状
その改善に繋がるといいな
そんな気持ちで予約したよく知らない近所の病院


問診票にはいくつか気になる自分の症状をチェックするコーナーがあった
そこには“子宮・卵巣の検査”という項目がありそれにもチェックをつける


少し前に「太ったと思っていたら卵巣嚢腫という病気でした」という投稿をSNSでみて知った卵巣嚢腫という卵巣の病気


ちょこっと見ただけだったけど、そこに一緒に載ってたその人のお腹の写真は自分のお腹に似ていた


いくらダイエットをしても減らない体重と、他の身体の部位に比べてあきらかに大きな私のお腹
この頃になると妊婦に間違われることも、着られる服も限られてきて心底困惑して生活を続けていた


いやでも食生活がバグってたし


そんな保身するもう一人の自分もいたような気がしたけど、気になることは徹底的にぶちのめそうとパンクスらしい猛々しめのチェックマークをつけて問診票を提出


ほどなくして診察室に呼ばれて、先生が私の体型を見るなり

「こ、これは…」


と言ったのを私は聞き逃さなかった



19-05-22-21-59-03-977_deco.jpg


「あんたまじでけえ腫瘍が卵巣に2個ともできてるよ、GWおわったら即でけえ病院いくのが吉」


「まじにでけえ」


「破裂したり捻転起こさなかったのまじで半端ない」



といった趣旨のことを先生に言われる
でけえ病院かあ…


精神がバグるとやばいから子供の夜泣きなどに効く漢方をとりあえず出しますね、と言われてこの日は終了


子供でもなければ夜も泣きはしないけど、とりあえず飲むことにした
夜泣きに効くという薬はちょっとシナモンの味がする


頭に思いっきり冷水をかけられる気分とはこれのことだと思った


あまり何も考えられなかったけれど、メンバー含めて色んな人に電話して
電話での会話は正直結構な支離滅裂だったと思う
本当に申し訳なかった

そんな状態ではあったけど大きな病院の予約は少し先の5.10にとることができた
大きな病院はやはり混んでいて、これでもかなりの最速みたいだった


笑っても泣いても5.10
そう決まればあとはいつもと同じ
ライブに業をぶつけてっょぃを作る
こんな時だからこそ1つ1つのライブに、音楽に後悔を残したくなかった


これを最後にしてたまるかよ


ステージをみてくれてる皆の業がきれいで本当に心地よくて
漢方なんかより、よっぽどありがたかった(先生ごめん



20190519_111609_187.jpg


5.10
朝早くから病院へいく
GW明けから少し日が立っていたからか覚悟していたよりかは混んでいなかった
そのおかげなのか入院〜手術の話しもTONTON拍子に進んだ

初の外来から一週間もたたないうちに入院と手術が決まる

大きな病院の先生は物腰の柔らかいひとでいかにも職人!といったオーラがあった
だけど今どき珍しいくらいに、ちゃんと病状を伝えてくれる
まあ色々とあって大きな病院も小さな病院も行く機会が昔から多かったんだけど、そんな人ってそう多くない
でも言葉はちゃんと選んで、患者である私を不安にさせないようにしてくれててありがたかった



入院生活〜退院編のここからは日付を添えて書いていく↓



5.15
入院初日
腹は相変わらずパンッパンだったけどこの日は妙に元気だった
暇つぶしにお母さんに「iPad貸してよ」というと、ケースを持ってないらしくアルミでできた謎のシートに輪ゴムで十字に包まれて渡される(※上記画像)


いまだかつて
こんなにスタイリッシュさが欠けたiPadがあっただろうか?


私の部屋は四人部屋
入院すること自体は実は人生で3回目だったので、そんなに緊張はなく
実はうまれてすぐに脚の脱臼でこの病院に入院したことがあった


その話しに看護師さんとなって「おかえりなさい!」と満面の笑みで言われる稀な経験をする


「明日は手術だからピアスとかは外してね」と言われていたので、外してみるか〜と思い立つもまるで外れず


おかえりなさい看護師さんが出てきて手伝ってくれるもまだ外れず


「ちょっと達人を呼んできます」


おかえりなさい看護師さんが、数分後達人看護師さんを連れてきてくれる
達人は綺麗に私のピアスを外してくれた


この病院でよかったなあ、
と思って夜泣きの薬をのんで寝た


5.16
午後から手術の予定が早まって、午前11時には手術室へ

一瞬で全裸になれる服を与えられてそれに着替えた状態で手術台に

「せーの!」
麻酔師たちが私の服をふた方向から引っ張ると一瞬でパン1に布がかけられた状態になる
もはや新手のマジックである
ちょっと笑ったらいつの間にか意識はなくなる



目が覚めたのは5時間後



鈍痛と表現できない視界の歪み
お手本のような具合の悪さは全身麻酔がさめた特徴だなとつくづく思う

痛み止めを点滴でもらってまた意識がなくなる

この日はずっとその繰り返し
今がどこにいて何時で、なんてわからなかった
何度目かの目が覚めたときに恐る恐るお腹に触れてみると、もうすっかりしぼんでいて懐かしい肋骨を感じた


5.17
この日には最大のミッションがあった
それは歩いて自力でトイレに向かうこと
そうしないと一瞬で全裸服から着替えられないし、点滴も外せないらしい

午前中試しみるも猛烈な目眩で失敗
ただ座るだけで恐ろしく時間がかかるし脂汗が止まらない

血圧をあげるためなんとか缶詰のみかんだけ数粒食べる
それが2日ぶりの食事だった


午後に再チャレンジ
看護師さんふたりの力を借りて成功をブチキメる
普段何気なく歩いたり、寝返りうったり、咳をしたり
そんな動作のひとつひとつがこんなに技量のいることだったとは…
小走りしたりマックでドライブスルーに行ったり、コンビニのはしごをしたりする日常は実は奇跡だ

沢山歩けば歩くほど治りも早いと聞いて、手伝ってもらいつつ入院してる病棟のフロアを長い時間かけて一周

その後はまた意識がふっと飛んでは戻りを繰り返す
麻酔の影響がまだ残っていたのか「ベッドで横になってると何者かがやってきて私の周りにファーやコットンや上等な春物のスカーフを並べる」というせん妄を起こす


(ああ…このファーが大事なんだよな…)


(落とさないように寝返りをうたなきゃ…)


(すごいよなぁ…このコットンで人が救われるんだもんな…)


ファーを並べられながらこんなことを考えてたことをはっきり覚えてるけど、なんでこんなにファーを並べられることをありがたく思ったのかはビタ1思い出せない



5.18
「熱がなかったらシャワーいいですよ」


ワーーーーイ!
まだ秒速2センチくらいの速度でしか歩けないけど入浴許可っぽいものが降りたぞ!

一日数回
看護師さんや担当医や他にも色んなお医者さんがやってきてくれて楽しく話しをしてくれる

それともまた別に検温の時間や採血だったり、血圧を測る時間があるんだけどその際に発熱を確認されてしまったらシャワーはおじゃんだ


術後
私は常に37度代の微熱をキープしていたので緊張していたがその関門をクリア
シャワー権を手に入れる
身体をまめに吹いたりドライシャンプーをしたりしてはいたものの、やはりシャワーは嬉しかった


この日はかなり病院を練り歩いた
痛みは日増しによくなる
もはや人体に感動した

漢方はとっくに飽きてのんでなかった
ファーマンはもう来なかったけど
りな&おむのライブ映像をみてちょっと夜泣きした


5.19
診察の日
まさかの「今日か明日退院してOK」の言葉をGET
もともと入院生活は一週間と少し、と聞いていたので、予期せぬ急展開

なーんも用意してなかったので
明日退院することになる

お見舞いのひとがたくさん来てくれた
食欲もみかんしか食べられなかった日が嘘みたいだった
この日からやたらカルピスを美味しく感じるようになる


あまりベッドの上ですごさず、
ラウンジのようなご歓談スペースで景色をみたりTVをみたり

綺麗な景色と常にピカピカに掃除されて明るい建物
病院であることを忘れそうになるけど、ここは間違いなく病院で
どんなときだって慌てない優しい看護師さんとお医者さんは間違いなくプロだ
そんな環境のおかげで、考えてみたら結構な病状だったけど悲痛な気持ちになることもほとんど無く退院を迎えられた

入院した日から毎日
夜になると誰かの祈りのような日記が聞こえてきた
穏やかで優しい祈り

この世界にある全ての祈りがちゃんと、
どうかちゃんと
届くべきところに届く世界でありますようにと祈りを重ねた

入院生活最後の夜




IMG_-nqerp5.jpg


退院して数日
体重は結局6.4キロほど痩せました
手術前最後に測ったのが54.6キロ
いまは48.2キロ
何故か身長も162センチにのびた

Twitterなんかにも書いたけど
腫瘍自体は両側に25センチのと7センチの
卵巣の摘出や卵管の摘出はなく
癒着とかも私の場合はありませんでした


私が卵巣腫瘍が見つかったとき、
いろいろ術後のこととか調べてたんだけどそんなにはなくて
どうなってしまうん私…と思って夜泣きしかけたから


病気の話ばっかもういいよ!
あといつにも、ましてなげーよブログ!

って人だっているかなとも思いつつ
私に医療知識があるわけでないから役に立つとかはないかもしれないけど、私みたいな誰かの、少し不安がとべばいいとおもってブログとしても残しました


色んな人からSNSを通して相談もいただきました
不調に気がつくキッカケや、知るキッカケになれたらいいなと思っていたのでこのブログもそういうキッカケにも、なればいいと思ってます


女性だけじゃなく
男性にも知ってもらえて
自分の身近なひとの“もしかして”に気がついたりできたらすてきだなあ

ネットとかみると
どうしても怖いこと書かれててそれをみるとナーバスになってしまうとかあるかもだけど
ちゃんと治療法があって私みたいな馬鹿にでかい腫瘍×2でも、こうして日増しに元気になって来月には全国津々浦々ライブ(しかもパンク)をしまくるというのだから大丈夫だよ


まだ通院とか私の場合あるんだけど
それが終わっても定期検査をしてみようと思ってる


短命なパンクスなんてもうクソ古いんだよな
誰かの生き方を真似してしまったら、それはもうロックでもパンクでもポップでもなくただの流行


一生いきたいって、
馬鹿だから本当に思ってるし
流行じゃなくてちゃんと自分の人生がやりたい


だからこの苦行のように長いブログを一文字でも読んだきみも


健康で最高の一生をおくってね


年に一回、半年に一回
自分のペースでいいから検査をする習慣を




長くなっちゃったけど
来月からはステージで業を重ねましょう



売買





あの夏わたしを誘拐しなかったきみへ


小学5年生には今161cmある私の身長と、幼どいの身長は大して変わらなかった


一年
また一年と経つごとに私の背は何センチも何センチも大きくなるもんだから、どうせなら170cmを越えてほしいなあという母親と私の野望は身長的な成長がピタリと止まった一年後の小学6年生になる頃には打ち砕かれる


顔も今より何故か鋭利な顔をしていて、セルフ整形をする以前(詳しくは昔のブログをよんでね)だったこともあり小学生とは思えない烏龍茶のような甘味もクソもない顔をしていて、好き嫌いが今の10倍はあったせいなのかガリガリだった



電気屋に行けば店員に間違われ
新宿に行けばアジアからやってきた異国の民と間違われ
沖縄料理店に行けばサービスでーす、ってお酒を出されそうになる



どんぐりみたいなまぁるい目と子供特有のふにっとした肉付きで卵型の丸顔でツインテールとか、ぼんぼんのついた靴下とか、そういうの似合う女の子とは程遠く、大人からわりと冷めた対応が常
もちろん同級生からもでかすぎるしアジアofアジアすぎる顔つきの私は、なんというか友達になりたい存在でも恋したい存在でもなかったかな


自虐とかじゃなく客観的に言うとこんなかんじ



だから変に冷めてく速度も早くて
毎日大人になりたかった
はやく何もかも枯らしたかった




花があるところには害虫もやってくる、じゃないけど私の通っていた小学校の生徒たちは変質者に遭遇することが多々あった



私の通っていた学校の制服は可愛いくて、小さな子供がちょっとオーバーサイズのそれを着てる様子は微笑ましい以外の何物でもないんだけど、そういうところに目をギラつかせる異質な人間も沢山いたんだよねきっと外の世界に



そんなことに気がついたのは大きくなってからだよ
一生懸命正しい大人に守られていた
「こんな変質者がでて、我が校の生徒にこんな風に声をかけてるみたいです。だからこういう対策をします。」みたいなことを、よく朝礼だか終礼だかで担任の先生なんかが話していた。
思い出してみるとかなりのペースでそんな話しをしてた気がするから、この世ってなかなかにまずいよね




友達からも実際に「登校中に変な人に追いかけられた」とか「露出狂に遭遇した」とかそんな話しを聞いた
子供だったからか、強固なる学校の対策のおかげなのか、どの子も深刻なトーンでというか明るいトーンで
なんならいっそ面白ニュースのように話す子が多かったのが印象的だった


私も私で子供だったし、そっかぁそんな人がいるんだぁくらいにしか感じてなかったけど
本当はすごくこわかったのかな、と思うと胸がザワッとする
かなしかったこと、こわかったこと、私自身結構明るくはなしてしまうようになってしまったから





少しだけ話しが逸れたけど、
冒頭のほうで書いたように世間の幼女からはかけ離れた幼女どいだったから私自身は妙な人や妙なことに巻き込まれることはなかったんだ
さっきも書いたけど、大人から冷めた対応されることも多かったし、ひねくれて、自分は性対象にならんという妙な自信に似た何かさえあった





小学校何年生だろう?
そんなに小さい学年の頃ではなかったかな
たぶん小3くらい
制服が夏服に変わって、学校から家に帰ってると20代〜30前半くらいの自転車を押した男の人に声をかけられたんだ



「すいません、〇〇(ホームセンター)はどうやって行くんですか?」


〇〇はそこから車で30分くらいかかる場所にあるホームセンターだった
偶然にも家族でよく行くところだったし、あ〜どうやって説明したらいいんだ?って悩んだ

いつもは大人に間違われてたけど、がっつり制服をきて登下校時間でランドセルも背負ってたし小学生に聞くなんて変わってるなと、ふと思いながらも


あっちかな
こっちかな
とか、男性と数分話していたんだけどいかんせん説明のしようがなくてどうしたもんかなーと思ってると一緒にきて案内して欲しいと言われる


車でしか行ったことなかったし、まじに方向音痴だからそれだと二人して露頭に迷うから無理だなと思って、断ると「じゃああっちに行ってみます。ありがとう!」で〇〇に行きたいマンは自転車に乗って去っていった




上手く案内できなかったのが悔しかったのと、子供心になんで大人が小学生にそこそこ遠い場所の道を聞いたんだ?馬鹿か?という想いから何年もそのことを覚えていた




それから時が経ち
今度は時が数年前の話し


夜の23:30過ぎくらい
この日も妙に細かいことを覚えてる


終バスもすっかり出ていて換算としたバスターミナルを横目に、私は徒歩で自宅へ帰ろうとしていた


「すいません。〇〇(焼肉屋)ってどうやって行くんですか?」



その声の主はまた20代〜30代くらいの男性で、やけに真顔だったのが印象深い。
(小学生のときの人とは別の人だよ)


〇〇はそこから車で20〜30分くらいの焼肉屋で、そこも家族でよく行くもんで知っていた
営業時間のことも
そう、もうこの時間とっくに閉店している


車とかタクシーで行くんですか?って聞いたら徒歩だって
徒歩だと一時間くらいかかるよ、っていったらついてきて案内して欲しいと言われる



いやその手口〜〜〜!!!!
数十年前小学生のときにもあった〜〜!!




え、
小学生のときのあれって…?




脳内で色んなことがリンクして爪先がサッと冷たくなるのがわかった



とりあえず焼肉屋閉店してるけど一時間徒歩で行きたいマンに「いや親が今から迎えにくるんで」と言って車通りの多い道へ去る
そうするともう、ついてきたりはしなかったな




あの夏に〇〇に行ってたら
私はいま生きてたのかな


あの日閉店した焼肉屋に行ってたら



色んなこと
やっぱり考えてしまうよね



もしかするとそこに悪意は0で
全ては偶然が生み出した違和感で
そう思うこともできるだろうけど
今となってはもう永遠にわからない



ホームセンター行き男(読み:ホームセンターいきお)に関しては不審者だとも気が付かないで何年も実際経っちゃって




焼肉行き男は単なるナンパという説が濃厚だけど、だとしたら手口が怖いのでナンパとしては見直した方がいいにも程がある
夜もふけて閉店した焼肉屋という設定がまずサイコすぎる発想




焼肉行き男に対し、ホームセンター行き男はにこやかで口調も穏やかで見た目もなんなら好青年風だったから、焼肉行き男がいなかったら不審者だったなんて気がつくことなかっただろうな



だからといって焼肉行き男に感謝!とか1ミリもないけど



1番こわいタイプの悪人っていうのは、わかりやすく悪人の格好なんてしてくれない
私達が言ってほしい言葉をくれたり、ニコニコしてたりするもんなのかもね
決まってそういう奴は自分より弱そうにみえる人間を探してる



そんな奴の毒牙に
どうか、
子供も大人もどんな生き物も

誰ひとり傷つけられることがありませんようにと
夏と程遠い季節の今日も想う

↑このページのトップへ