月別アーカイブ / 2016年07月

2007年後半はプリプロを頑張った。
ryosukeのリフワークアイデアはやっぱり冴えてるしいいギターだ。
そんな中生まれたのが後のタイトルトラックにもなる曲「Nothing Left On My Path」
これは色んな要素をぶっ込んだ曲になった。
スラッシュから2000年代初頭のラウドロック的流れも盛り込んだ新しいスタイルを構築できたと思う。
そして今回から長年の友達だった元クラブチッタの藤本紹介によりDISK UNION内のBTHと契約。
日本では数少ないメタルレーベルだけに期待した。
そして新しい希望とスタッフとメンバーの中レコーディングはスタートした。
エンジニアは前作と同じくテツさん。
素晴らしい布陣でのレコーディングだ。
アンプやギターの選択にもかなりの時間と物量を費やした。DIEZEL.MESA.marshall.KRANK.PEAVY.LINE6かなりの台数。そんな作業もまた楽しみなのがメタルの良い所だ。
このアルバムはPEAVY5150初期型を選び、それにあうチューブスクリーマーもテツさんのコレクションの中から何台も試した。
キャビはDIEZELだったと記憶している。
ギターもバッキングにESPのエクリプスやナビゲーターのレスポール、勿論この頃から使いだしたDEANも勿論使った。
レコーディングはとてもスムーズな作業だった。楽しかったしね。この頃のレコーディングは完全なる合宿スタイル。マンスリーマンションを借りてそこに住みながらやるっていうスタイル。とても楽しかった。夜皆んなで呑みに行くのが(笑)
このアルバムはとても良く出来たと思ってる。
まあ作った当事者だからああすれば良かった、こうすればっていうのはあるが、当時の自分の限界に達したからね。
そしてアートワークやらなんやらも考え歌詞を清書したりとやる事沢山。このアルバムは巨大なマシンが世の中の全てを破壊して突き進むというテーマを元に作られた黒のターボという仮タイトル(笑)を元に作ってもらった。
あれのプラモとかミニカー作ってみたいな。
そして2008年の夏、SURVIVE結成10年目目前にこの「Nothing Left On My Path」はリリースされた。その後全国ツアーをやりファイナルは初の渋谷O westでワンマンをかました。
このワンマンは金かけたよ(笑)
ツアーで稼いだ金を殆ど無くしたからね。
でもそれ程のshowやってこそだと思う。
この日はDVDリリースのためた山田ホームが撮影に入る。
沢山のカメラとクレーンまで用意してくれて流石に凄かった!照明もこの日の為にムービングを新たに仕込んだり、特効使ったりと盛りだくさんだった。
ライブも2時間きっちりやる完全なるショーを組み上げた。
ライブしかやった事ないバンドマンにはこの感覚分からないだろうけど、一度自分を追い込むためにもガッチガチにキメたshowをやってみる事をすすめるよ。
やればその大変さと表現力のあるないもまたセンスも分かるからやってみな。
そんなライブ。ハウリングブル時代とはまた違う総勢20名を超えるスタッフにささえられてこのショーは成立した。
本当に今でも感謝しています。あの日から今みで頑張れたのはあの日の皆んなのお陰だ。
それも終わり、身内だけの打ち上げをやってとても満足した中その10周年を終えた。
その模様はDVD「decade of steel」で見れるよ


そして、なんとなく不穏な2009年へと進む。
この年はNEMO初の燃え尽き症候群に悩み続ける一年となった。振り返るのも恐ろしい一年だったね。その辺はまた続きという事で。
中々このブログも濃くなってきたな(笑)
本当は全10話だったんだけど、とても完結しなそうだから13話位までやるんでよろしくお願いします。


アメリカ編 DAY3

いよいよ本番当日Laconia FEST!
朝もそんなに早起きでも無く朝食を済ませ準備
ホテルから出るとハーレー達が走る走る!!!
これだけで気分は高揚する

ホテルからしばし走るとそこはもうハーレー達一色
沢山のバイカーの出店、何より道路を埋め尽くすハーレー
青空に響き渡る爆音とお祭り騒ぎの街

そんな最高な空気を味わいつつ俺達は
FES会場の裏口から車を入れる

FESのステージは2ステージで
メインステージとサブステージ
もちろんこのFESは初めてでアメリカも初なので
SURVIVEはサブステージでの出演

この日はスティーブンタイラーが大トリ!
ジャンル的にも違うからそうだけどまさか
同じFESで一緒にやれるなんて
流石にこれは嬉しかったし興奮した

そしてSURVIVEの演奏時間になり
早い時間だったけど全力で演奏し
出来ることは全て出し切った

演奏を終えるとオーガナイザーがすごく
SURVIVEを気に入ってくれて
『こんな時間ではもったいないから明日も演奏しないか?』
そしてメインステージでの演奏で!と言ってくれた

もちろん即答でOKを出して2日目の
公演にも出演することに!これはとても嬉しかった

演奏を終え地元のラジオインタビューをしたり
写真撮影をしたりしてからFES会場を楽しんだ

夜はじっくりとスティーブンタイラーを堪能
流石にもう別次元だよね(笑
世界のロックスターを見せつけられた
本当に感動したし、いい音楽を身近で感じ味わえた

余韻に浸りながらSURVIVE一行はホテルへ
2日目のLIVEに備えてこの日もすぐに就寝

Last Dayへ続く

今回のレコーディングからエンジニアを以前の埼玉上尾サウンドクルーの清野さんからメタルエンジニアとして名高いtetsu 666ことテツさんに依頼。以前から一緒にやりたいと言っていたし日本のメタルの作品の中でテツさんの録音したサウンドは興味深かったし、これはいい縁だと思ってやった。
レコーディングはスムーズだったし、楽しく遊びながらも真剣にできたと思うよ。
様々な小道具をスタジオに張り巡らせかなりの集中力だったね。
意図的なまでにそのサウンドを変えたアルバムになったし、今でもライブでは人気のあるcorruptionが生まれたのもこのアルバム。
俺にとってはようやく今まであった殻を破れた一枚になった。
そして2006年10月の初頭にそのアルバムはリリース。あ、マスタリングは外国でやったんだよ。当時KSEやUNEARTHやってた人。
音というか音圧感がやはり違うよね。
日本のは綺麗な音で細々するんだけど、所謂アメリカ臭い音になったな。太くて分厚いっていうやつ。これはエンジニアじゃないから細かくは言えないけど、その辺の興奮する感じが伝わると思うよ。君に感性があればな。
まあとにかく、リリースしてからは今じゃ日本の代表的なフェスの1つとなった「loud park」
その'06に出演決定、韓国の野外ロックフェスにも出演決定、その後レコ発ツアー。
これはもう楽しいとしか言いようがないよね。
loud park'06は、はっきり言って凄かった!
今でもあのメンツを超えるイベントは日本ではないよね。
Dioにも会えたしmegadethやanthraxやslayer
KSEもUNEARTHもいた、hatebreedにlamb
of god.もう言うことないよ。
バックステージも派手だったぜ。あの気兼ねない交流感は最高。
誰かと間違えたのか、突然深いお辞儀をシンジロウにするダン・スピッツや、前にエイジアで一緒にやった事もあるKSEのアダムやハワード、世界規模のスピードでビール一気をかましておおいにUNEARTH初来日公演でケンをビビらせたシンジロウに駆け寄るケンの姿や、面白かったねーーー
インタビューで大騒ぎしてDioに睨まれたのも今となっては最高の思い出だ。
そして、ステージに立った。時間帯悪くてKSEとinflamesに挟まれてた。けど、フロアには人が沢山居てくれた。仲間も新しいファンもその辺うろついてここに到着した人も皆見てくれてたぜ。
もっと壮絶なものを感じるかと思ったら、思いの外やりやすかったのと、最前列まで遠すぎて全く緊張せずライブできた。
仲間の中には大ステージで堂々とやってるな!
すげーぜ!みたいな声もあったけど、本当はこういうことだったんだよ!!
裏切ってごめんな皆(笑)
45分たっぷりとステージから良い景色を拝ませてもらったよ!ありがとう!
そして、後は祭を最高に楽しんだよ。いい雰囲気だった。またあんな雰囲気の祭を待ってるよ。
そして翌週、初の海外(正確には2度目な)
の韓国でハンガンロックフェスに出演。
この日は韓国でSURVIVEがリリースされる日でもあった。テレビの取材やらサイン会に長蛇の列やらでまるでスター様になった気分だったよ。
日本からはUNITEDも同じ日だったけど、間違いなくこの日俺たちはピークの中で演奏した。3000人はくだらない中でやったな。大いに盛り上がった。サイン会も数百人の列。最高だったね!
そして暫く韓国で観光を過ごし、日本でのツアー開始だ!初日は仙台。こんだけの盛り上がりだぜ!いけるだろーよ俺たち!みたいな空気半端なかった。当日。対バンは仕事の都合とやらでドタキャン、2つか3つでイベントスタート、SE鳴ってステージでたらなんと!!!!





10人だぜ。流石に転けたねこれには(笑)
まあ、世の中甘くないって事さ。
(たまたまこの日対バンになってくれた仙台の
SKULL FUCKがリベンジ戦として翌年きっちりと素晴らしいイベントしてくれた事には感謝してる。今でも忘れないよ。)
そしてツアーは続く、いい時も悪い時もあったけど、総体的には良いツアーだった。
ファイナルではチッタワンマン!
特殊ステージを組み、パイロも使い盛り上げた。もっともっと人入れば嬉しかったけどよくやったろこれにはという事で満足した。
そして、翌年2007にもう一度全国ツアーをやる。その前にギターのKEITAが脱退した。
当時は色々問題を抱えてそれがやがて大きな問題になった。沢山の物が絡みすぎた結果だろう。残念だったな。
そして、最初はサポートだったけど、俺の中で待ちに待ったDFからの親友RYOSUKEを口説き落とし、なんとかサポートで入ってもらった。
これは俺的にとても嬉しい事だったよ!
何せSURVIVE結成当初から欲しかったギタリストだったからね。
俺は今でもRYOSUKEのギターワークは凄いと思ってる。だから良いバンドに恵まれて沢山の活躍する事を祈ってるけどね👍
初ステージは新木場コーストのイベント。
いきなりいいショーだった。当たり前だよこの布陣だしな。
そして、全国ツアー。この頃本当にツアーが多かった。
でもツアーはバンドを固めるには1番の場所だからそれが当然だ。
その後夏には台湾最大のフェスFORMOZに出演。初めての台湾、とても刺激的だった。TESTAMENTも出て、同じホテルだったからロビーで何度も会う。完全にキッズになってたよ。俺とRYOSUKEは(笑)
ショーも最高だった。完全にメタルステージは俺たちが持ってった!その位の勢いだったもん。急遽予定になかったMTV台湾のインタビューも決まって、それに忙しく過ごし台湾ビールを沢山消費し、その辺でジャムったりファンとダベったりしていい時間を過ごした。
最高の思い出と結果だったな。良い国だよ台湾は。
そんなこんなでアルバムも作ろうって頃に、まさかのハウリングブルが一時解散という通知がくる。。。
俺にとって青春の殆どを過ごしたレーベルが解散なんてあんのかーーー?と当時は思ったけど。今思えば音楽業界も曲がり角に来ちまったっていう事だったんだろうな。
とくに集まる事もなく、妙にあっさりしたメールでそれは終わった。まあ社長らしいよなって妙に納得もした。
そこからレーベルを探しながら作曲作業は続ける。いつでもリリースできるように。
2007年はまるでジェットコースターのような一年だったね。凄まじかったよ。
でも同時にこういう時こそ物事は淡々と進んでいくんだなっていうのも実感した。そんな2007から新たなアルバムが生まれる。

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