月別アーカイブ / 2016年07月

そして、人生でも初めてのロシアへ出発、
その当時の印象は、とにかく怖そう、死ぬんじゃないか?盗聴されてるの?みたいな印象が沢山だった。
何せそんなに情報ないもんねロシア国内。それも、モスクワだけではなくよく分からない地名まで行くし、物価は?移動は?国土凄くね?
想像してもしきれない。
そんなこんなでモスクワに到着、まずはホテルでのんびり過ごす。
ようやく表れたイタリアのマネージャーALEX(現地の女連れなのは流石イタリア(笑))
手短に挨拶をして、当時全然英語も分からないまま、、、ツアーに挑んだ。いやーなかなか大変だね。大冒険だよ。なんとか話をしながらプランを確認し、先ずはモスクワの会場へ。
MILK culb、チッタを倍にした位デカイ箱だ。
いきなりデカくてビビるね。
サウンドチェックもそこそこに楽屋で寛ぎ、
不安になり緊張し心拍数上がるね。
イタリアのマネージャーは流石という身のこなしと寛ぎ具合だ(笑)
ステージは勿論決めたし良いリアクションを得たよ。終わった後、1時間以上サインしてウォッカ飲んでたもん。
シベリア鉄道で長い移動をしてサンクトペテルブルク。
とても綺麗な街だ。とにかく綺麗。
この会場もデカイ。流石はbehemoth毎晩壮絶なショー。
そして白血病を克服したネルガル最初のロシアツアー。ロシアのオーディエンスは熱い!そして凄い盛り上がり。毎晩楽しんだ。
この日はサンクトペテルブルクのホリデイインに宿泊。
初めてメンバーとオフステージで会い。
ホテルにバーもあるしパーティーをしようという話に。
ホテルに向かう途中、ネルガルにお前らのステージまるで勢いのある時のメタリカみてーだ!超イイね!みたいな事言われた。嬉しいよね。
お世辞でもなんでもそうやって賞賛してくれるのは日本にいると中々味わえない感覚だね(笑)
パーティーも盛り上がり、沢山のJACKと火のついたウォッカが消費された。
そしてこれは全世界共通なのか、意気投合したbehemothと部屋呑み(笑)
オリオンとセスの仲良しっぷり、クールすぎるネルガルと共に部屋のミニバーを片っ端からやっつけた!!!
翌日、マネージャーがそのレシートを見てからSURVIVE behemothのメンバーを三度見してたが、知らん顔しておいた(笑)
そして、その日からバスも機材トランポもシェアしてくれた、これはとても助かったね。
すっかり仲良く旅出来て、ロシアの雰囲気にも段々慣れてきた。
そしてツアーは続く、電車、飛行機、なんでも使って沢山の移動をしながらあちこちのレストランに寄り沢山のプロモーターにお世話になった。
皆んなとても協力してくれるから頼り甲斐あるね。
そして最終日のクラスノヤルスク、全力を尽くしたステージを終え楽屋に居たらネルガルから
お前たちとツアー出来たのがとても嬉しかった。お前達はすぐにまた素晴らしいツアーを出来る。その為の評価を得たよ。
また将来大きな会社がお前達に付き更に大きくなると思う。そのためには続けるんだ。止めずに続けるんだぞ。と涙もんのセリフを残しステージに向かっていった。あの瞬間、忘れない。
そんなこんなで、素晴らしいツアーに幕を閉じた。初めてヨーロッパに近づいたツアーだった。
終演後、変なビッチに沢山の酒を奢ってもらいその後、会場を清掃するおばあちゃんに写真とサインをくれと言われ、ドラムヘッドに全員のサインを書き写真を撮った。とても良い時間だった。
マネージャーは例によって何処かに消え(いい加減にしろよな(笑))モスクワまではbehemothとそのマネージャーと帰るという訳の分からない最後だったけど、まあいいツアーだった。
これが最高の2012年だった。
2013年はあのkreatorとoverkillとツアーが決まったのはこのすぐ後だった。



明後日7/29(金)放送のBSフジ『ロックの魂』でSURVIVEが紹介されます!

【番組情報】

BSフジ『ロックの魂〜SOUL of ROCK〜』
7月29日(金)深夜24時30分〜
*放送日時は急遽変更になる可能性がございます

 

番組提供をされるワードレコーズのグッズ販売サイトにてSURVIVEキャンペーン・ページもぜひご覧ください



2009年は、前年かなり仕込んだ10周年企画の後
ネタも無くなってきた。
とりあえずやろうってなったのは過去のアルバムのリ・レコーディングをしてそれをシングルとしてリリースという話がきた。
これが決まるまでは、紆余曲折あったんだよね。
やりたいっていうレーベルと乗り気じゃないメンバーとって感じだった。
なんとなくこの頃、俺も含めて皆んなが燃え尽きてる感じだった。
俺に関しては今思えば、SURVIVEで10年色々な事ある中一度も休まずに走ってきたから当然かもしれないね。
仲間のバンドの解散やら、仲間のバンドメンバーの死やら、シーンの環境が変わってきたのもある。ライバルだと思ってた人達がどんどん消えていく時期でもあったし、なんとなく孤独感とモチベーションの低下になっていったんだな。
とはいえ、相変わらずステージで演奏するのは楽しいし、その辺がまた混乱させるんだよ。
この年は幾つかのアジア公演や(NAPALM DEATHやHATEBREEDはかなり刺激だった)
2マン企画(rebel-nationがスタートした)で復活間もないSHELL SHOCKやCONCERTO MOON等呼んでやってみたりした。流石素晴らしい演奏を奏でてたね。
そしてこの年はこんな状況で進んでいった。
途中ryosukeがBAT CAVEが復活する為に平行してバンドをやると言い出した。
俺の経験上、これは悪い傾向だと判断した。
SURVIVEだけでも忙しいのに、そんな余裕どこにあるんだ?と、当時は全く理解できなかった。
そしてなんとなく生活も荒れ出した。
sinjilowにも八つ当たりに等しい言動が増え
完全に人との距離を置いてしまったね。
この頃からそろそろ海外での活動も増やしたいと考えていた頃だったし、当時のメンバーとのモチベーションの違いを感じた事もあり、完全に孤立してたね。良くない状況に自分で陥ったと思う。
そんなこんなで2010年の終わりにはryosuke脱退。hirokiも脱退。SURVIVEとしては最悪な年だった。
しかし、新しいメンバーを探して再建をする。
以前からツアーで青森行くと対バンしてたGROUNDのギタリスト GOとやはりツアーで地元バンドで出ていたつくばのCROSS OUTでドラムをやってるSINTAROUを入れて、いきなり韓国公演と東日本大震災のベネフィットライブをクラブチッタ川崎に出演した。
まだまだ荒削りだったし、その良さを発揮しないままライブをしてたけど、やはり現場で叩き上げるという方法を俺は選んだ。
これは持論だけど、スタジオや家で練習しまくるのは当然で、やはりその凄みやらオーラすら磨ける場所はやはりステージ。
いいステージ、ダメなステージを経験して強くなっていくんだという意味を新しいメンバーには叩き込んでいった。
そして、海外への夢を叶えたい。ただ行くという訳ではなく、コンスタントに海外ツアーするという目標でその思いは加速していった。
しかし、海外にコネは無いし、その頃どうしたらいいのかも分からなかった。歳もそろそろ35になるし焦るよね。そんなこんなで過ごしていたらメールでMETAL BATLLE JAPANという団体から"オファー"が。
最初は胡散臭いなーこの話と思ったけど、なんとなくやってみる?みたいな話になって。
やってみない事にはわからないでしょ?って事で出演する事に、皮肉にもこの結果が俺たちの火事場のくそ力を出させる結果になったね。
まあ、内容としてはとても悔しい、
悔しすぎる負け方をした訳ですよ。
納得できる負け方なら良かったけど、やはりそこは大人の事情?も絡んでるよねあれは。
まあ過去の事だからもういいんだけど、当時の気持ちとしてはね。
審査員の皆んなにしたり顔で彼らは自力で行ってもらいたい!みたいに言われたけど、自力で行けたら行ってるっつーの(笑)行けないから
そのチャンスを掴みに来たのにな。
その頃ガチでエールを送ってくれたのはライターの増田さんただ1人だった。
今でも増田さんには感謝してるし、あの時声かけてくれたのがとても励みになった。
そして惨敗し、人知れず泣いていたSINTAROUの姿を見た時、リーダーとしての責任も感じた。
必ず海外に出るぞと、俺は覚悟を決めた。
そんな時まさに捨てる神あれば拾う神ありで、
イタリアの今も契約しているエージェントから突然連絡がきた。
是非海外のツアーをやらせたいとの事。
突然のメールだったから、そりゃ最初は疑うよ。しかし、向こうからのコールはかなりの期間マメにくれた。
1か月くらいして、ようやく英語達者な友達とイタリアのエージェントでSkype。
話は決まった。最初のツアーは2012年9月。
場所はロシア全土を周る。
しかもその相手はポーランドのカリスマ"behemoth"これはヤバイね!新たな希望を胸に全員で出国準備を進めた。

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