月別アーカイブ / 2016年06月

15歳で初のステージを経験し、その後更なる本格的なメタルバンドを結成したくて、色々と研究やメンバー探しに勤しむ。
ドラムは決まり、ギターは誰かの繋がりで連れてきてもらった奴が加入した。
いよいよ、本格的に始動するぞ!!
気合いが入る。名前は当時グロビデオが流行ってた時期があり、(伝説のMAD videoレーベルね)そのビデオにDEATH FILEというのがあった。
意味は特に無かったけど、その頃スラッシュとデスメタルにグラインドコア足したような音、
要するに自分達が聴いてた音楽全部ぶっ込んでやろうと思ってから、イメージ的にもいいだろうという安直な考えでこのDEATH FILEはスタートした。
sepulturaやslayerのコピーしつつオリジナルを作り、半々位でライブやってたな。
その頃ブッキングも何も知らない高校生の俺たちは伊藤楽器のスタジオライブや変なプロモーターに騙されて(笑)吉祥寺のクレッシェンドで米米クラブみたいなバンドと昼の部でやらされて金を巻き上げられてたり(笑)してた。
そんな詐欺プロモーターの中にメタル大好きな人間がいて、ある日ブッキングの仕方や
ここは詐欺だからもう辞めて逃げろと教えられた。勿論そこは辞めて、次なるブッキングを画策する。
その後高校で知り合ったバンドの奴のライブを観に地元にほど近い柏ALIVEに初めて行った。
最初の印象はカビ臭い小屋だなという印象だったが、妙にそこの小屋に惹かれた。
その友達に紹介してもらって、まずは良く分からないイベントに出演した。相変わらずメタルやハードコアのバンドはいなくて、トリはユニコーンみたいな、殆どコピーバンドのような社会人バンド。そこの主催らしいが扱いも散々だった。
俺たちは頭悪いけど、負ける気は全く持っていないガキの集団だった。
メンバーでこれは納得いかねえぜ。あいつらだせーしなみたいな会話をした後、大胆にもトリは俺たちがやるべきだと変な交渉を始める(笑)湯浅か誰かがお前達はプロフェッショナルじゃないからトリはやるべきじゃない等の話をしてたのを覚えてる。
かなりすったもんだして、トリをゲット(笑)今思えばすいません!!って話だ。
ただ、当時の俺たちは何かに生き残るのに必死だったんだね。
その後aliveで定期的にブッキングで出るようになる。
でも、来る日も来る日も客いないんだよ。
友達が何十人かで暴れててっていうしょうもないライブをやってた。
そしてその夏に運命的出会いとなるヌンチャクというバンドと知り合う。
BIOHAZARDみたいなサウンドにネタのような日本詞のバンドで本気とフザけが同居してるバンドだった。
聞いてみたら歳もほぼ同じ。すぐに仲良くなった。
ベースのあっちゃんから、来週ここで企画やるから出ない?と誘われる。
勿論即答で出ます!と。
翌週またaliveに。柏のハードコアやパンク勢が沢山。いつもよりお客さんもいい雰囲気だ。
始めて似たようなスピリットを持ったバンドと仲間になれて嬉しかったな。
その日のフロアに後に大変お世話になる、UNITEDの大谷慎吾が居た。
そして、未成年なのに打ち上げ的なパーティーをする訳ですよ。ただのたむろね(笑)
そこで大谷さんを紹介され、大谷さんと俺の使ってるマーシャルがワット数も含めて同じだと、そこでこんなエフェクトやドライブペダル使ってるという事を教えてもらった。
当時、UNITEDなんて雑誌の中でしか知らなかった俺は結構舞い上がっちゃったね。
今は勿論全然そんなのないけどさ(笑)
とてもいい出会いをして朝までたむろで騒ぎ、大谷さんの新車の自転車を破壊したり、ロケット花火当ててみたり、話しかけられた奴と衝突してみたりと混沌としたKC集団の始まりだった。最高だった。夜明かしして朝焼けの中家に帰る時、これってロッカーじゃんって実感したもんね(笑)
そんなこんなで、大谷さんのいるリハスタで
DEATH FILEもリハをやるようになる。
当時まだ携帯なんてないから、そこが集合場所なんだよね。
大抵あっちゃんがいた記憶あるけど、寂しがりだったんだね、あっちゃん👍
学校行かない日はそのままスタジオにずっと居たり、たまに大谷さんに学校ちゃんと行きなさいと言われてみたり、これはこれで最高に楽しいスタジオだった。
そして千葉の老舗LOOKにも出演する機会が増え、ヌンチャクとDEATH FILEでよくやってた。あの頃はやはり全然客入らず。良く分からない活動してたなー。
ゴミ箱フロアにぶん投げてみたり、演奏前に吉田さん(ハリー)に屋台で散々日本酒飲まされてみたりとか、ある意味トレーニングの時期だったね。
その頃、柏では変なオムニバス出すレーベルがあったんだけど、これもまた乗らなきゃいいのに話に乗っちゃってさ(笑)その時16か17でしょ?なんもわからないからやっちゃう訳。
でも、始めて入るレコーディングスタジオ、最高だったよ。
全てがキラキラしてたね。わーすげー卓だなー!うわードラムにこんなにマイキングするの?とか、新鮮すぎて刺激的過ぎた。
でもね、後から考えればとんでもねえボロスタジオだった訳。アナログテープだって通常よりも細いテープでさ、酷い有様だったよ。
でも、希望と夢一杯でレコーディングする。
割とサクッと行けた記憶があるけど。
とにかくミックスして仕上がったんだが、これがまたリリースなんて全くされない訳。
どうしようかなーなんて考えてた頃、UNITEDのオープニングで千葉LOOKが決まった。
やっぱり音源撒きたいじゃん?
だから湯浅と交渉行ったよ。大人相手に、マスターテープと金を返せと。話は4時間位話したのかな。うち敵に回してやってけると思ってんのか?とかなんとか言われたけど、俺たちは鉄の意志だよ。なんでもいいからテープと金を返せと。結局根勝ちして、無事テープと金は返してもらった。そのまま大谷さんのスタジオでリミックス開始。色々問題だらけだったけど、限界までやったでしょ。
これがDEATH FILEの 1stデモとして配布した物だったんだよね。
音も悪かったから100本配って打ち切り。
でも曲のストックはあったからすぐに2nd デモのレコーディングに入る準備をする。


時差の関係なのか興奮して寝れないのか
わからないけど寝付いたのは朝方だった

昼前には起床し今日はNHまで行くレンタカーを
アレックス達とメンバー数人で探しに行くことに

午後まではゆっくりホテルで休んだりして
アレックスとティムとでレンタカー屋へ

2件回ったがアメリカも日本と同じでやっぱり
接客がいい対応の店と悪い店がある
1件目は本当にやる気0でお話にならない
2件目は本当にいい店員で全てがスムーズだった

世界共通だろうけどやっぱり接客が出来る店は
流れもスムーズで全てが迅速で気持ちがいい

1件目でかなり時間を要したのですぐホテルに
戻り機材を搬入しいざNHへ

今回はティムの運転で6~7時間の道のりを走る
長い道のりだけど目に入る景色は飽きる事もなく
楽しいNHまでの旅になった

途中晩飯を食べる為にレストランへ
初日にマックへ行った時にデカイのを想像し意外と
日本と変わらなかったのでここでもバーガーを注文
しかし...デカイ!おおぉ...!そして肉が厚いし添え物の
サラダもポテトも多い(笑

この後も食事でバーガーを食べる事が多かったが
この量が基本みたいで何処もデカイし量も多い(笑

食事も終わり車を走らせNH手前のホテルで今日は宿泊
ホテルには既に数台のハーレーがあり気分が上がる
着いたのは夜中だったのでこの日はすぐに部屋に行き
明日の為に各自体を休める事に

さぁいよいよ明日はLaconia FESTだ

DAY3へ続く

注釈、写真1枚目は時差ボケになってないと言い張りながらも眠り続けるSIXX石田さん。この辺りが最強たる所以ですね(笑)


いよいよSURVIVEは初のアメリカへ
New Hampshire(NH)で開かれる【Laconia FEST】に出演

Laconia FESTはLaconia Motorcycle Weekと言う
ハーレーの祭典で1週間以上数万台のハーレーが
街を走り続けるイベントでこれに音楽のFESも融合したイベント

SURVIVEはちょうど真ん中の15日に出演予定で
13日に日本を旅立ちいざアメリカへ
今回はSURVIVEをサポートしてくれているSixxさんも同行した

16時間近くの飛行を終え13日の夜にアメリカへ到着
まずニューヨークでマネージャーのアレックスと
アメリカのアシスタントのティムと合流

アレックスとは約2年ぶりの再会で
メンバー共に再会を喜び合う
ティムとは初見だったがすごく気さくで
いい奴だったのですぐ打ち解けた

13日~14日はオフなのでティムにNYを案内してもらう

現地に到着したのが22時位だったので
地下鉄に乗りNYのメインな地域へ
アメリカの代名詞的タイムズスクエアー前に行ったり
とりあえず本場のマックを食べたりし最後は老舗な
BARで皆と酒を酌み交わしながらこの日はホテルへ帰路

明日14日はいよいよNHに向けての移動
NYからNHまでは7時間位かかるので昼位までゆっくりし
午後にはいよいよ出発の予定だ

DAY2へ続く

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