5/1
Shibuya O-EASTで行われた、二丁目の魁カミングアウトのワンマンライブを観てきた
以前に観たのは、前身の二丁ハロの頃で、アイドルネッサンスとの対バ…うっ!頭が…!

さておき、まだ白鳥君が加入してからは観たことがなかったんだけど
二丁ハロの頃のアルバムは何度も聴いてるので曲がいいことは分かっているし
知り合いたちがとんでもない熱量で応援しているのは傍から見ていたので
タイミングが合えば行ってみたいと思っていた

なぜ5/1のタイミングが合ったのかというと現場が消失したからで…さ、さておき!!!

都合3回目のライブで、しかも単独は初だし
上記のとおり、優先順位が決して高いわけではない
知り合いから買ったチケットは良番なのに友人と一緒に最後尾で入った
熱心に応援している人に怒られるかもしれないけど、そういうスタンスの人が書いている感想です

さて、じゃあなんで温度の低い私がこんなものを書いているのかというと
一言でいえば、めちゃめちゃ良いライブだったから

いやー、いろんなことを考えてしまったよね
考えてしまったことを、まとまらないままアレコレと書くね

彼らがゲイであることを看板に掲げてアイドルをしていることはもちろん知っているけれど
それは外側に掲げられた看板だけを見て「知っている」と思っているだけで
彼らの内面、内面を作り上げた背景、歴史は私にはわかりようがない

ファンの人たちだって根っこのところは分かるはずはない
これは性差に限らず、対個人としての問題だから当たり前の話なんだけど
でも、私がO-EASTで覚えた感動の最大のものは
演者とファンの両者が、互いにその絶対に越えられない壁を越えようとしていることだった

披露された全ての楽曲の歌詞がモニターに常に表示されていて
(これはすばらしい試みだと思った。しかもオールスタンディングで背の低い女性たちにも見えるようにモニターの上部に出す配慮が心憎い)
歌詞原理主義(過激派)の私はそれをずっと眺めながらパフォーマンスを楽しんだのだけど、この歌詞がいいんだよね

現代の日本の歌って、人名をそのまま出すような昔の歌や海外の歌よりもずっと抽象的で
それは誰にでも当てはまる歌詞である代わりに、裏返すと、誰にも向けられていない歌詞がすごく多い
それでも「アイドル」という文化はやっぱり「物語」であるから(自己紹介曲のような超具体的なものもあるが)
抽象的な歌詞だけれど「この人(たち)が歌うことで具体的な意味が生まれる」というものがあるのがアイドルの曲の特徴なのかなと思う

んで、ミキティー本物が書く詩世界もやはり抽象的だ
紡がれる言葉たち
苦しい過去、決別したいはずなのに連綿と続く延長線の上の今、そして未来
それは納得ではなく諦念であったり甘受であったりする
「仕方ねぇじゃん、笑って前向こうぜ」というような開き直りではなくて
「生きにくいけどさ、自分らしく生きた先には今より少し明るい未来かもしれない(し、違うかもしれない)」というような
実に生々しい弱さの吐露であるように見えた

確かに抽象的で誰にでも当てはまる
でも、やはり彼らはアイドルであるから
その言葉が絞り出されてくる感情の奥底、背景を思わずにいられない

人はあまり感情をそのまま剥きだして見せることはできないと思う
固い殻で覆い隠して、自分の心を守る
だから心情の発露であるはずの歌詞も抽象的になっていくのかもしれない

だけれど、これをミキティー本物が書いたのだ、と思うと
その固い殻がザクロのように割れて、奥から濃い真っ赤な感情が溢れてしまっているように思えてくる

【誰にも言えない、共有しがたい悩みがあって
それを解決する参考書はどこにも売っていなくて
苦しんで悲しんで、のたうちまわって、それでも日は昇ってしまう
日常は続いてしまう
思考と、感情と、行動と、選択と
それらがチグハグになろうとするのを両腕で必死で抑え込んで生きてきたのかもしれない】

そう、これは彼の心情そのものではなくて、私の勝手な妄想だ
先に書いたとおり、彼らの背景を知るすべはないから、これがずれているのは分かっている
それでも、たくさん悩んだ果てに紡がれた言葉たちであることだけは絶対にずれていない
受け取り方はそれぞれであっても、その歌詞に血液が流れていて
彼ら自身の言葉、彼ら自身の想いとしてファンに届いているのは間違いない
だから、刺さるんじゃないかな
少なくとも、最後尾で柵にもたれながら聴いている私にもビシビシ刺さった
「カエルのうた」と「言いたいことも言えないこんな世の中じゃん」で涙ぐんでしまった

自分を差し出して、誰かの苦しみと寄り添おうとするアイドルと
目の前の人の痛みを、想像力を働かせて受け取ろうとするファン
このコミュニケーションの土台は愛だ
愛に包まれる、ってのはこういうことだよな、と、その関係性にとてつもなく感動させられてしまった


いやー、勝手なことをたくさん書いたなー

これら全部がまるっと見当違いかもしれないけど
たくさん考えさせる余地があるっていう豊潤さというか奥行きというか
そういうのが山盛りあったステキな空間でした
ホントはもっと色々思ったことあるけど
これ以上書いたらぶん殴られるかもしれないのでやめておきます
だから「知ったふうなこと言ってんじゃねぇぞ殺すぞ」みたいなのはやめてくださいね!


以上!

2018年2月24日
大好きだったアイドルグループ、アイドルネッサンスが解散してしまった

もやもやといつまでも晴れない自分の気持ちを整理するために
当日のことと、それまでのことをあれこれと書きます
誰かのためではなく、自分のために
まぁ、そもそも誰も読まないだろうけど

始まり
好きだったグループの解散はフォークダンスDE成子坂が最初で
(村田渚が亡くなったときは泣いたけどその話は置いておこう)
そのあとはジョビジョバかな、ってまあそれはさておき
こんなに胸が締め付けられる、呼吸が浅くなるような解散発表は初めてだ
なんだろうね、この喪失感
結局そうなっちゃったのか、っていう受容もあったけど
まだ、まだいけるじゃん、なんとかやりようはあるんじゃないのっていうのが大きくて
そうだな、これは悔しさなんだろうな


最初に現場に行ったのは2015年の8月13日
仕事がお盆休みに入ってぼんやり過ごしていたバカ暑い日
そういやお絵かき赤帽子さんが
毎日アイドルネッサンスの絵を描いてハッピーに溢れたツイートをしてたなーって思い出して
半分、いや、八割ぐらい冷やかしのつもりでららぽーと富士見に朝から出掛けてみた
なにせ冷やかしというか「なんでいるの?」って言われるとこで完成のつもりだから顔も名前も歌も何の情報もない
(しかも時間も調べないで行ったからたぶんファンの誰より早く着いてた)
つまり誰きっかけで入ったのかってアサテルさんです
やっぱね、他人に興味持たせるには、なにより自分が楽しそうにするっていうのは大事だなって後々まで忘れないようにしてたな
ネガティブな発信をしない、はずっと自分に課してた

『夏の決心』の振り付け指導でアカペラで歌う石野さんがバカ上手くて
「上手すぎて振り付け頭に入んないんだけど」って笑ってた
リハではにこりともせず、真剣に向き合うメンバーに心打たれた
気づいたらおこしがいて「おこしがいる!」ってなった
橋本さんの落ち着いた低い声が魅力的だった
まいなを見て「自分が教えてる小5みたいな幼い顔だな」って思った
古宵ちゃんの立ち姿に百田感を見た
特典会で石野さんに「歌めちゃめちゃ上手いね」って言ったら「いやいやみんなのほうが」みたいなこと言い出して「こいつ謙遜ヘタか」ってなった

ズキュン!って音がするような衝撃的ななにかがあったわけじゃないけど
分かりやすくハマった

いつも仲良くしてた、いわゆるおまいつの人たちに比べると1/3ぐらいしか現場には行けなかったけど
それでも、融通のきかない仕事に折り合いをつけて最優先で通うようになった
折り合いつけてっていうか仕事休んで広島行ったなー懐かしい

そこから二年半、(推しとは、という時期もありつつ)飽きずだれず、ずっとずっと好きなままだった
適度な距離感もあって、行きたくない時期もなかったのは幸いだったかもしれないな

解散発表があった日は
一年で一番忙しい二週間に突入した日で
更にももクロの有安の電撃的な卒業もあいまって
もう、精神が追い付かなかった
しばらく感情の回路を遮断しないと生きていけないっていう動物的防衛本能に守られて
なんとか呼吸だけして過ごしていた
そのあと人生初インフルにはかかるし年度がわりで職場もゴタゴタしてるしで
割とボロボロな状態で当日を迎えてしまったんだけど
直前になってようやくいろんな実感が迫ってきたんだよなぁ
最初に書いたみたいに、まだいけるだろ、があるからこそ実感が持てなかったのかもしれない
持てなかったし、持ちたくなかったんだろうな

毎日当たり前に目の前に出されていたブログも
「南端まいな公式おやすみLINE」も
世界一いとおしい推しちゃんの「いいゆめみてね」も
全部が一切なくなるんだって、最後の最後になってようやく重量を伴ったものになって
腹部にぐーって押し付けられて初めて
自分はなんとのんきでクソやろうなんだと絶望的な気持ちになった

そんで、当日
推しちゃんに一文字も手紙を書けないまま夜が明けて
仕方なく二時間ぐらい仮眠して
慌てて出掛けて電車のなかで書くという後手も後手
最後まで何をしてんだ私は

会場には、今までどこに隠れてたんだ、岩の下にでもいたんかっていうような数の人がいて
フロアは、なんて説明したらいいんか分からんような空気が漂っていた
終わりを目撃する、立ち会うという葬送感と諦念と
それらがミキサーにかけられて何周も練られてべっと吐き出された「開き直り」で
なんだか妙な高揚感があったように思う
メンバーもしきりに「最後まで楽しもう」って言っていたから
その言葉に恭順していたのかもしれない
フロアに流れる『ワンダーフォーゲル』が切なかった
ここまで書いてまだライブ始まってないのウケる(ウケない)

音楽が止まり、客電が落ち
出番前の円陣がモニターに映され
僕らのヒーロー、アイドルネッサンスがステージに一列に並ぶ

一瞬の静寂のあと
一曲目は(なんとなく予想どおり)『ミラクルをきみとおこしたいんです』
メンバーの歌い出しとともに、アイドルネッサンス現場では珍しく強めの圧縮がかかる
いつもよりもフロアはずっと声が出ていて、みんな腕を振って踊りまくっていた

悲しむより踊りまくって

きっと、踊らないでいられなかったんだと思う
始まれば必ず終わる
気を抜けば悲しみに飲み込まれる
だから、狂わなきゃいけなかった
この愛した日々の締めくくりが悲壮感で終わらぬように
目の前の愛する人たちの笑顔が曇らぬように
それが楽しそうな声の奥に見えて胸が締め付けられた
いいよ、リフトもダイブも、好きにやれよって思った

悲しむより踊りまくって 奇跡の日々を始めようぜ

ラストライブに始める「奇跡の日々」とは
今までの四年間の、奇跡みたいな日々を曲と共に振り返ることだ
一つ一つアルバムを紐解くように
名曲たちに付随した、奇跡の日々が目の前に繰り広げられていく

初めて行ったリリイベの『夏の決心』
豊洲の青空に映えた『Blue Love Letter』
スカイステージの眩しい『Good Day Sunshine』…

一つ一つが披露されるたびに
青い空の下で笑うみんなの顔ばっかり思い出されてしまう
パズルが埋まるように、美しく終わりが完成されていく

出てきたときから涙目のメンバーもいたけど
それでも楽しそうに、情熱的に、真摯に
石野さんを軸とした歌とまいなを軸としたハモと
レッスンの量が見える美しいフォーメーションの
アイドルネッサンスらしいパフォーマンスは続いていく

もちろん、全部が完璧ではない
声が上擦り、音はときに外れる
それは彼女たちがまだ未完成である証拠であり
道の途上であることそのものの表れだ
まだ、いくらでも伸び代があった
それでも、終わるのだ

『Music Lovers』のラストで石野さんが倒れた
酸欠だったのか足をくじいたのか私の位置からはわからない
(動画でもよく分からない)

そのあと復帰したけど『君の知らない物語』のソロはどうにも本調子ではない苦しそうな様子だった

以前、4thワンマンに向けて、こんな記事を書いたことがある
(読まなくていいやつです)


簡単に言うと、アイドルネッサンスは、魂をガソリンにして走っている、と書いた
髪を振り乱し、倒れながらも、本調子でなくとも
それでも魂を削って進む少女たちを乗せた船の竜骨はやはり石野理子だった

ちくしょう、ちくしょう
最後までやっぱ石野理子かっけぇな
二度と戻れないあの夏の日
きらめく星今でも思い出せるよ
TIFのスマイルガーデンと、2016年ツアーラストを思い出して涙が止まらなかった

終わりへ
最後の一人一人の挨拶
みんな泣いてたね
まいなの「四年間、自分らしくを貫いて、それを軸に何事もぶれないで続けてこれました」って言葉は本当に重たい
「自分には何もないから」と言って貫き続けて積み上げた四年間が南端まいなを作った
自分が四年間一日も休まず続けられたものなんて一つも思い浮かばない
大人さえ畏敬を抱くような彼女が、幼児のようにボロボロ泣く姿があまりに痛々しくて、惜しくて
この子には本当に幸せになってほしい
そればっかりを祈ってしまう
いや、きっと誰よりも努力を続けられる彼女なら何にでもなれるだろう

とんでもなく湿っぽくなる場面ももちろんあったけど
愛らしいアイドルネッサンスらしく泣き笑いもあって
古宵ちゃんの、振りきった選挙演説みたいな明るさには救われたなぁ
名前出してないメンバーたちの挨拶もみんなすごくよかった(誰への言い訳だこれは)
本気の言葉ってやっぱり刺さるよね

ラストは誰もが分かっていた
アイドルネッサンスの代名詞『17才』
サイリウムに驚きながら、泣きながら、でも笑ってた
みんなちゃんと笑ってた
私たちも笑ってた

みんなで、全員でチームアイドルネッサンスとして大合唱をして終わる
歌えるもんなんだな、やっぱ積み重ねられてたんだな、音高いな
二度とない季節が通りすぎていくよ
アイドルネッサンスと過ごした季節が、戻らない季節が、ついに終わった

すげぇ、間違いなくすげぇ楽しかった
いっぱい笑ったし、久々にめちゃめちゃ汗かいたし
そんで、とんでもなく泣いた

帰りながらメッセージカードを読んで泣いて
帰宅してブログ読んで泣いてコメント書いて泣いて
布団に入って訳もなく泣いて
翌朝のアラームがトラベラーズハイだったせいで泣いて

今もこの喪失に慣れていない
たぶんまだなにも受け入れられていない
いいおっさんが動画を見ては泣いている
アラームの設定も変えてしまった(泣くから)

いつかかさぶたは取れるかもしれない
でも傷口はずっと残ると思う
私の十年なんかよりもずっと濃厚で重量のある
「器用で不器用な女の子と不器用で器用な女の子」たちの青春のきらめきは
いつまで経っても眩しい、はるか遠くの一等星として
私たちの心で瞬きつづけるから

全員幸せになれ!

奇跡の人、野本ゆめかへ
誰にも向けていないと最初に言っておきながら、推しちゃんのことを書く
これは届かない手紙です

最初はね、ひたすら心配だった

初期のメンバーがオーディションの果てに、結果としてグループアイドルになったのとは違って
すずゆめは「アイドルになるために」入ってきた

しかも小さな頃からアイドルに強い憧れを持っていたゆめかが
現実のアイドルとなって、理想と現実の乖離に絶望しないか不安だった

初めてのCDで「ゆめゆめいっぱい ゆめか」という個人のコールが入り
ツアーラストでサプライズのサイリウムを見て涙を流して喜ぶゆめかを見て
同じように嬉しかったけど、同時に、夢が割と簡単に叶ってしまったぶん
武道館や横アリみたいな、とんでもなく先にある夢との差を感じて苦しまないか
そんな余計なことばっかり考えてた

純粋で嘘がなくて
バカみたいに明るくて優しくて
傷つきやすくて涙もろいゆめかの目が曇らないか心配でたまらなかった
そんで、曇らせちゃいけないって思った

「オタクの言葉なんて影響力はない」ってのは自戒としてもちろん持っていたけど
現実として、(幸か不幸か)影響力を持ってしまうような規模だったし
ゆめかは、しばしばそれを感じさせてくれた
(だから自分の発言には細心の注意を払ってた)

「支えなきゃ」なんてエゴはバカらしい
でも、支えたいって思った
私がいなきゃなんて思ったことはないけど
「ゆめか推しは贔屓しちゃうよ」って言葉を現実として実感させることを
いつも、毎回、必ず、いろんな形で示してくれた
ドンズバ!って音がなるような、こっちがびっくりしちゃうものをたくさんくれた

それは当然、私にだけじゃなくてゆめか推しみんなに
そして、ゆめか推しでない、アイドルネッサンスのファンみんなにも

最初は心配から入って
打てば響くレスポンスの良さと人懐っこさでのめりこんで
目がつぶれるくしゃっとした笑顔と底無しの明るさに夢中になった
既存のアイドルネッサンスにない新しい風ってだけでなく
どこにもいない、どこでも戦える、圧倒的オリジナルな人柄が誇らしくなった

最後の挨拶で
「大好きだったアイドルが大好きじゃなくなるときもありました」
と泣きながら話したけど
最後のブログに「まだまだアイドルがやりたい。」
って書いてくれたのが、ホントに嬉しかった
そして、ホッとした

夢を見つづけた少女が夢を失わないって最高の答えじゃない?
悩んで悩んで出した答えだよね
夢に向かってブレない
いや、ブレたかもしれないけど、それでもそれは私たちが欲しかった答えなんだよ

私たちのためでなく、自分のために出した答えなのはわかってるけど
ゆめかのために出した答えは、私たちのためになるからね
やっぱりね、野本ゆめかは自慢の推しだ
野本ゆめかが私の推しでよかった

自慢の推しだから
やっぱりゆめかの笑顔が見られないのはさみしい
声が聞けないのはさみしい
きみの代わりなんていない
みっともないくらい、アイドルネッサンスの野本ゆめかのいない世界に苦しんでる

でも、いつかきっと
スポットライトは野本ゆめかを見つけるだろう
また、いつか、雲を晴らすような笑顔を見せてくれると信じてる
なんというか、頼むから、期待させておいてくれっていう気持ちかもしれないけど
旅する花の物語にはハッピーエンド以外終わりはないからね

だから、ゆめかが書いたように私もさよならは言わない
今より大人になったゆめかに会える日をわくわくしながら待ってます

今までありがとう
またね
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初のオリジナル曲で作られたミニアルバム『前髪がゆれる』が本日ついに発売された
そこに収載された四曲のうちの最後の一曲
『前髪』がツアー初日に満を持して披露され


最初の珠々華の歌い出しは、初披露とは思えないような出色の出来だ
歌い終えたあとの噛み締めるような笑顔と泣き顔の狭間が美しく
誰もが恋に落ちてしまいそうな情感に溢れた表情だ
(って話を本人にしたら「それが落ちないんだよぉ~」と嘆いていたので笑った)

この動画を観ていて、年前、とある映画の感想を書いたときの一節を思い出した
(読まなくていいやつです)
手前味噌なのは二兆も承知で引用してしてみる。

主人公たちは高校生、言ってみれば青春のド真ん中だ。
青春とは葛藤との闘争だ。
めちゃくちゃに絡まったイヤホンのコードを、両手に持って力任せに引っ張ったりぐるぐると回転させてみたりして、試行錯誤してその塊をほどこうとすることだ。
余計にコードは絡まり、次の一手がどれも不正解であるような不安が渦を巻く。
後になれば何であんなことをしたのだろうと顔を覆いたくなる。


それでもその時は「後」ではなく「今」だから、この答えで進むしかない。
時間は有限だが、対処するための知識も経験もない。
前よりも複雑に絡んだ球体を見て、どうしてこうなったと泣きそうになる。
でも絡まったら絡まったまま進むしかない。


引用終わり。

映画は演劇という芸術世界に足を踏み入れた少女たちの物語だ
表現芸術という点では、アイドル活動に近しい部分もあるだろう

表現ひいては、人間のあらゆる活動には明確なゴールがない
しかし、人間はそもそも存在しない「時間」を創り、人生を分断し、納期を設定してしまう
だから、限界は無くても期限はある
アイドルで言えば、もちろんステージだ
まだ出来るけれど、もっと良くなるけれど「今、ここ」の最高到達点を提示せざるを得ない

不調もあれば挫折もある
足は震え、喉は渇き、目の前が霞んでくる
それでも、唇をぎゅっと噛んで、何でもないみたいに舞台に立つ
それは妥協ではなく覚悟だ
妥協することは停まることでしかない
覚悟して、弱い自分を受け入れる
この道が、いつか宇宙の果てに続く一筋の道だと信じて進む
その自分が歩いた分だけしか人は進めない
いつまでも納得のいかないまま、濁流の中を歩いていく意志と覚悟が原石を磨くのだ

決まらない前髪を また風が乱してゆく
いつまでも私たちきっと
決まることなんてないんだろう

こう考えていくと、前髪とは、変化であり成長だ
そして成長は誇りとなり、覚悟となる
と同時に、自分を守る盾であり、アイドルとして他者に見せる矛でもある
(アイドルが「前髪命!」みたいなことを言ってるのはなんどか聞いたことがあるけど、我々おっさんがそれを実感として持つことはなかなか難しい)

ちょっとした風で揺らぐように、前髪ははかなく崩れていく
それでも昨日より良くなるように磨き続ける
だから「決まることなんてない」は諦めではない

文集に載せた将来の夢は
急いで作ったおもちゃみたい
でも透き通ってる

飛行機雲のように見送った最後のシュートは
思い出すとまだちくっとするよ
でも透き通ってる

どちらも過去の失敗、挫折を振り返っている
苦い思い出なのに、そのときの純粋さがどこか眩しい
緩やかに通りすぎた時間がそう思わせてくれるのかもしれない

歯の矯正つらかったけど やってよかったな
何かが変わる時はわからないもの
あとから気付くよ 青いトンネルの先で

やったことがないけど、歯列矯正ってのはえらく大変らしい
すぐに口内炎ができるだとか、ものがつまるだとか、痛いだとか
しかも何年もかかるだとか……
何年もかかるが、どこかで劇的に変化をするタイミングがあるわけではないだろう
同じ力をかけ続けた年月のすべてがあって、初めてそれは完成する

なんだってそうだろう
小さく地味なことをひたすら積み重ねた結果が血肉になる
しかし、それに気付けるのは、苦しくても続けた人だけだ
途中で逃げ出すこともできた
でもしなかった
苦しさの果てに、トンネルを抜けて光に包まれた今がある
「全力であり続けた日々」が少女たちを、ZeppワンマンやTIFの大トリに押し上げた
青は青春であり、未熟さ、幼さである
トンネルを抜け光を浴びたら、また新たなトンネルをくぐっていくのだ

ここを歯列矯正している、そして、昨年独り出口の見えないトンネルでもがき続けた古宵ちゃんに歌わせるから意味があるように思える
まだ彼女の歯列矯正は終わっていない
つまり、トンネルのただ中だ
だからこそ、乗り越えた昨日、続いていくアイドルネッサンスの今と未来がメタ的にオーバーラップする

また「あとから気付くよ 青いトンネルの先で」
という言い方は「トンネルの先にいる人」からの言い方だ
それは未来の自分か、親しい大人か、あるいは小出さんからのメッセージなのか
正解はわからないけれど、多層的に細工された重厚なパラグラフであるように感じる

自分になりたいと 焦れば焦るほど
ひとりぼっちが迫って来て いじわるな世界

個人的に、この歌の、特にここの主人公が珠々華であるように感じてしまう
自分とは、と悩む姿は誰にでも見られることだけれど
一番それが顕著であるという意味で

自分とはと問い続ければ問い続けるほど余計に自分なんていうものは見えなくなっていっ
空回りしているうちに、鏡写しに自分を見せる人も離れてしまうように思える

そして、前段の続きで
ひとりでも平気と 突き放してみるけど
君がいつも通りでほっとしちゃうんだ 正解はやさしい

ここの「君」がゆめかに見えてくる
ついキツい態度をとってしまって落ち込んでしまうけれど
次の日に会ったらいつも通りでいてくれる
悲しいときでも「いつも通り」でいるためには、もちろん「いつも通り」よりも大きい力を必要とする
それが分かるから、そのやさしさに感謝する
「正解」は前段の「世界」に音が近い(というか、ほとんど「世界」に聴こえる)
世界はいじわるでも、君はやさしい
世界とは主観的なものだから、君のやさしさで、世界もやさしく映るのだろう

たくさん撮ってた写真 指すべらせたら
広がるなんでもない特別な景色
戻れないトンネルの向こうを思うよ

「文集に~」と同様に写真は過去の記憶だ
不意に現れる「かつての」なんでもない景色が「今では」かけがえのない特別な景色に見えて胸が締め付けられる
それは前段のように、通り抜けてきた今だから特別に見えてキラキラと眩しく見える
それでも、そこに戻ることは決してできないから、ただ前を向いて進むしかないのだ

そしてその前に進む意志がサビに力強く表現される
一列に並び思い思いに叫ぶようなサビは、かつて「覚悟の曲」と言っていた『Funny Bunny』を彷彿とさせる
両足を踏みしめ、まなじりは強く、前を見据える姿は目頭が熱くなる

そうだ、オリジナル曲の中で唯一シチュエーションに縛られない、ある種異質な『前髪』は
過去の自分を背負って、前に進む意志の歌だ
そして、それはアイドルネッサンスに関して言えば
名曲ルネッサンスを捨てることではなく、
かつての名曲たちを背負いながら、新たなオリジナルのを作ろうとする意志の歌でもある

正直に言えば、決して順風満帆でもなく右肩上がりでもなかった
あの頃のキラキラした夢とは違うところに立っているかもしれない
失った魔法のこと 消えてしまった光のこと
いとおしい思い出にチクリと胸が痛む
過去への諦念はある
それでも立ち止まることを選ばない
未来を諦めたくはないから、
とどまることなんてないまま
走ろう風の中を

最後のフレーズは、先に挙げた『Funny Bunny』を意識しているに違いない
風の強い日を選んで走ってきた
そうやって胸を張るために、決まらない前髪が乱れても少女たちは走ることをやめない
汗を流し、涙を流して、膝をつき、よろめいても
8人でなら支えあえるから

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