仕方が無いことについて考えることは仕方が無いことだろうか。
 
例えば、命とか特にそうだと思って。
悲しさとか寂しさは思い出にあるものだ。
悔しさはこれまでのことだったり、その先のことについてであったり。
もっと何かしてあげられたんじゃないか、もっとこうしたかったと思うのはなぜなんだろうね。
一緒に過ごしているときにはやさしくしてあげられることが全てだったりもして、やはり失ってから気づくものの方がすごく多いんだ。
幸せだったのかなんて知らないけど、きっとそうだとかそうじゃなかったんじゃないかだとか、言う必要も無い気がしている。
過ごしてきた時間が全てだ。
 
何について話しているかというと、私の弟である犬のシンバがとうとう逝ってしまったということ。
けれど、全然重たく考えないでほしい。
というのは、弟が犬であることやここにこんな風に書いてしまっているからとかではない。
ただもう泣くことがないくらい覚悟ができていたからここに書いてしまおうと思って。
 
失うのが怖いとか、それが理由で飼わない人もいるんだろう。
もちろんそんなことは飼う時から頭に入れていることだし、大切な人にだって自分だって生きていて思うことでもある。
そんなことは仕方が無いことだから。
 
失うのが怖くてなにができるんだか。
そんなこといつだって想定内である。
想定できないなんてのは、そんなこともわからないなんてのは罪だろう。
私は親を責めたことがあった。なんでこんなに犬を飼うんだとかいろいろ。
どうせ自分らより先に死ぬんだって。
 
知りながらなんであんなこと言ったんだろうな。
親が知らないはずも無いのに。
 
 
仕方が無いことだって。
なんだけど、上手く片付けられないからここに書いてしまった。
覚悟はできているようでできていないものだ。
わかっていてもどうしようもないことが世の中にはどれくらいあるんだろう。
 
 
 
弟が欲しいと言ったらシンバが家に来た。
今までありがとさん
 
おやすみまたね