月別アーカイブ / 2013年07月

映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明(2013年4月15日~9月1日)を再録


 本日は、西村プロデューサーがお疲れのため、筆休め企画をお送りします。題して不定期連載企画「○○はこうして生まれた。」です。「かぐや姫の物語」に関連する様々な物が、どのように作られたのかについて、わたくし、新人制作スタッフ(日誌の挿絵も担当)の岡田がご紹介します。

記念すべき第1回目は……、


「第一弾ポスターはこうして生まれた。」


です。 小さなお姫様が巨大な手のひらに乗って、ぼぅっと光っている、少し不思議でインパクトのあるこのポスターは一体どのようにして作られたのかをご紹介します。

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 あれは2012年9月6日のこと。魂が抜けたような顔で座っている西村さん。目の焦点が合っていません。なぜかというと、そろそろ第一弾ポスターを作らなくてはいけないので、考えているのだそうです。この”考える”という仕事が、私達からするともの凄く大変なのだと思いますが、けっこう間抜け面です。

 間もなくして、西村さん、席を立ったかと思うと、2階にあるQAR(動きをチェックするマシン)で、あるカットを何度も見ています。そこから、とある1コマを選び、プリントアウト。続いて、男鹿さんの背景の中からお目当ての絵を見つけ、コピー機でコピー。それから何をするかと思えば、それにハサミを入れてチョキチョキチョキチョキ。テープでペタペタペタ。コピーして拡大してチョキペタチョキペタ。何度も繰り返しています。しかも何かぶつぶつ言いながら。怖いです。

 西村さん「できた!」

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みんな「これは……?」

西村さん「第一弾ポスター案。」

 紙に印刷した素材をハサミで切り貼りし、ポスター案を作った西村さん。

 な……、なんとアナログな……。というか、ジブリのポスターってプロデューサーが作るの?一流デザイナーとかじゃないの!?こんなハサミで切り貼りして、たたき台作っちゃうの!?これで決まり!?ポスター会議とかないんだ!センスいい感じの人たちが集まって、あーでもない、こーでもないとかやっちゃったりしないんだ!?すっごいアナログです。だって、紙!ハサミ!セロハンテープ!ですよ。思っていたのと全然違う。もうジブリ、よくわかんない。

 ジブリ作品初体験の私にとっては刺激が強い出来事のひとつでした。私の感想は置いといて、次に行きます。
 次の段階は素材を“ちゃんと”揃え、より明確な案へ。それで出来たのがこちら。

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なんだか、らしくなってきました。 元の原画に少し手を加えて欲しいという西村さんの要望があり、演出の田辺さんに描いてもらいます。と、その前に西村さんからの具体的な指示が入ります。

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何が描かれているかというと

・眠っているかぐや姫。
・顔の向き、これで良いと思うが、表情微笑みもう少し欲しい。かわいく。
・朝霧たちこめる竹林 ・翁、奥のほうで竹を切っている などなど。

そして作画作業に突入! 田辺さんに描いてもらった絵がこちら。

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姫の顔を悩んだ跡が見えますね。この絵に作画監督の小西さんが修正を加えます。田辺さんの絵(主に姫の表情と、実線)に直しを入れていきます。直しを入れるどころか、描き直していますね。こちらが出来上がり。

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 紙にはこう描いてあります。
「線のザラッとした感じを出すのが重要でなく紙の上で見た目の線の持つ美しさ、空気感の持つツヤのある線として画面、ポスターに定着させるのを最大理想にしたいです。」

小西さんの線に対するこだわりを感じます。 そしてさらに顔のパターンとして……、

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さらに……

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これ、なんだか分かりますか?
『まゆげ』です。

この部分ひとつ違うだけで、だいぶ印象が変わるものです。 姫の着物の模様も別紙で描いています。

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そして出来上がった線画がこちら。背景はまだ仮素材です。

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そしていよいよ塗りに入るのですが、背景、キャラクター、すべてを美術監督の男鹿さんに塗ってもらいました。背景、素材含め10枚も!

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素材素材に男鹿さんは数パターンの色や塗り方を提案してくれました。すべて美しく、正直選ぶのがもったいないどころか、すべてポスター化したいくらい。本当は一枚一枚説明していきたいところですが、割愛させていただきます。 そして決定した色、素材を合成し、絵を完成させた上で、外部のデザイナーに微修正をしてもらい、印刷所へ提出。数度の色校正を経て、2012年11月、第一弾ポスターが出来上がりました。

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 じゃーん!

はじまりがこちら。

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いかがでしょうか。
ポスターが出来ていく過程を大雑把ながら紹介させていただきました。
各工程で関わる職人達のこだわりの集大成とも言えるポスターです。

以上「第一弾ポスターはこうしてうまれた。」でした!

ちなみに、まさに今、第二弾ポスターを制作中です。そちらも後日、「○○はこうして生まれた。」でご紹介するかも?

映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明(2013年4月15日~9月1日)を再録


 2010年秋。高畑さんが、頻繁に「憂鬱だ」と話していた時期がある。高畑さん曰く、原因は「禁煙」したことだ。集中力がわかないし、なんか憂鬱なんだそうだ。そうなると決まって高畑さんは「日本人という鬱病」(人文書院)という本を紹介する。日本人は何かをしてもらうと、恩返しをしなければと思う国民だ。貰い物をしたらお返しを。手紙をもらったら、お返事を。お返しをしないと、もらった好意は、一種の債務のように積み上がり、債務超過に陥る。

 高畑さんとカナダのアニメーション作家・フレデリック・バックさんは、手紙をやりとりする間柄なのだが、バックさんの手紙に返事を書くと、手紙好きのバックさんは、すぐに返事を書いてくる。バックさんへの手紙は、高畑さん、電子辞書を片手にフランス語で書くのだが、他言語で長文の手紙を書くというのは、いくら高畑さんでも一苦労なのだ。せっかく時間をかけて一生懸命に書いたのに、その手紙を出したら、すぐに返事が帰ってくるとなると、気持ちは嬉しいのだが、大変である。またぞろ電子辞書を片手にフランス語で返事を書かなければならない。しかし、人間、そうそう努力は続かない。手紙を出さないまま数ヵ月たってしまい、それが「負債」となっていたころだった。

高畑さん「バックさんにも手紙のお返事を書かないといけないんです。でも書けなくて。はぁ……、もう、こんなことばかり繰り返しているんですよね。こうなると、わたしは人非人なんでしょうか。そう思われてもしかたないんですよね。いや、必ずしも、自分ではそうは思っていないんですけど、あははは。」

そんな高畑さん、あの頃は、もうひとつ、別の本も話題にしていた。みすず書房から出ているというその本のタイトルは、「耄碌寸前(もうろくすんぜん)」だった。  そんな「耄碌寸前」の高畑さん(笑)が、2010年10月29日に、75歳の誕生日を迎えた。少人数のスタッフで準備をし、祝いの宴を企画することに。題して、手作り企画「竹取の高畑じいさん」。それをご紹介して、本日の日誌を終えよう。


武蔵小金井にあるケーキ屋さん「マルグリット」の方々にご協力いただき、ロールケーキで竹やぶを作った。

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真ん中の色が違うのは、原作の中の一節「その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける」を表現。後に金箔を散らしたりして光を演出。


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77歳です。真ん中にあるのは、大量の「たけのこの里」。竹だらけ。狭いかぐスタにジブリの面々40人くらいが集まって、高畑さんを祝いました。ロウソクを吹き消したら、「高畑の翁」に、竹を切ってもらう。ケーキ入刀。


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中からは、かぐや姫が出てきましたとさ。 

おしまい。

映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明(2013年4月15日~9月1日)を再録


 あの頃のことを、色々と書くのは難しい。制作中に起きたことは記録してきたが、自分の頭の中で起きたことは記録していたわけじゃないから。ただ、パイロットフィルム制作準備段階で、ぼくは、公開日を2012年≪夏≫という無謀なスケジュールから、2013年≪夏≫へと改めていた。2013年の夏は、宮崎さんが準備していた新作(「風立ちぬ」)が公開されるはずだから、あのとき、「かぐや姫の物語」を、宮崎さんの新作にぶつけてやろうと思っていたんだ。勝手に。

 そして、もうひとつ考えたことがあった。パイロットフィルムをパイロットフィルムとして終わらせず、その完成後に現場を解散することなく、そのままの体制で本編制作を継続しようと考えていた。田辺さん一人が原画を描くのではなく、数人のアニメーターを集めて作ろうと思い立ったのも、もちろん本番を意識したパイロット制作にしたいという思いもあったが、パイロット完成後も続けて本編制作を進めるという明確な考えがあったからだ。だから、松本憲生さんや安藤雅司さん他、数人の強力なアニメーターを誘っていたのだ。

 絵コンテが1/4しかできていない中で、本編の作画に入ることは、高畑さん、田辺さんという二人の仕事量を鑑みた場合、かなりのリスクを伴う。絵コンテのペースが上がらず、作画に入るための絵コンテが底を付けば、現場は長期に亘って止まるかもしれない。しかし、そういう切迫した状況に追い込み、高畑さん、田辺さんを追い込んでいかないと、絵コンテは5年たっても完成しない。コンテが滞って現場が止まるリスクなんて、絵コンテが5年たっても完成しないリスクと比べたら、僕にとっては小さなものだった。映画を完成させるためには、そこに賭けてみるしかない。

 この考えを第一に察し、懸念を示したのは高畑さんだった。


高畑さん「こうやってパイロットフィルムを作って、これが終わったらどうするんですか?そのまま制作を継続するつもりですか。」

西村「はい、そのつもりです。」

高畑さん「いや、それは反対です。こちら側は今回のパイロットフィルムで問題を明らかにしようという目的でやるわけでしょう。そのまま継続するというのは、ちょっと違うと思いますよ。一度、現場を止めて、皆さんには悪いけど外で違う仕事をしてもらって。こちらはこちらで、また田辺くんと二人の絵コンテに戻ったほうが良いと思うけどなぁ。パイロットで見つかった問題は、その間に解決すればいいでしょう?」

西村「この数ヶ月で集まる原画スタッフは精鋭中の精鋭です。彼らを解放してしまったら、次にいつ戻ってきてくれるか分かりませんよ。小西さんだって、他社作品の作画監督をやるために出て行って、あっちがまだ終わらない。いざパイロットフィルムを作るという時に戻って来られない状況になっているじゃないですか。一度手放した優秀な原画マンは、二度と戻らない。僕はそれを覚悟する必要があります。そんな覚悟はしたくありません。高畑さんが本当に問題があると思った時は、言ってください。即座に現場を止めますから。」


 高畑さんは渋々、納得した。止められるまで、突っ走るしかない。しかし、この決断が後に大問題を引き起こすことになる。とても困ったことになるのだ。

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