映画「かぐや姫の物語」制作時に、auスマートパス会員向け
スタジオジブリ公式読み物サイト「ジブリの森」において連載された
「かぐや制作日誌 “悲惨な日々” 西村義明(2013年4月15日~9月1日)を再録


 映画企画「子守唄の誕生(仮)」。企画検討期間は2007年2月から2008年4月の、計14ヶ月。この企画は結果として実現しなかった。

 江戸末期から昭和にかけて、貧しい農家の口減らしのために、多くの少女たちが、他村へ奉公に出された。彼女らの多くは7歳~14歳で、そこでの仕事は、一日中赤ん坊を背負い、その世話をすることだった。その仕事を「子守をする」と言い、彼女らは「子守り」とか「守子」と呼ばれた。

 その守子たちが歌っていたと言われる子守唄の中で、有名なのが「五木の子守唄」だ。「おどま盆ぎり盆ぎり 盆からさきゃ おらんど」という一節から始まる。わたしの仕事はお盆で終わり。お盆がきたら、ここにはいない。早く帰りたい。お盆よ、早く来い。子守奉公の大変さ、恨みつらみを歌った唄と言われている。

 この「五木の子守唄」が、どのように生まれたのかを、守子の少女たちに視点を置いて考察した本がある。赤坂憲雄著「子守り唄の誕生」(講談社学術文庫)だ。


『黄昏がしだいに西の空をあかあかと染めてゆくころ、赤ん坊を背負った守り子たちが遊び疲れ、腹を空かし、十人、二十人と群れをなして田んぼの畦に佇んでいる。そのうち、誰ともなく守り子の一人が、おどんが死んだなら道端に埋けろ……と歌いはじめる。すかさず、それに呼応する声がつづく、花は何の花つんつん椿……。ひとつの守り子唄のもとに身を寄せ合った守り子たち。そのとき、孤独な群れはつかの間の慰めと連帯に浸される。守り子たちがひとつになる。』(『子守り唄の誕生』第二章 五木の子守唄とは何か)


 映画企画「子守唄の誕生(仮)」は、ここから着想を得たものだった。高畑さんは、巻末の解説でこう書いた。

『聞いたことも読んだこともなかった驚くべき光景。夕暮れの情景だけではない。厖大な数の七七七五の歌詞の読み解きや、ナガレモンや山中・川面の山師などの描写のひとつひとつに、「すでに近代という時間の水底に没してしまった」守り子や遍歴する人々の姿が浮かびあがってくる。


 これら「路上の人」の光景を画面に蘇らせられないか。大水田地帯から山里、奥山から河川まで、守り子たちをめぐる真実をアニメーションで物語ることはできないか。「子守り唄の誕生」を読んだとき、これを原作として、まず映像の企画として検討しなければと思った。それにどういう意味や困難があるか考えもしないうちに。』


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