小学校の頃、僕より歳が二つ下の「たけちゃん」という少年が、近所に住んでいた。

たけちゃんは、おならを出す名人で、うんことおならが鉄板の小学生にとっては、もう神様のような存在だった。

そんな彼の一番の得意技は、おならを分割して出すことで、その中でも、大人気の技は、「必殺おなら六連発」という技。

こいつは、僕らが「屁の歌」と呼んでいた歌と共に繰り出される技で、「屁がでるよ♪ブッ♪もひとつね♪ブッ♪おまけにもう三発ね♪ブッ♪ブッ♪ブッ♪」と、計六発のおならを快音と共にきれいに捻り出す、超必殺技だった。

まわりのみんなが、どれ程のチャレンジをしても、決して誰一人と成功できなかったこの技を、たけちゃんは、いとも簡単に毎日繰り出すのだ。

なんとか成功してやろうと躍起になったガキ共に、幾度となく悲劇が襲った。大体、最初の二発までは、ほとんどの子供が成功するのだけれど、最後の三連発が甘くない。

「屁がでるよ♪ブッ♪もひとつね♪ブッ♪おまけにもう三発ね♪プスッ♪」くらいで終われば、柔らかな笑いに包まれるだけなのだが、「屁がでるよ♪ブッ♪もひとつね♪ブッ♪おまけにもう三発ね♪ブッ♪ブチッ♪ブジュジュ♪」などとなった暁には、勇敢なチャレンジャーから、嘲笑の対象へと、一気に突き落とされてしまうのだ。

そんな、Dead or Aliveの戦いを、登下校で繰り返していたある日、たけちゃんは、親の転勤で遠い町へと引っ越すことになった。

たけちゃんは、引っ越しの前の日に、最後の「おなら六連発」をみんなに見せると、あまり寂しがる様子もなく、手を振りながら、だんだんと小さくなっていった。

その後も、しばらくの間、僕らはおなら六連発に挑戦し続けたけれど、結局誰もそれを成功させることはできず、そのブームはたけちゃんの存在と共に、少しずつ忘れ去られていったのだった。

僕は、今でもおならをすると、たけちゃんのことを思い出す事がある。

時々、部屋で一人、おなら六連発に挑戦したりもするのだが、未だに成功した試しがない。

アデュー



【LIVE】
4.07(土)新宿ACB
4.14(土)十三FANDANGO~スタパン20周年スペシャルマッチ第5R~
4.15(日)名古屋CLUB UPSET~スタパン20周年スペシャル第6R~
4.28(土)or29(日)COMING KOBE 2018
5.6(日)千葉LOOK
5.11(金)神戸 太陽と虎
5.12(土)都内某所
5.13(日)CONNECT歌舞伎町MUSIC FESTIVAL2018


やぁ、みんな調子はどうだ?

僕はと言えば、ひたすらアルバムの完成に向けて、頭をウンウン言わせてるよ。これは、きっと楽しい時間なんだと思う。

楽しくて好きなことしてるのは、努力とは言わない。いや、本人は努力と気づいてない。そんなもんだよな。どんな事でも、そう簡単じゃあないけどね。



そうそう。曲を作っているとね、いろんな事を思い出すんだ。特にガキだった頃のことなんかを。

スタンド・バイ・ミーに憧れて、線路を何駅も歩いたり、虹をどこまでも追っかけていったり、ひこうき雲が消えるまで見ていたり、自転車でサンタクロースを探しにいったり。

最近、特に思い出すんだよな。なぜだろう?そろそろ死ぬのかな(笑)キャァァァ



たまに電車に乗ってみると、まだ低学年であろう小学生が、普通に定期を持って、乗り換えなんかちゃんとして、通学していたりするでしょ。あれ驚愕だよね。

僕なんざ、初めて一人で電車に乗ったのは、小学校四年生の時。当時、クラスで流行っていた将棋を買いに行く為に、二駅隣のデパートを目指した。

切符を買って、ホームで電車を待っている間、「もしかしたら、もう二度とここには戻って来れないかもしれない」というくらいに、緊張していた。なんてアホなんだろう。 

「ぼくらの七日間戦争」という、映画を見た次の日には、深夜に家を抜け出して、近くの電気屋の裏にあった、車の廃材置き場みたいな所で、積み上げてある車の間に、破れたタイヤを並べたりして、バリケードを作り、大人と戦う準備を進めていた。でも、それは、次の日の朝、全部元通りになっていた。なんて悲しいんだろう。



そんなくだらないことがたくさん集まると、自分の中から歌というものが、出てくるんだと思う。

未来とか、過去とか、想像とか。

長く生きると、だんだんと鈍くなっていく、頭や気持ち。それを、時々つついてくれる、未来の自分や、過去の自分と話すのはとても楽しいし、とても苦しい。



でもさ、やっぱりね。線路とか、虹とか、ひこうき雲とか、そういう類いのものって、いつ見てもあの頃見ていた時とおんなじで、わくわくするよね。
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そういうものに、わたしはなりたい。

ライヴを見に来てくれる奴らが、そんなふうにわくわくしてくれたら、最高じゃない。



【LIVE】
4.07(土)新宿ACB
4.14(土)十三FANDANGO~スタパン20周年スペシャルマッチ第5R~
4.15(日)名古屋CLUB UPSET~スタパン20周年スペシャル第6R~
4.28(土)or29(日)COMING KOBE 2018
5.6(日)千葉LOOK
5.11(金)神戸 太陽と虎
5.12(土)都内某所
5.13(日)CONNECT歌舞伎町MUSIC FESTIVAL2018




  



今日は3月8日。

ちょうど20年前のこの日に、僕は、初めてライヴハウスのステージに立った。



1997年。突然バンドがやりたくなり、住んでいた大学の合宿寮をとびだして、仙川という町に住んでいた友達のアパートに、半年くらい転がり込んでいた。

そして、その後、一人暮らしをすることになって、友達と不動産屋を、ちょろちょろとまわっていた。その頃の僕は、とにかくライヴをやってみたい一心で、ライヴハウスの上にあるという、普通ならば低条件であろう部屋に狙いを定めた。下にライヴハウスがあれば、いつでもライヴができるだろう。そんな単純な理由からだった。

その少し前に、バンド活動のことなど、何も知らなかった僕は、「東京のライヴハウス集」的な本を買っていて、その中からなんの理由もなく選んだ、渋谷のON AIR WEST(現TSUTAYA O-WEST)に「すいません、ライヴやりたいんすけど、どうすればいいすかね?」などと電話していて、「はい、箱の貸出料は60万円~70万円くらいです」なんて返事に、みんなどうやってライヴやってんだろうかという疑問でいっぱいだった。それで、ライヴハウスの近くに住んで、店員と仲良くなれば、うまいことイベントにもぐりこめるんじゃないかと企んでいたのだ。

まだ、バンドメンバーすら揃ってもいないのに。



そうこうしているうちに、とりあえずメンバーを4人集めなきゃと気づき、欣ちゃんとは、既に、雑誌のメン募で知り合っていたから、友達の友達でベースが弾ける奴と、そいつと同居していたドラムの叩ける奴の二人を強引に誘って、そのままSTANCE PUNKSを結成した。1998年の1月。

悶々としながら部屋で書きためた曲はたくさんあったから、あとは少し練習して、ライヴを決めるだけ。僕は家のドアを開けて、地下への階段をトントンと降りて行った。

そこは吉祥寺にある「CRESCENDO」という、キャパが150人くらいの小さなライヴハウス。地下の扉を開けようとしてみると、まだ営業時間前だったようで、鍵がかかっている。仕方なく、出直そうと思い、部屋に帰ろうとすると、どうやら1階に事務所があるということに気がつき、そこの扉を開いてみた。

すると、女の人が一人で椅子に座っていて、何か用ですか?という顔をして僕のことを見ていたので、「あの、ライヴやりたいんすけど」と思い切って言ってみた。

ライヴはすぐに決まった。もしかしたら、大金を払わなければいけないかもしれないというドキドキと共に。それが1998年の3月8日。

僕は、初ライヴの前夜に、気合いを入れるために、髪を真っ赤に染め上げた。



当日はすぐにやってきた。初めてのリハーサルだ。対バンになめられないように、ガチガチにガンとばしながら、適当に歌った。音のチェックだとか、そんなものはまだ何も分かっていなかったから。モニターすら、初めて見るという始末だった。

リハーサルを終えると、みんなで僕の部屋で待機した。煙草を吸ったり、ゲームをしたり、ダラダラしていたけれど、胸がずっと高鳴っていたのは覚えている。

そして夜になり、僕はステージに上がって、スポットライトの中で、自分で作った曲を歌った。



あの日から、今夜でちょうど20年。
僕は、今も歌ってる。

ボエ~!!!



1998年、CRESCENDO横の更地にて
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【LIVE】
3.11(日)仙台MASTER PEACE2018
3.21(水)渋谷O-Crest~スタパン20周年スペシャルマッチ第4R~
4.07(土)新宿ACB
4.14(土)十三FANDANGO~スタパン20周年スペシャルマッチ第5R~
4.15(日)名古屋CLUB UPSET~スタパン20周年スペシャル第6R~

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