【真・日本史】序章(真・日本史を編纂するにあたり)
日本史には諸説あり。様々な研究解釈が為され、まさに百花繚乱様々な説が流布されています。浪漫として歴史を追及するのが人間の性(さが)故、それも必ずしも否定すべきでないと思います。しかし、歴史が、【伝説や伝承】でなく、【歴史】として存在する由縁は、【唯一の真実】が存在するからこそ。それすら存在しないなら、すべては【空想】になります。
では、現代日本人と日本社会が【真実の歴史】を見失ってしまった原因は何か? 原因は三つしかありません。
① 文献史料の継承保全の失敗
② 日本人が文字導入が最も遅れた民族かつ、文字体系を複雑多岐にし過ぎたための口伝継承の失敗。
③ 災害国、度重なる戦乱による【遺失】、地域連携の無さ、時代による言語文字変遷や語り継ぎによる【伝言ゲームエラー】を修正できなかった
これら由縁に、【日本史】は【正史】つまり【真実】を喪ってしまったのです。
しかし、その中で、その禍根を断ち、未来に備える仕組みを作って現代迄【真・日本史】を一子相伝で管理してきた家がありました。始めたのは、第五十代天皇【山部(山辺)王】皆さんが知っている【桓武天皇】と、その副官【安倍晴仁】でした。
🔯改めて、これから【真・日本史】を編纂する私の自己紹介をします。
名前を【安倍晴逸】。正確には、【正二位左大臣泰氏安倍惣領四十四世中臣晴逸】と申します。戸籍謄本や住民票の基になる住民票基本台帳には、【安倍晴逸】【谷澤晴一】両方が併記される不可思議な存在。住民票を請求する度に何時間も窓口が混乱し、最後は、困惑顔の住民課長が、「どちらのお名前で発行したら宜しいですか?」と逆問い合わせする人間です。惣領(蹟取り)は【長男相続】と決められ、【晴】の名前に縛られる代わりに、代代わりの度に一子相伝口伝筆記両方で、桓武天皇陛下以来1260年の【国書】【風土記】【皇室私的記録】【時代に編纂された重要古文献】と、【一代の世相を記した私的日記】を【エラーが起きぬよう】相続してきました。由縁に桓武天皇陛下の治世に勅命で【信濃国に移住】明治維新迄【歴史の影】から歴史を継承してきた家の四十四代当主です。
私の代迄の蓄積と、預かり、現在は海外【大英博物館】【ルーブル美術館】【スミソニアン博物館】に譲渡管理委託している【290万点の文献史料】を絶対的エビデンスに、これから【真・日本史】をSNS、個人ブログ・ホームページに投稿して参ります。
【真・日本史】ですから、皆さんの空想、想像の楽しみを【破戒】するかと存じますが、私には蹟取りがなく、また、この時代、人類そのものが【絶滅の瀬戸際】にいることを認識し、この命の【最後の使命】と心得、発表して参ります。
🔯この時期迄時間がかかり遅くなりましたが、先日皇室、皇族、今上陛下の裁可を賜り、最後迄難色を示していた【藤原一門】の許可もいただけたので、【明日】2023.3.26日より以下三つの【物語形式】にて投稿始めます。
【諏訪のものがたり】【みすゞかる都信濃】【風祝伝記】
どうぞお付き愛お願い申し上げます。
泰氏安倍惣領四十四世中臣晴逸(谷澤晴一)拝。2023.3.26(日)
(写真は、初代安倍晴仁が桓武天皇陛下から賜りし、初代天皇神武倭王の勾玉)