現在から約1000年前から900年前。ちょうど源平合戦を真ん中に、100年もの長期間、平安京や、日本全国で流行した唄(うた)があった。
『あそびや、せんとや、うまれけん』
『たわむれ、せんとや、うまれけん』
『あそぶ、こどもの、こえ、きけば、』
『わがみ、なきとて、たのしか(け)れ』
遊びをしないと、生まれて来ない。
戯(いたずら)しないと、生まれて来ない。
遊ぶ子どもの声をきいていると。
自分がなにものか考えてしまう。
現代語に翻訳すると、こういう意味になる唄は、古典学者の解釈は、殆どが『退廃した時代における民衆の空気を詠んだ男女の恋愛唄』と解釈し、それを、好んで唄い、拡散した後白河帝(天皇・上皇・法王)を『日本一の王(大)天狗』と揶揄するときに紐付ける。
確かに、この唄を最も唄い、時代に拡散したのは、後白河帝、そしてその隠し子『平清盛』だ。 しかし、この唄は、後白河帝が誕生するより昔、日本全土から自然発生的に唄われはじめ、それを後白河帝と平清盛という時代のトップが拡散しただけなのだ。
そして、後白河帝、平清盛、二人が共通して持っていた、『時代をリードしていく原動力』こそが、『遊び心』『こどものような純心』『好奇心』だった。
特に、現代同様、不安定で過酷だった時代に、二人だけが生涯喪わず生きる軸にしていたのが、『知的好奇心』だったからこそ、あの頃の日本人は、二人の存在を許容し、同時に二人に『なりたい自分』『なりたくない自分』両方を學んだのだ。 そういう意味で、二人は、その後時代を軍事政権で引き継いで行った『孤独なヒーロー』源氏とは違った位置で見る必要がある。
実は。ここで一番大事なキーワード、『遊び心』『知的好奇心』は、現代に生きる私たち日本人や人類という種全体が、子どもの頃には皆持っている宝だ。
ところが、思春期の『揺らぎ(曖昧・ファジィ)』を経て、大人になり社会で生きる目標を定めたあとは、逆に軸をぶれなくするため。狭くしながら。閉ざして行ってしまう。
ぶれない。それが、故に幸せに安定した人生を航海出来るメリットがあるから、平和な時間や時代にはある意味正しい選択だが、逆に、地球自身の生理で来る70年周期での汎地球的自然災害、そして1000年(ミレニアム)周期で来る天体運航に左右される地球上の生命体の種としての危機にいる、私たち人類は、真っ先に『遊び心』『知的好奇心』を再獲得する必要がある。
単純化した話をする。
生きる上で、自分軸は必要だ。大人になってその軸で生きることが出来るから、夢も掴めるし、人生も豊かになる。
でも、それをかなえるには、
子どもの頃持っていた『遊び心』『知的好奇心』を、災厄下にいる現在、どれだけ発揮できるか、
それと、思春期に経験した『揺らぎ、曖昧(ファジィ)』をどれだけ自分の『弾力性』として使えるか。が大切なのだ。
二度の大震災に罹災、娘とパートナーを喪う過程で、まだ、僕自身が『未來案内人』と名乗っていられるのも、全てを喪わず、生きて来られた結果と、逆に背負った悲しみの経験から、いつも『知的好奇心』『遊び心』を発揮する訓練をしていたからだ。そして現在もなお、『揺らぎ』という弾力性を使えるからだ。
そして、二度の大震災の現場で生存できた人も、それを乗り越え現在も生きている被災者も、それゆえに現在の生と、未來への継承権を獲得できたのだ。
災厄の現場で一番最初に天に召される人は、例外なく、『折れやすい』。
『知的好奇心』『揺らぎ』『遊び心』を取り戻さないと、『試練』が来た瞬間『パニック』しかできず、乗り切る『臨機応変』ができない。そしてその危機回避の訓練は一生涯続けないと、結局自分も、大切な家族も、自分の所属する種(しゅ)としての人類も、未來へ連れて行くことが出来ない。
だからこそ、あえて、1000年(ミレニアム)の繋ぎ目、危機と災厄の時代に生きる私たち人類は、『刹那的』な生き方を一時凍結してでも、もう一度、『好奇心』『遊び』『揺らぎ』を取り戻さないとならない。そう。思う。
『遊びやせんとや生まれけん』
の唄には、
『それを実践できなければ『未來』が生産できない』
という、後白河帝と、平清盛の、時代の牽引役(パイオニア)としてのメッセージが込められていたことを理解し、そこから、一人、一人に何かを始めて欲しい。 僕は、もう、始めている。
次回、諏訪信仰にあった、大人になっても『知的好奇心』『揺らぎ』『遊び心』を喪わないための教育システムをかたり継ぎします。 それまでに、今日のかたり継ぎをしっかり自分で解釈しておいて下さい。
未來案内人拝
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