お知らせ

3.11陸前高田【命と祈りの優先順位】
今年も、3.11が来た。津波が全てを浚って行ったあの日から12年。今年も、陸前高諏訪神社から、景色を眺めている。
1995.1.17。兵庫県芦屋市の崩落した瓦礫の下に、誕生して2ヶ月の娘【茜】を喪い。
2011.3.11 岩手県陸前高田市を襲った地震津波でパートナー【翠】を喪った。
二度の喪失と、それを乗り越えようと努力してもなお乗り越えられない自分の、乗り越えられない原因になっている【たった一つ】に、ようやく辿り着いて。
今年は、ここにいる。
それは。
【災厄に際した時。命と祈りどちらを優先するか?】。
3.11のあの日あの時。
僕と翠は、逃げ遅れた人を鼓舞し、寄り添いつつ、津波の直前、高台の諏訪神社を目指していた。
僕が先導。翠が殿(しんがり)で。
諏訪神社に辿り着いた時には、既に足下を濁った潮水が洗い始めていた。
僕が先に階段を昇り、一人、一人、手をとり階段の上に引き上げ。翠が、足下を波に洗われながら避難者を励ましながら、背中を押し階段の上へと送った。
その時は、唐突に来た。
少しずつ増して来ていた潮位が加速して。
そして、強い押し波に皆が足を浚われ、直後、引き波が下に残されていた皆を浚いはじめた。
【その瞬間。翠は菩薩のような表情で祈っていた。】
【そして、その周りで、翠の祈りに呼応するように、老若男女皆祈りながら】
【引き波に浚われ、海の彼方へ引き込まれて行った】
【上で一人でもたくさんの人を救おうと激を飛ばしながら修羅の様相で、一人一人引き上げていた僕】
【無益を悟り、浚われゆく皆と祈りに入った翠】
どちらが、あの瞬間正しい選択をしていたか、12年。ずっと答え探しをしていた。
人それぞれ解釈はあろう。でも、現時点で僕が辿り着いた回答は、やはり。
【祈りより、命を優先する】なのだ。
あの時、僕の他にも何人もの人が、
【頑張れ!まだ、大丈夫!助かる!】と声をかけ続け、津波に浚われ始めている人々にも、【助かりたい!】という【意思】があった。
ところが、翠が祈りに入ったその瞬間から、そこを中心に波紋のように【命への
執着】が消え、【死への覚悟】が【伝染】した。
あの景色に【正解】はないにしても、あの時【命への執着】を優先していた僕は、こう言いたい。
【あの時。翠が祈りより命を、最後迄完遂していたら、まだ救えた命があった】
のだと。
災厄。災害に際して、祈りとは、
【終わったあとの鎮魂】のため必用であり、
【災厄災害が終わる迄は命が優先】だと。
2023.3.11 陸前高田諏訪神社にて
泰氏安倍姓四十四世中臣晴逸(俗名谷澤晴一)
2011年3月11日。
この場所で救うことの出来なかった28柱の御霊への鎮魂を込めて。

【12年目の陸前高田③】奇跡の1本松
震災津波の象徴になっている【奇跡の一本松】
ここで【地鎮祭】の仕舞いを終えた。
メディアには津波にも倒れず残った【一本松】しか写されないが、津波河川上流への遡上を防いでボロボロになって残った旧水門施設が、一本松を助けこちら側の河川上流沿いの被害を軽減したことはあまり知られていない。
人間の営みや文明は、自然の前には非力だと言われる。それでも、その非力な人間の防災土木が、少なからず人名を助けたことは確かだ。
あれから12年。12年前の震災レベルの津波を想定した土木工事は完成し、防潮堤も河川水門も立派に整った。
しかし、それをも破壊し、乗り越える津波は、いつか必ずやって来る。
その時【どれだけの伝承が出来】【どれだけ住民や訪問者が防災と向き合えているか】
結局。【災害】【災厄】と向き合うには、
【それだけが大事】なのだ。
2023.3.11 11:30奇跡の一本松にて
泰氏安倍姓四十四世惣領中臣晴逸(俗名谷澤晴一)

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