飾りの様な、人生を送ってきました。


とても誇らしいとは言えない人生を歩いて
私は18年間を過ごしてきました。




2001年2月22日の雪の降る日に
私は産まれました。


浮気相手の子供、そんな肩書きを持って生まれ周囲の人は私の命の誕生に反対しました。


お父さんとは一緒に暮らしたことがありません。




家族3人、穏やかな春も暑苦しい夏も心地の良い風が吹く秋も寒い冬も一緒に笑い合い川の字になって夜寝る事もなく私はずっと母と暮らしていました。



けれど父は私の事が大好きでした。


父は浮気症で何人も女の人がいました。


そして本当の奥さんもいたのです。


父は権力の持った人でした。
強く勇ましい人でした。



愛に溢れた優しい人だったのです。




父の家へ泊まりに行くこともありました。

寂しがり屋の私にぬいぐるみを沢山買ってくれました。

けれど私は寂しくなかったのです、その頃は。



だって愛を沢山貰っていたから。




とても幸せでした。
父と暮らしたことがない。
浮気相手の子供、そんな肩書きは
私にとって普通でした。




けれど世間では私の普通は普通ではなかったのです。



母はよくお酒を飲む人でした。


母はよく私にごめんね、と言いました。

私はなんの事だかさっぱりで
いつもキョトンとしていました。




私は影で父の奥さん等に
「消えて欲しい」と言われてしました。




私はいらない子だったのです。




10歳の頃、母が自由が欲しいと言いました。



父はとても束縛が激しかったのです。




そして父と母、2人の縁が完全に切れました。




父と母の縁が切れたその日の夜、
父は私にこう訪ねました。


「パパとママ、どっちと暮らしたい?」

私は言いました。


「ママ。」


すると父はうっすら悲しそうに笑いました。



「元気でね」

そう言葉を残して。




次の日から父からの電話がなくなりました。

私はなんとなく分かりました、
「あ、もう会えないんだ。」



11歳の頃、母に新しい彼氏が出来ました。


私はその彼氏が大嫌いでした。

父に会いたくなりました。


私はその彼氏に言いました、
「私のパパはあなたじゃない。」


その彼氏は笑いました。

私はムカつきました。



母に彼氏が出来たことを父が知った時
母と私とその彼氏を連れて
何故か父に会いに行きました。


父は悲しそうでした。



私も悲しくて父に手紙を書きました。


「パパへ

私のお父さんはずっと何があってもパパだけだよ。

                                        咲より」



その一言だけを書いて渡すと父は
それを握りしめてポッケへ入れました。





その彼氏と母は上手くいかずよく喧嘩をしていました。


母とその彼氏が喧嘩をしに外に出る度
私もついて行きました。


けれど私は熱を出し、歩けなくなりコインランドリーで寝ていました。

母は来てくれず、ちょっと顔を出したと思い、
「熱がある、キツい」と言ってもここに居なさいと言われ何時間も待たされました。


とても寒かったのを覚えています。




そしてしばらくして母とその彼氏は別れました。




母は不眠症になり精神科に行き睡眠薬を処方して貰っていました。



けれどその時期ちょうど引越しが重なり精神科を変えなければいけなくなり新居に近い精神科に通うことになりました。



そこで母は躁うつ病と診断されました。



12歳、

母が壊れました。



毎日お酒を飲み、私を殴ってきました。


時には鉄パイプで思いきり頭を殴られました


すごく痛かったです、


とても痛かった、心がとても。




毎日泣いていました。




ある日の夜、

変な物音で起きました。

目を開けると血の海が出来ていました。



母が手首を切っていたのです。



急いで救急車を呼びました。



こんなことがこの頃毎日起きていました。



夏休みに入ってもとても地獄でした。


毎日殴られ外にも出れずテレビすら自由につけられない日々の中に私は自分の存在価値を見出すことが出来ませんでした。



死にたい、この頃初めて思いました。




ある日包丁を母に向けられました、
その時思いました、

「私はいない方がいいんだ。」



その後も何度も殴られ、蹴られ、
時にはハサミで腕の肉を切られました。

包丁を振り回され怪我もしました。




髪も切られました。



母は私の髪を切り、笑っているのです。




とても悲しかったのを覚えています。




そしてその頃家に帰ることが憂鬱な日でした。


家に帰ると母が泣いていました。


「パパが死ぬかもしれない」



私は頭の中が真っ白になりました。



末期のガンだったのです。



次の日お見舞いに行きました、


父はチューブに繋がれ目を閉じていました。


現実で見た事のない状況に私は

ドラマに出てくるようなセッティングだな。

そう思ったのです。




私は何も言えませんでした。

母は泣いていました。
そしたら本当の奥さんが言うのです、


「泣かないで、耳は聞こえてるからあなたのせいでお父さんが辛くなるでしょう」


要するに父はこんな姿見せたくなかったんだから、空気を壊すな。と言っているのです。




その二週間後、


大晦日の日に父は天国へ旅立ちました。





葬儀は雪の降る寒い冬の日に行われました。

まるで私が生まれた日のようでした。

テレビでは正月だ、なんだのと騒いでいるのに
どうしてこんなにも私の心は空っぽなんだ。


こんな世の中クソ喰らえ


そう思いました。




母はよく私にこう言いました。


「素直な子に育ちなさい。嘘のない子に育ちなさい」

と。



私の名前は咲です。

私は私の名前が嫌いでした。

在り来りな名前だからです。
この名前は父がつけました。

なぜこの名前なの?と聞くと

「咲という漢字にはいい意味がこもってるんだよ」

と言いました。


わけが分かりませんでした。




父はよく私にこう言いました。


「よく笑っていなさい、笑ってると人に好かれるから。」

と。




父が亡くなり更に二週間が経った頃、

学校の前に朝ごはんを食べていました。
ふとテーブルの新聞に目がいきました。



"咲" その漢字が目に留まったのです。


そこには、

「咲という字には笑うと言う意味がある」


それを見て思い出しました。


父の言った言葉、

"

「咲という漢字にはいい意味がこもってるんだよ」


「よく笑っていなさい、笑ってると人に好かれるから。」


                                                                 "




私は素直によく笑う子に育ったのでしょうか。



この嘘にまみれた世界で、
私は素直に、よく笑う子に育ったのでしょうか。