本日発表があったように、





それでも尚、未来に媚びる







ギターサポートやります。









そのことについて幾つか書いていきます。
長くなりますが、最後まで読んで頂けると幸いです。





まず、Outside dandyが解散の方向へ向かったのが8月。
その頃僕の心は酷く疲弊していました。










結成から12年、変わらず心に決めていたことがあります。







それは、














「Outside dandyが終わる時、ギタリストとしての自分も終わる。」
















僕の中で、バンドの解散は自分自身の音楽人生の終わりを意味するものでした。
それくらいの覚悟を持って、12年間バンドと向き合ってきた。








そして、その行く末にたどり着いた解散。








振り返れば15年、ギターだけは変わらず自分の側にありました。
そんなギタリストである自分との決別は、自分が自分ではなくなるような感覚で、まるで生きた心地がしなかった。






でもやはり、バンドを存続させることも難しかった。
理由は以前ブログに書いた通りです。





メンバー間で話し合い、正式に解散が決定したのが9月。





公に公表する前に、まずはバンド仲間や関係者にこの決断を伝えた。






周りは揃ってOutside dandyの解散を悔やみ、惜しんでくれた。
本当に有り難かった。









でも僕らの決断は変わらなかった。















そんな中、僕に幾つかの連絡が届くようになる。












それは、僕のギタリストとしての価値を見出し、僕を必要としてくれる人達からの連絡だった。




その連絡は複数の場所から届いた。


正直、驚いた。






これまで一つのバンドに全精力をかけてきた分、それ以外の場所でのギタリストとしての価値は0に等しいと、自分でそう認識していたからだ。






ただ、その複数の連絡は確実に当時の僕の心を救ってくれた。
ギタリストとして生きてきた自分の人生に少しだけ誇りを持つことができた。








でも、それに応える自信までは持ち合わせていなかった。
これまでと同じ気持ちでステージに上がることができるのか。
また同じ気持ちでギターを弾くことができるのか。


正直、不安は拭いきれなかった。









そうした中、わざわざ僕に会う為に東京まで足を運んでくれた人がいる。








それが、がーことろくだった。







3人で古くさーい居酒屋に行った。







酒を飲みながら、がーこが言った言葉。














「ほんまはdandyを続けてほしいねんけど、どうしてもそれが無理なんなら、うちに力貸してほしい。」












この言葉は、当時連絡をくれた誰の言葉よりも自分の心に響いた。










連絡をくれた人達の中には、電話だった人もいれば、ラインで済ませた人もいる。
業者関係からはツイッターのDMだった。





でもこの二人は、直接面と向かってわざわざ大阪から足を運んでくれた。

どこまでも筋が通ってる。








それ以前に、これまでOutside dandyは、それ媚びに数え切れんほど救われてきた。


去年一緒に回ったバトルロワイヤルツアーを約束してくれていなければ、僕らはその年の1月、確実に解散していた。



「ミッドナイトタクシーレディオ」という楽曲も生まれなかった。




結果解散は間逃れなかったとしても、この曲が生まれる前とその後では、解散の意味合いも、その景色も絶対的に違った。
出会えなかった人もたくさんいたと思う。

きっと4人で笑って解散公演を終えることもできなかった。




それ媚びは、ツアーを通して色々な場所に連れて行ってくれた。
たくさんの素敵なバンドと出会わせてくれた。


そう言った積み重ねが、当時もう一度4人で足並みを揃え、走り出す原動力となった。






それこそ去年の1月、解散話が浮上した時、達郎君が発した言葉を鮮明に覚えてる。





「今バンドが解散したら、俺はもう歌を歌わない。」



彼は確かにこう言った。




それが今回彼は、また歌を続ける道を選んでくれた。


これもまた、バトルロワイヤルツアーと言うかけがえのない時間を経て信じることのできた音楽の力だと思っている。


12年間苦楽を共にした相棒として、彼がまだボーカリストとして生きてくれることほど嬉しいことはない。















だから僕は、達郎君の分も。
そして、ゆーま、かるびの分まで、それ媚びの力になりたいと思った。










今回頂けたお誘いはどれも本当に有り難かった。
でも正直な所、それ媚びでなければここまでの気持ちにはなれなかったと思う。
疲弊しきっていた心を引き戻してくれたのは、彼らの力と魅力以外のなにものでもない。

























がーこ、ろく、みよっぴ、井地











いくぴ、ココロ、

























そして、親友である亮ちゃん
















この人達の為なら、また同じ気持ちでギターを弾ける。






















終わろうとしていた音楽人生。
もう一度ステージに立つ覚悟を持たせてくれた。
またギタリストとして生きる道を選ばせくれたそれ媚びに、まずは恩返しをしたい。







復帰ステージは12/14、神戸太陽と虎。
iTucaのツアーファイナルです。

一生懸命やらせてもらいます。
よろしくお願いします。















それと、僕を突き動かしてくれた力がもう一つあります。





それは、これまで応援してくれたあなた達、ファンの皆の言葉です。





解散を発表してからたくさんのお手紙をもらった。
DMもいっぱい届いた。
その全部、ちゃんと目を通しています。






そこで皆が共通して伝えてくれる言葉。









それは、












音楽を、ギターをやめないでほしいと言うこと。
また必ずステージに戻ってきてほしいと言うこと。

















ここまで必要とされ、自分の価値を見出してくれる言葉達は、間違いなく僕の心を動かした。
もう一度ステージの戻る力になった。




たくさん心配をかけてしまったと思う。
ごめんなさい。
そして、ありがとう。



















覚悟はできた。
















皆が繋いでくれたギタリスト生命。
絶対に無駄にはしない。









まずはそれ媚びに恩返しを。
改めて、これからもギタリスト松本翔をよろしくお願いします。
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先日書いたブログ、たくさんの人に読んでもらえたみたいでほんまに嬉しいです。
アクセス数半端なかった。
ありがとう。

幸いにもブログを書いた翌日がボイドリの日で、バンド仲間、ファンの皆、関係者各位色々な人と顔を合わせるタイミングだったんだけど、皆が口を揃えてあのブログの内容を評価してくれた。

記事にも書いたけど、自分の気持ちを文章に起こすことがこんなにも難しいと思ったのは初めてで、書き上げるまで本当に時間がかかったし、途中何度も書くことをやめようと考えた。

書き上げた後もそれを公表するのに躊躇した。
ここまで真相をさらけ出した上に、それでも理解してもらえなかったらどうしようかと。
正直不安しかなかった。


ただそんな不安は翌日皆の言葉と表情で掻き消された。
もちろんブログを読んだ全ての人が納得したとは思っていない。
ただ、少なくとも過半数以上の人がその文章の意味をしっかり受け止めてくれ、それぞれの思考で理解をしてくれたものだと思っている。


皆の表情もどこか晴れ晴れとしていた。
本当に嬉しかった。




そして、改めて人に自分の想いを打ち明けること、考えや気持ちを言葉に表すことの重要性を思い知らされた。







いつからやろ。

歳を重ねるごとに、自分の身の回りに起こる辛い出来事や、迷いや不安を人に話せんくなっていった。

マイナスなものは全て自分の中にだけ閉じ込めて、塞ぎ込み、どんなにしんどくても、「しんどい」と言えない自分になっていった。




これは決して周りの環境が頼りないわけじゃない。
現に今回の解散の件でも、悩んでいる僕らを助けようとしてくれた人はたくさんいた。
解散発表後も、なんとか力になろう動いてくれる人がたくさんいた。




胸の内を打ち明けることのできない理由はいくつかあるけど、中でも一番根底にあるのは、





「弱い自分を見せたくない。」





と言う部分なのかもしれない。





これまで如何なる時も、どんな状況下であっても、常に強い自分でいたかったし、強く見せたかった。



ただその強がりが今回の解散に繋がった理由の一つと言っても過言ではない。


気付いた時にはメンバーにさえ言えない不安がたくさんあった。
ただただ孤独を感じていた。



「強がり」には限界があった。



そして折れてしまった心。
取り返しのつかない結末。



今回ブログを書いて、もう少し早く誰かを頼っていれば、と考えてしまった。





正直に話せばこんなにも理解してくれる人達がいる。
こんなにも力になろうとしてくれる人達がいる。




分かってるようで、なにも分かっていなかったのは自分だった。





これからの人生、できる限り自分のことを人に話していこうと思う。
弱い自分も怖れず、向き合っていこうと思う。




また一つ皆から大事なことを教わった。
振り返ればいつだってこうして成長させられてきた12年間だった。
本当にありがとう。



お陰であのブログを書いた日から僕の気持ちも晴れた。
だからこそ最高の時間になったボイドリ2019。



解散発表前、発表後の数本、低迷していたOutside dandyのライブは、この日で完全に本来の力を取り戻した。




解散を発表してから、どんな気持ちでステージに立てばいいのか、どんな想いでギターを弾けばいいのか、全く分からなかった。



ファンの皆との距離も遠く感じていた。
このままでは終われないと言う焦りにもかられていた。





だからこそ、ボイドリのあの景色には感動した。





それからファイナルシリーズに突入。
大阪、名古屋、チャプフェスと、言わずもがなOutside dandyは最高を更新し続けている。




達郎君もツイッターに書いていた。
「誰がなにを言おうと、今が一番かっこいい」と。



僕も同じことを思う。








そして明日、遂に迎えるラスト公演。














最後という実感は、


















ある。





















むしろ怖いくらいにある。











だからこそ、明日ステージを降りてからの自分の心境が全く想像できない。













ただ、ステージを降りるまでの自分は容易に想像できる。









最強のギタリストであること。
そして、この12年間で一番Outside dandyというバンドを愛する自分であること。






これだけは断言できる。







最後の最後まで、僕ら4人の夢に付き合ってくれてありがとう。
未来を諦めたバンドを、見捨てないでくれてありがとう。



この感謝の気持ちは、明日、全てロックンロールという形でお返しします。





明日は渋谷、TSUTAYA O-Crestで会いましょう。
最強で、最高の夜を用意して待ってます。
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解散発表から1ヶ月が経ちました。

この1ヶ月、とにかく感情の変化が忙しかった。
酒の量も増えた。


12年間もの間絶えず自分の生活の中心にあったものがなくなる感覚というのは初めてで、言葉にできない感情に蝕まれ、まるで自分が自分ではないような、心が空っぽになったような状態が数ヶ月間続いてました。



でもなんとか、こう言った文章を書ける所まで立ち直ることができた。




ファンの皆から、バンドの仲間から、お世話になった関係者の方々から、口を揃えて言われた言葉。









「どうして今、解散?」








解散発表に対する皆のリアクションは、ちゃんと受け止めているつもりです。
その中には嬉しい言葉もあれば、胸が締め付けられるような言葉もある。
ただ総じて言えたことは、解散に納得していない人、納得できない人が数多く存在したこと。

ホームページに掲載した解散文章は、僕らなりに何日も考え抜いて発表したものだったけど、皆からしてみれば不十分だったのかもしれない。

自分が今まで人生を懸けてきたバンドの解散が、こんなにも沢山の人達に惜しまれていることには正直喜びを感じた。
ただそれと同時に、その結果に納得されていない現状も大きく引っかかった。

SNSには誹謗中傷を書かれていたり、良くないことを想像してしまった人もいると思う。



それに関してははっきり言わせてもらう。
僕らの解散は決してマイナスなものではないし、投げやりな結果でもない。


でも、それを理解してもらえないまま活動を終えるのは寂しいと思った。


皆も同じ気持ちだと思う。
どこか腑に落ちないままバンドの解散を素直に見届けることができるのか。

ファンの皆は言ってくれる。
「自分達が口を出せることでもない。どんなに反対したくても、無理やり結果を受け入れるしかない。」と。

それを聞いて、僕は違うと思った。
確かに世の中には知らなくていいもの、知る必要がないものが腐るほどある。



ただ、今まで時間もお金も割いて応援してくれた皆には、それを知る権限があると考えた。
きっと何をどう話しても批判は食らうだろうし、いっそのこと黙っていた方が楽かもしれない。
だからこそ解散の真相を伏せるバンドは数多く存在する。
わざわざ表明するもんでもないと何度も悩んだけど、こうすることにより一人でも多くの人の気持ちが晴れるのなら、自分達が降した決断を理解してもらえるのなら。





僕らが解散に踏み切った理由、その真相を明かしたいと思った。






文章の中には聞きたくない言葉もあるかもしれない。
なるべく傷つけないようちゃんと言葉を選んで書くつもりだけど、至らない部分があったらごめんなさい。





長くなるけど、読んでいただけると幸いです。
それでは書いていきます。





まず現体制のOutside dandyになったのが2011年。
田舎出身の無名バンドのスタートから少しづつ、周りの環境に恵まれながらも着実に、右肩上がりの活動を行っていた。

その活動が一つ報われたのが2015年。
レーベルに所属し、初の全国流通が決定。

作品タイトルは「Mr.」そしてその表題曲に選ばれたのが「OVER」と言う楽曲だった。
これまでのOutside dandyの楽曲はそのほとんどがダーク色の強かった風潮を「OVER」は一新した。
この楽曲が生まれたことをきっかけに、僕ら4人は「こんなバンドで在りたい。」と思い始め、バンドの未来、希望、可能性をこの曲に詰め込んだ。




思い返せば、この時から少しづつ歯車は狂い始めていたんだと思う。




次第にOutside dandyの音楽は「魅せる音楽」から「与える音楽」に変わっていく。


次作はレーベルとの契約を打ち切り、もう一度自分達の足で歩んでいくことを覚悟した「Into the wild」をリリース。
この作品でより「与える音楽」が強調できたと思う。


ただこの時点での数字的な結果は惨敗。
「Mr.」も「Into the wild」も、思った以上のセールスを打ち出すことができなかった。


僕は悩んだ。
自分達が信じたい「与える音楽」でどうすれば結果を出せるのか。
逆にどうして結果を出せないのか。
メンバー間で何度も話し合ったけど、答えに結びつかない日々が過ぎていった。

考え過ぎた挙句、バンドの未来が見えなくなり、初めて「解散」という言葉が散らついたのもこの頃だったと思う。
どうにかマイナスな思考を払拭する為にとにかくライブ活動に明け暮れた。
ステージに立って、ファンの皆の顔を見ると心がとても穏やかになった。
皆が会いに来てくれるその行動に、心が救われていた。





そんな中、村上君が1曲のデモを送ってきた。
それが「ミッドナイトタクシーレディオ」だった。

この楽曲は間違いなくバンドを救ってくれた。
後に盟友である「それでも尚、未来に媚びる」と行なったバトルロワイヤルツアーも、この楽曲が生まれたお陰で無事完走することができた。

この楽曲と同じタイミングに生まれた「リボルバー69」や「Don’t know」の力で、ライブでのアプローチも変わっていく。
まさにメンバー全員が望んだ「与える音楽」を実現できていた。









ただ、その理想を追求すればするほど、僕らの前に立ちはだかった壁があった。










それは、
















4人が追い求めたOutside dandyの理想像と、村上達郎と言う人格の不一致。




だった。






そもそもバンドって生き物は、バンドのカラーとボーカリストの人生観が一致しているほどいいバンドの傾向にある。
なぜならボーカリストは、歌を歌うことにより楽曲に命を宿す。
言葉を使い、どんな楽器よりも分かりやすく自らの生き様を晒すことができるからだ。

僕は村上君とかれこれ15年の付き合いになるが、この時4人が思い描いていたバンド像と村上君の歩んできた人生観は相反するものだった。
性格的な面でも、普段の彼は決してステージで見せるようながめついタイプではないし、むしろスーパー根暗な人間。
過去のOutside dandyの楽曲にダーク色が強いのが何よりの証拠。

そんなボーカルが歌う「与える音楽」に少しづつ違和感を感じ始めていた。
ファンの皆には理解し難い部分かもしれないけど、歌のテンション感、グルーヴ内でのリズム感、発する言葉等。
様々な要素でOutside dandyの理想に当てはまらないものが増えていった。







「OVER」と言う楽曲がくれたOutside dandyの未来は、皮肉にもバンド内で一番の重要人物であるボーカリストの人格と一致しなかった。







ただ僕は、それを認めたくなかった。
認めてしまったら終わりだと思ったから。

この壁を越える為に、二人で何十時間、何百時間と話した。
スタジオに入った時間も計り知れん。
それでも結果には結びつかなかった。

僕は彼に沢山のものを求めてしまった。
彼もまた、メンバーが望むOutside dandyのボーカリストになる為精一杯の努力をしてくれた。
苦しい思いもさせてしまったと思う。
それでもメンバーが信じた音楽、ファンの皆が求めてくれている今のOutside dandyを裏切りたくなかった。




その意地で作り上げた「ROCK’N’ROLL MUSIC SHOW」や「We can’t stop rock’n’roll」という楽曲達。
どれだけ自分達の音楽に不満があろうと、自分達の音楽に納得してなかろうと、それを全力で否定したかった。
抗いたかった。


結果形にできていないから、想像するのは難しいかもしれないけど、4人が表現したいOutside dandyはこんなもんじゃない。
もっとやれるし、もっと上に行ける。
4人全員がここまで確信を持っていても実現できないもどかしさが、次第にメンバー間の距離を離していった。






いつの間にか自分達のロックンロールが何なのか、その価値さえ分からなくなっていた。
理想のOutside dandyを実現させる為に、バンドを守る為に、自分ができる限りの努力はしてきた。
どんな時も先頭に立って、このバンドを引っ張ってきた。
だが、気付いた時には僕の心は驚くほど疲弊してしまっていて、メンバーに会うことも、ステージに立つことさえ辛いと思うようになってしまっていた。





そもそもOutside dandyは来年の2020年、セルフタイトルのベストアルバムをリリースし、満を持して勝負に挑む予定だった。
そこでメンバー全員が納得できる結果が出なければ、潔く解散する。
これは元々4人で決めていた約束事だった。



ただ今の僕に、その作品で結果を出す気力と自信は残されていなかった。



改めて解散を考えたのもこの時だ。
バンドのリーダーとして、メンバーのこれからの人生のことも考えなきゃならない。
バンド結成から12年、村上君は今年で32歳、後の3人は30歳になる。
音楽業界では決して若い年齢ではない。


5~7時間のスタジオを週2回やって、残りの週5でアルバイト。


こんな生活を何年も続けさせるわけにはいかないと考えていた。
病気を患ったメンバーもいる。
結果が全てではないが、結果に結びつけられる根拠がないまま活動を続けていくことに、僕は責任を持つことができなかった。







そしてその思いをメンバーに打ち明けた。






4人で長い時間話し合った。
ベストアルバムの制作はできれば実現させたい。
ただ今のままでは単なる自己満の作品になってしまう。
これまでリリースした全作品において、その時代に注ぎ込める全ての力を注いで来たし、決して妥協は許してこなかった。

そうまでして来て、満を持してリリースする作品に全勢力を注ぎ込めない現状は、僕らが制作に取り掛かる理由には繋がるはずがない。




では、どうすべきか。





その答えは既に出ている。
ここに辿り着くまでに死ぬ気でやってきたこと、向き合ってきたこと、そもそもその結果が今なわけで。
これ以上の追求はそれこそバンドやメンバーの人格さえ壊してしまう結果になり兼ねなかった。



村上君への負担も尋常じゃない。
もし彼がもう一度人生をやり直すことができ、違った生き方を選択できるのであれば、解決できる問題だった。
もちろんそんなことできるはずがない。



根っこの人格と言うのは変わらない。
良くも悪くもそれがその人の個性だから。
それがOutside dandyの理想と一致しなかっただけ。
誰も悪くない。



そう諦めがついた時、残された答えは一つだった。


もちろん続けることもできた。
ただ続ける以上は結果を求めたい。


これまでの活動でも常にその意思は変わらなかった。
だから皆も、Outside dandyの音楽を信じて、ついてきてくれたんだと思う。

もし僕らが結果を求めず上も目指さず妥協した活動を行なっていたなら、解散に対しこんなにも惜しまれるバンドにはなってなかったと思う。




だから、結果を求めない上での活動は自分達のプライドが許さなかった。




ではなぜこのタイミングの発表だったのか。


それは上記のベストアルバムが関係している。
プラン通りベストアルバムを来年リリースするのであれば、年内からレコーディング開始、年度末には完パケし、そこから様々な入稿作業やプロモーション活動を行って、ようやくリリースできるのが今から約1年後くらいの計算になる。


活動を続けるのであればベストアルバムの制作に入らなければならない。
決断は今しかなかった。












そこで降した「解散」










苦渋の決断ではあったが、メンバー4人それぞれが幸せになる為の手段だった。





次の音楽人生の為に、疲弊してしまった心と身体を休めてほしい。
病気を患ったメンバーにはしっかり休養を取ってほしい。







そしてなにより、














村上君には自分が本当に歌いたい歌を歌ってほしい。
















僕は僕で、音楽以外の目標もあった。



例えファンの皆を悲しませる結果になっても、Outside dandyを続けることが4人の幸せに繋がらないのであれば、そんなバンドが生み出す音楽で皆の事を幸せにできるとは思えなかった。



12年間バンドを存続させていく為には変わり続ける努力が常に必要で、そうして追い求めた先に待っていた答えは、あまりにも残酷なものだった。







これが紛れもない、Outside dandy解散の真相。







皆は12年間、変わらず同じものをやり続けたことってありますか?
もしあったとするなら、どんな思いで、どんな心境でその日々を過ごしてきましたか?

12年間、思い返せば本当に色んなことがあった。
その中の何一つとして後悔はしてないが、この4人で結果を出せなかったことだけは死ぬほど悔しい。





僕はやっぱ腐っても、村上達郎、鈴木勇真、柳田龍太の3人のことが大好きだ。
そう思えたのもこの決断ができたから。




今まで以上に、この12年間で一番と言っていいほど、バンドのことが、メンバーのことが愛おしい。
僕の人生においてかけがえのない時間だったと改めて思う。





そしてこの4人でいられる時間も残り少なくなってきた。



明日のボイドリ。
急遽企画してくれた11/13の下北沢公演。


そしてラストツアー。
11/4の大阪、11/8の名古屋、11/22の東京の計5本。




1分1秒の時間を大切に、Outside dandyのギタリストとして一生懸命生きたいと思う。
だからもう少しの間だけ、僕らの夢に付き合ってほしい。




そして明日から最後の音源が物販にて発売されます。
このブログで書いた全ての思いが詰まってる最後の楽曲。
是非とも手に取ってほしい。





長い文章、ちゃんと読んでくれてありがとう。
Outside dandyを知ってくれてありがとう。


皆のお陰でここまでやってこれました。
残り1ヶ月足らず、よろしくお願いします。




Outside dandy 松本翔

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