六月のはじめから英会話スクールに通い始めた。一年もあれば日常会話くらい流暢に話せるだろうという確固たる自信は脆くも崩れ去り、今は三歳児同等の脳みそをぶら下げてニコニコ座っている。猫よりは少し賢いくらい。三歳児の脳みそのせいか体格まで小さくなったみたいで近所のスクールまでの距離が随分遠く感じられる。そういえば昔、「困るとニコニコ笑って誤魔化すよね」と友達に言われたような。脳みそが三歳児だろうが大人だろうがやることは変わらないのだ。
英語を話していると自分が根底的に無能になってしまった感覚に襲われる。ただ英語が話せないという事実が記憶からすっぽり抜け落ちて手も足も口も出せない、何も出来ない、完全降伏状態に陥る。

こんな風に文字を綴りたくなったのは英語で上手く文章を構築できないストレスへの反動なのかも知れないと、水の中でペンギンが飛ぶところをイメージしながらキーボードを打ち付ける。

とはいえコミュニケーションが取れないことに一つ良いこともあって、もともと得意ではない会話に対して生まれて初めて渇望という感情を抱くことになった。もっと話したい、気持ちもニュアンスもちゃんと伝えたい。日本語では話せても話さないくせに、どうしてこんな気持ちになるんだろうか自分のことは本当によく分からない。会話をするために毎晩一途に机に向かい言葉の向かう先を何パターンもイメージしていると時々恋心にも似たセンチメンタルな気分になって笑えてくる。いつか息をするように英語を話せるようになってもこの気持ちを思い出せるといいな。

サッカー部に所属していた経験のある私は確実にニワカじゃないんや!サッカーが大好きなんや〜!と思っているのだけど、一体にわかファンと呼ばれる人たちのどれくらいが「俺だけは(私だけは)にわかじゃない」と思っているのだろう。
そもそもにわかファンの何が悪いんだという争点はさておき、スポーツバーでワールドカップ観戦に盛り上がる人たちはほとんど全員をサッカーファンと呼んで良いことにしたい。
一生懸命サッカー通ぶることも面倒だしつい興奮してパスワークに難癖つけてしまっても通ぶってるとは思わないでほしい。オリンピックなら浅学な種目を応援してもニワカだなんて言われないのに。
ことサッカーとなるとアンチサッカー派の人たちは「どうせニワカでしょ」と言いサッカーファンは「ニワカの奴らがうざい」と言う。サッカー競技のイメージの軟派さがそうさせているのだろうか。そして前述したようにサッカーファンの殆どが自分以外のファンはにわかファンだと思っているという理解不能な図式が出来上がっている。
みんなまとめてサッカーファン、若しくはサポーター以外はみんなにわかファンで良いんじゃないかと思いながら柴崎岳モデルのユニフォームがほしくて堪らないことを口に出来ずにいます。

久しぶりにブログを書きたい衝動に駆られる。
今年に入って半年間どういうわけか新しいものを作りたい気持ちになれなくて何も成していないことへの焦燥感を掻き消すように知識と技術を兎に角詰め込んできた。
愚直にインプットに励み知らない世界に触れることで知的欲求は満たされたし成果はともかく前進している気がした。
私は物作りが好きだ。絵も文章もコーディングも映像も何にでも興味がある。今はありがたいことにグラフィックデザインの仕事をしているけれど本当のところ何かを作って生きていければ何でもいい。
そんなまるで思春期のようなただただ自己表現のための直向きな創作意欲を思い起こしてテキストにして確認してみる。いつのまにか大人になったけど大事なものを失ってしまう恐怖すらも忘れてしまわないように。

今は人知れず日々の思いを述懐する場としてここが機能するといいなと思っています。

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