月別アーカイブ / 2019年11月

こんばんは。
飲み会帰りの電車に揺られています。
今週は月曜日から土曜日まで学校があったので長い1週間でした。その週末。アルコールが身に染みます。美味しい。
ただでさえ、普通のビールでも美味しいのに、美味しい芋焼酎はたまらない。
寝過ごさないように意識を保ちます。

今日の飲み会の話題。
どこの職場にも嫌われる人はいるのだと気づいた。笑
嫌われている、というのが正しいのか、上司が嫌ってるから、それにみんな合わせてるのか分からないのだけれど…
それに関しては追記させてもらいます。

人って、優れてないといけないですか?
優秀じゃない人間はダメ人間ですか?

教員って、
完璧じゃありません。

完璧な人に担任して欲しいと願う親御さん、その考え方を変えないと、子どもが可愛そうです。
少なくとも、そんな大切な子どもを預けるには今の日本の学校へは入れては行けません。


完璧を目指している教育関係者の方、もしくは教育実習生の方、今すぐ夢を諦めてください。精神が崩壊するか、身体が崩壊します。

中学生(以上の上級学校)のよさのひとつは、
「色んな先生(大人)と関われる」
ことがあると思うんですよ。
細かいことが得意な先生(大人)もいれば、アーティスティックな先生(大人)もいるんだなぁ、とか、思うことが大切です。
小学校は主に、担任の先生が1つの価値観として固定されがちです。
中学校からは教科担任制で、担任以外からもバンバン教えられるわけです。

思春期は単純化したがりません??


こうなることが理想

こうじゃないとダメ

こうあるべき

そういった常識は、早く疑った方がいいと思うのは僕だけですか?
その常識は、早く崩された方がいいはず、と思っています。

みんな違って、みんないい
っていいますよね。

人罪(生きているだけで罪な人)は、見方によっては
人財(生きているだけで財産)にもなります。

いろんな先生(大人)と出会うから、
いろんな人(生徒)を、いろんな角度(先生の持ち味)で育てることが出来るはずです。

先生は、ブレずにアイデンティティを発揮することが賢明です。
酔っているから長くなりましたが、
そういうことが言いたかったです。




追記
職場の人の陰口とか悪口を言うことは好きじゃないです。
生産性がないからです。
悪口のない職場、陰口のない職場、この世の中にどれくらいあるんだろう…と思うくらい、本音と建前をわきまえてますよね。いや、悪いことじゃないと思うんですよ。僕が嫌いなだけで。
世の中を無駄な衝突なく過ごす最適化と言えば、その通りです。
でも、それこそが職場の人間関係の溝をさらに深くしたり、要らない思索を産んでいる気がしてなりません。なければ、1番いい物じゃないですか。
飲み会では、過去の話をするよりも、未来のための建設的な話をしたいです。
自分も含めて、改めて気をつけたいと思いました。

おはようございます。

今日は授業参観で学校勤務のため、
土曜日でもスーツです…

昨日、考えたことがあって、
それは、生徒や保護者の「お客さん化」をどう処理していくか、ということです。

昔は生徒が問題行動を起こせば体罰で黙らせて、教員に従わせることが、ある種の「美徳」でもあったのかもしれません。

でも、誰の目から見ても時代は変わっています。体罰は許しては行けないし、もちろん、体罰をしては行けない、ということが世間の常識になっています。
これ自体は、僕も共感していて、絶対に体罰はダメです。立場を利用したハラスメントですから、良いわけがありません。

でも、このままでは、先生は「弱者」になるんですよ。
生徒からの暴言、暴力に対しての対抗措置は口頭による指導のみなのですから。対教師暴力は、皆さんが思っているより身近にあるし、それを黙って我慢して、ストレスを溜めている先生は、すごく多い。多いけれど、表面化はしません。だって、それを打ち明けて「指導力不足教員」のレッテルを貼られるのはもっと嫌ですから。プライドがあります。プロですもん。

そこで、
警察とか、児童相談所などのように外部との連携、と言われる訳ですが、
根本的な解決にはならないと考えています。
どんな外部機関との連携をとっても、結局は学校で授業を受けて、学校生活に戻ることを根底に考えられると、生徒にとって、よりよくなる方向へ動く可能性は低いからです。
そして、警察に相談する時には、捜査が入るので、「あの学校では教員ではもう手が付けられない」という地域からの見方へ繋がり、学校は避けたがるのが現状です。

生徒にとっても、学校にとっても良い選択は何かを考えることが大切だと思います。
現状は先生が敗者のlose-win、またはlose-loseですが、
win-winになる道を模索していくこと、多くの人が考えていくことがより良くなる鍵だと思っています。

僕の対応策は以下のように考えます。参考にしてください。
・全員が「分かる授業」が受けられる目的での留年制度を認める
・出席停止のハードルを下げて、学校も「守れる」自治を進める



今日は真面目に敬体で書きます。
多くの人に見てほしい内容でもあります。

今の学校の良いところってありますか?

こんな大きなテーマじゃなくとも、
自分の担任の先生や、担任をしてくれていた先生の顔を思い浮かべてみてください。


その先生の、良いところってなんですか?

そんな質問に、ぜひ、たくさん、たくさんのポジティブな言葉が出る世の中(皆さんの地域)であって欲しいと思います。

調査したことはないですが、
「今の学校(教育)に満足していますか?」
という質問に
はい、満足しています。
という答えは少数派ではないかと思っています。

なぜ、少数派か。
その答えは、
皆さんの、お父さんやお母さんにあると思っています。
いや、正確に言うと、
お父さん、お母さんが育ってきた時代の世論にあると言うことです。
もちろん、閲覧者のお父さんお母さんの年代が広すぎるのですが、戦後に育っていれば、これから言うことは間違いなく当てはまるでしょう。

今の学校(教育)に満足出来ない、
その肝は、
戦時の教育にあります。
みなさん、イメージはあるでしょう。
「ぜいたくは敵だ」
「欲しがりません。勝つまでは」
という、あれです。
教育が広く世に広まっていたことを利用して、国のための民、国民を育てていた時代です。

その中核を担ったのは「修身」という教科。

しかし、時間が進んで、敗戦国になると、
古い教育が崩れていきます。
よってたかって
間違っていた教育を否定します。
否定することで、
さらに教育を進めようとしたのですから、
時代を進めた先人は善意で戦時教育を否定し、
必死に働いて新しい時代を生き抜こうとしたのです。
「修身」という、1つの教育を否定して、
積み上げてきた学問や教育方法はさらに伸ばせばよかっただけなのですが、
現状の教育を「全否定」することで、これからの未来を正当化していくわけです。

そんな世の中で育てば、子どもは学習をします。
「教育は大事」「平和は大事」
と、その考えに、付け加えて
「学校(教育)を否定をすることで新しい時代へ進めることが出来る」
ということも学んでしまうわけです。

つまり、
皆さんのお父さんお母さんは、
「学校(教育)を否定することで、新しい時代へ進めることが出来る」
という暗黙の学びをしている訳ですから、
その子どもである皆さんも
学校(教育)を否定することを根底に置いて話しやすいのではないでしょうか?

何かのリーダーになったり、
マネジメントをしたことのある人なら分かると思うのですが、
何かを進めたい時に、否定するだけの人ってSNSを炎上させている人と同じで、何も生産性がないんですよね。
否定をするのであれば、
代案も出して欲しいし、
出来れば、
なぜ変える必要があるのか、
今までの何が良かったのか、
変える必要のない部分はどこなのか、
を明確にして欲しいですよね。

教育も同じで、例えば
安易に「一斉授業」から
外国の教育を真似した
「アクティブ・ラーニング」
への転換を推すべきなのでしょうか?
いや、「アクティブ・ラーニング」を否定している訳ではなくて、
日本の今まで「一斉授業」での成果は何か、
「アクティブ・ラーニング」に転換するメリットとデメリットは何か、
という疑問をもたずに全国に広めても教育は良くなる保証はないどころか、今までの良さも消してしまう改悪になりかねないのではないでしょうか。

「アクティブ・ラーニング」だけでなく、
特に学校(教育)は全員にとって身近で、そして反抗期をまるまる過ごす場でもあります。
ただでさえ否定されやすいのですから、
単に現状を否定して前に進めようとするのは、
あなたからやめにしませんか?

今の学校の良い点はどこでしょう?

あなたの身近な先生や、その考え方の、良いところから探してみませんか?

否定するのはその後でも良いはずです。

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