今週は学校で教育相談という
生徒一人一人と学校生活についてヒアリングをする期間だ。
この中で、僕は2回生徒に謝った。
ひとつは、指導する時に決め付けで言ってしまったこと。
もうひとつは、同じように誤解をさせるような言い方や伝え方をしたこと。
初任の時(教師は1年目のことを初任という)には、よく先輩から「指導することに躊躇したら、教師は辞めなければいけない」と言われていた。
思い切り教員生活を送り、自分が正しいと思ったことを生徒に伝える。それは時に、まだ幼い、小さな心には受け止めきれずに誤解を与えることもあるのかもしれない。時代が時代なため、体罰として捉えられれば教師としてではなく、人間としての信頼も落ち兼ねない。
自分は神様ではない。わかっている。
本当は生徒を育てることなど出来ないのかもしれない。迷いながらの毎日だ。
僕は謝る。自分に非がないと感じても、それは自分が子どもなのだと知らされるサインに過ぎない。謝って悔しいと感じるのは、自分が生徒と同じステージに立っている未熟な証拠。相手本意で生きよう。相手は生徒だが、1人の人間。
ふと、我が家のトイレのドアの言葉に思いを寄せる。