僕と携帯電話
僕が初めて携帯電話というものに触れたのはいつだっただろうか。
そんな事覚えているわけがない。僕が生まれたころには、それは当たり前に存在していて、ないことの方が有り得なかったのだから。
それほど、携帯電話は僕らの生活に馴染んでいた。
僕も幼いころ、わざわざ親の携帯電話でテレビを観てみたり、パカパカさせて遊んでいた。側面に、開くためのボタンがついているタイプの携帯電話だった。
なんの意味もないその行為は、音を聞いて感触を確かめるだけのものだったが、僕にはそれがどうしようもなく楽しかった。
しばらくして、僕に携帯電話が与えられた。ソフトバンクの、子どもケータイ初期型。小学校に入学する直前だった。
僕は、諸事情により少し遠くの学校に通うことになっていた。その時の連絡手段が必要になったのだ。
勿論、その頃同級生に携帯電話を持っているヤツなんていない。僕だけが持っているということに優越感を覚えた。
それから数年後、僕の父親がiPhoneを買った。うちはソフトバンクだったから、手に入れるのは早かったと思う。確か僕が小学4年の頃だ。
iPhone4あたりだった。今に比べれば小さくて厚くて重い。それでも、タッチパネルで操作する黒い物体は目新しいものだった。
そこからの変化は凄まじい。
iPhoneに乗り換えるために、auやdocomoのユーザーはソフトバンクに流れた。2011年には「スマホ」が流行語になるほど普及していった。ドラマの登場人物が携帯電話でなくスマホを持つようになった。着信音がお気に入りの曲……いわゆる着メロでなく、揃いの楽器の音になった。人々の視線は、指は、画面に釘付けだった。
そうして世界は気付かぬうちに支配されていた。
僕とスマートフォン
僕がいわゆるガラケーからスマホに機種変更したのは、小学6年の頃だ。
その頃になれば同級生の中に、親のおさがりのスマホを持つヤツらが現れ始めた。
ちょうど、Androidも普及し始めた頃。ソフトバンクのショップ店員にオススメされたのは、カラーバリエーションの豊富なAndroidだった。
Androidといえば、アプリの種類が多種多様で数も多い。iosと違い、審査がないからだそうだ。
確かに僕も、アプリストアでは怪しげなアプリをよく見た気がする。
周りにはiPhoneユーザーが圧倒的に多かった。そうなれば、知らないアプリもちょくちょく現れた。僕もiPhoneが欲しいなと思い始めた。
僕がiPhoneを欲しかった理由は他にもある。
若い女性……特に10代20代にiPhoneユーザーが多いそうだが、その理由も僕と同じかもしれない。
僕(19歳、女)がiPhoneを選ぶ理由は、そのデザインにある。スタイリッシュでシンプルを極めた美しいデザインは、持っていてファッションの邪魔をしない。また、ケースをつければファッションの一部にもなりえる。ケースのバリエーションが他機種に比べ圧倒的に豊富なため、被ることなんて滅多にない。
なぜか「みんな同じ」を求められる日本の、特に女子の世界。「個性を少しだけ」出せる存在が嬉しかったのかもしれない。
講師、横田秀珠先生のブログ