月別アーカイブ / 2019年10月

僕と携帯電話
僕が初めて携帯電話というものに触れたのはいつだっただろうか。
そんな事覚えているわけがない。僕が生まれたころには、それは当たり前に存在していて、ないことの方が有り得なかったのだから。
それほど、携帯電話は僕らの生活に馴染んでいた。
僕も幼いころ、わざわざ親の携帯電話でテレビを観てみたり、パカパカさせて遊んでいた。側面に、開くためのボタンがついているタイプの携帯電話だった。
なんの意味もないその行為は、音を聞いて感触を確かめるだけのものだったが、僕にはそれがどうしようもなく楽しかった。

しばらくして、僕に携帯電話が与えられた。ソフトバンクの、子どもケータイ初期型。小学校に入学する直前だった。
僕は、諸事情により少し遠くの学校に通うことになっていた。その時の連絡手段が必要になったのだ。
勿論、その頃同級生に携帯電話を持っているヤツなんていない。僕だけが持っているということに優越感を覚えた。
それから数年後、僕の父親がiPhoneを買った。うちはソフトバンクだったから、手に入れるのは早かったと思う。確か僕が小学4年の頃だ。
iPhone4あたりだった。今に比べれば小さくて厚くて重い。それでも、タッチパネルで操作する黒い物体は目新しいものだった。
そこからの変化は凄まじい。
iPhoneに乗り換えるために、auやdocomoのユーザーはソフトバンクに流れた。2011年には「スマホ」が流行語になるほど普及していった。ドラマの登場人物が携帯電話でなくスマホを持つようになった。着信音がお気に入りの曲……いわゆる着メロでなく、揃いの楽器の音になった。人々の視線は、指は、画面に釘付けだった。
そうして世界は気付かぬうちに支配されていた。

僕とスマートフォン
僕がいわゆるガラケーからスマホに機種変更したのは、小学6年の頃だ。
その頃になれば同級生の中に、親のおさがりのスマホを持つヤツらが現れ始めた。
ちょうど、Androidも普及し始めた頃。ソフトバンクのショップ店員にオススメされたのは、カラーバリエーションの豊富なAndroidだった。
Androidといえば、アプリの種類が多種多様で数も多い。iosと違い、審査がないからだそうだ。
確かに僕も、アプリストアでは怪しげなアプリをよく見た気がする。
周りにはiPhoneユーザーが圧倒的に多かった。そうなれば、知らないアプリもちょくちょく現れた。僕もiPhoneが欲しいなと思い始めた。

僕がiPhoneを欲しかった理由は他にもある。
若い女性……特に10代20代にiPhoneユーザーが多いそうだが、その理由も僕と同じかもしれない。
僕(19歳、女)がiPhoneを選ぶ理由は、そのデザインにある。スタイリッシュでシンプルを極めた美しいデザインは、持っていてファッションの邪魔をしない。また、ケースをつければファッションの一部にもなりえる。ケースのバリエーションが他機種に比べ圧倒的に豊富なため、被ることなんて滅多にない。
なぜか「みんな同じ」を求められる日本の、特に女子の世界。「個性を少しだけ」出せる存在が嬉しかったのかもしれない。

講師、横田秀珠先生のブログ

僕とソーシャルメディアの始まり
僕が最も利用するソーシャルメディアはTwitterだ。
他にも、LINEやYouTube、Instagramも利用している。
授業プリントに挙げられた主なソーシャルメディア73サービス中28はアイコンを見たことがあり、うち18サービスは僕も実際に利用している。

ソーシャルメディアをいち早く日本に取り入れたのは、あの何かと有名なホリエモンだそうだ。
彼の事や例の事件についてはあまり詳しくないが、彼の著作である『拝金』という小説は読んだことがある。
この小説の題材には、多分例の事件も含まれるのだろう。
フィクションとノンフィクションの狭間に位置するような作品で、彼の目から現代社会を暴いていくようでとても新鮮な感覚だった。
ぜひ他人に薦めたい1冊である。

閑話休題。
そんなソーシャルメディアだが、世界では様々な成功例がある。
授業で扱われた3つを紹介しよう。
  • 2008年のオバマ大統領が当選した主な要因の1つは、Twitterだと言われている。
(尚、このTwitterアカウント実は秘書の運営だったそうだ。)
  • 2011年1月、のちにFacebookの基礎となった名簿システムをハーバード大学の学生が開発。ミスコンを学生全員を対象に開催するため、大学のシステムをハックしページを作成。インターネット上での投票を行った。
(この出来事はのちに映画化された。僕も興味がわいたので是非見てみたいと思う。)
  • 2011年1月、のちに「アラブの春」と呼ばれるデモがソーシャルメディアを中心に行われた。Facebook、Ustream、YouTube、Twitterを利用してデモ隊を結成しエジプト独裁政権を崩壊させることに成功した。この成功も同じくソーシャルメディアで拡散され、他国もこれに続いてデモを起こした。

この「アラブの春」、Facebookの非匿名性とTwitterの匿名性や、Ustreamでの生配信とYouTubeでの録画動画公開。
それぞれのソーシャルメディアの特性が大いに活用されており、僕はソーシャルメディアの可能性に感動した。

因みに、日本でのSNS元年はこれらと同時期の2011年だと言われている。

僕と日本のソーシャルメディア
さあ2011年、日本のSNS元年といわれるこの年に何があったかなど言わずと知れている。
鳴り響く聞き慣れない音に、地面の僅かな揺れ。
僕の住む土地は震源からは程遠いため、被害はなかった。
それでも、ニュースとたった一種類だけのCMを映すのみとなったテレビに恐怖を感じたことはよく覚えている。
みんなが情報を欲しがる中で、市町村のHPなどは軒並ダウンした。
それまでのインターネットは、同じページに同時に多数のアクセスが集中することはほとんどなかったからだ。
そんな中でもTwitterはダウンしなかったそうだ。
Twitterが持つサーバが、世界規模の集中アクセスに耐えられる大きさだったからである。

その後、市町村や企業のSNSアカウントの開設が進んだ。
今では、消費者への情報発信で、企業として信用される要素をつくるためにSNSが利用されたりもする。

僕とダンバー数150人の法則
イギリスのロビン・ダンバー学者は150人以下であれば、規範やルールなしでも同じ目標を達成でき、これが最大効果を生む組織の適正規模だと主張している。(記事より一部抜粋)

150人が、自分の意思統一のできる限界人数であり、自分に大切な人150人がいれば生きていけるとされている。

現在、友達はSNSでつくることができるし、別れてしまった友達と再度繋がったり、引越しなどで離れたとしても連絡のやり取りを続けるのが容易になった。
昔ならば有り得ない、今の時代に生まれた君たちは幸運だ、と講師のよこたん先生は毎度このことを口にする。
そんな僕らはグローカル世代と呼ばれるらしい。
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僕にもこの図と同じように人間関係があるとわかった。
ならばリアルの人間にインターネットで知り合った人間を足していけばすぐに友達は増える!
こうして、僕らは簡単に生涯必要な150人の友達をつくることができる。

はずだった

実際のところ、日本のSNSは閉鎖的である。
これは、世界のSNS利用方法とは大きく異なる。
日本以外ならば、民族の多様性に合わせ自分をオープンにしなければ友達が出来ない。
しかし日本では、人見知りが激しく、出る杭は打たれるという風潮がある。
SNS内でもそうした性格が表れ、世界とは違い個人間の繋がりより「自己中」で利用されることが多く、オリジナルの情報発信をする人はまだ少ない。
こうした風潮ごと、僕らグローカル世代は変えていかなければいけないのかもしれない。

講師、横田秀珠先生のブログ

僕と検索エンジン
僕が使う検索エンジンは専らYahoo!だ。
昔から、家にあったパソコンはYahoo!しか使われていなかった。
なので小さかった僕は、検索エンジンに選択肢があることすら知らなかった。
小学校のコンピュータの授業でも、Yahoo!が使われた。その時使ったのはYahoo!キッズだった。
そうして、僕はYahoo!を使うように刷り込まれていった。他の大多数の日本人も似たようなものだろう。
今でも、何となく慣れ親しんだYahoo!にお世話になっている。
僕のiPhoneもホームページの設定をYahoo!に変更している。

先生は、Yahoo!を「幕の内弁当式」と言った。
これは、Yahoo!のトップページに多くのメニューが並んでいることからである。
Yahoo!は、インターネット初心者が1番はじめに扱う時、わかりやすいようにたくさんのメニューを配置した。
これが特に日本人にはウケたのだろう。
検索エンジンのシェアは、世界的にはGoogleだが、日本ではYahoo!がトップとなっている。

尚、世界シェアトップがGoogleなのは、1つ大きな理由がある。
多くのスマートフォンの初期設定は、検索エンジンをGoogleにされているのだ。(中国ではGoogleは使えないらしい。)
中でもiPhoneは特にGoogleユーザーが多いはずだ。
なぜなら、iPhoneの検索エンジン初期設定がGoogleだからだ。
これはGoogle社が年1兆円をApple社へ支払っているからである。

検索エンジンの検索結果は、GoogleだろうがYahoo!だろうが、どちらも同じだという。
違うのは始まりと、検索結果の細かいまとめ方だけ。
普通の人が普通に使う分には、わざわざ初期設定から変更する理由はあまりない。
僕自身、設定画面で遊んでいたら変えられたので、そこから何となくYahoo!を使っているだけだ。
また僕は、読み物の中にある単語を調べるのにも検索を使うため、その場合はAppleの検索エンジンを使用することになる。
文章中の単語を範囲選択し、現れるメニューから 調べる を押せば、Appleの検索エンジンが辞書を出してくれる。

僕とサイトの順位
Googleは元々、検索エンジンの会社ではなく広告代理店であった。
そのGoogleは、検索結果に表示されるサイトと広告に、ページランクの概念を設けることで、検索結果の精度を高めた。
これが、Googleが検索エンジンのシェアを独占できた理由である。
ページランクとは、ページさんのつくった評価方法で、ホームページの中身とクリック単価で決まる。
みんなが欲しがる情報はクリック単価が高くなり、キーワードそのものに価格が発生する。

尚、米津〇師などの固有名詞より、キャッシングなどのキーワードは高くなる。
それは、米津〇師は著作権の関係で、一部の人しかサイトに利用しないからである。
逆にキャッシングは、多くの個人が利用するため、キーワードの価格は高くなる。

広告のランク付けは、200以上のアルゴリズムに基づいて決められているという。
僕もデザイナーとして、将来Webサイトも手がけるだろうことを考えるとしっかり学んでおきたいところだが、ランクを上げることは容易ではないと思った。

僕とイーンスパイア
授業の最後、ローマ法王の記事が紹介された。
『法王は「沈黙を大切に」と、安易に答えを求める現代の風潮をいさめ、黙考の大切さを説いた。』
(一部抜粋)
僕はその記事の内容に納得し、共感した。

検索やSNSはとても便利なものだ。探せばすぐに答えを出してくれる。
僕もよく、分からないことがあると検索に頼る。
しかし、なんでも検索すればいいというわけではないのも分かっているつもりだ。
僕らが生きているのは3次元であり、インターネットの2次元ではない。
それに、まだ脳が直接インターネットに繋がる時代ではないのだから、結局は脳そのものに頼って情報を引き出し、考えるしかないのだ。
最終的に答えを出すのは自分自身で行わなければいけない。
そのために、僕らは考える力が必要である。

イーンスパイアとは、インスピレーションの動詞である。
先生は「ひらめきは、頭の中の組み合わせがシナプスで繋げられた時」と言った。
脳を鍛えることで、ひらめきは生まれやすくなる。
検索やSNSは、現代の増えすぎた情報を効率よく手元に手繰り寄せるツールである。
例えば、自分の管理する膨大な書類から、1枚を瞬時に探り当てるくらいの役割であり、その書類にヒントはあれど答えはない。
だから、検索やSNSに答えを頼りすぎてはいけない。
僕の脳に置き換えられてはいけない。

講師、横田秀珠先生のブログ

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