月別アーカイブ / 2021年07月

このまま感染拡大が、国民の公徳心に頼ったまま止まらないなら、どちらかを選択しなければならない。

自由の抑制か、死の可能性を孕んだワクチン接種か…

世界にはロックダウンしても感染抑制に失敗した前例が幾つもある。
しかし統制を重んじる日本、衛生を重んじる日本なら、結果は違うかもしれない。

ワクチンはどうか?
一説によると、1/72000人の確率で死亡するとデーターとしてあるらしい。
基礎疾患、特に心臓・腎臓・肝臓・血液系の病は確率が高いらしい。

然し、何方にしても国民、特に行動範囲の広い世代に、様々なデーターは理解されているのだろうか?

やはり政治の後手さは否めなさそう。
公徳心に頼るなら、それなりに納得させるべき出はなかろうか?

世恩

①喩え、嫌なことをされたり言われても、
心が揺れない打たれ強さを身につける。

②喩え、耳が痛くなる様なことを言われても、それが自分を成長させる内容ならば、素直に聞き入れる事を身につける。

③もし、心を鍛えようとする修行者に出会えたなら、頃合いを見て、様々に意見を交わし、自らを見直す素直さを身につける。

そして自分自身で守ろうと決めた心の規則(律)を纏い、禅定による修行により、自己洞察力を高め、「苦」の仕組みを理解するとことこそ【心の理想】となる。

(スッタニパータに学ぶ)世恩




㉜-1 【信忍】
佛(如来)の教えや言葉を信じ切るところから成立つ法華経を含む大乗仏教。
ならば「信」をもう少し詳しく説明しなければなりません。

伝統的な仏教学では三つの「信」の作用があると言われています。
その一つか「信忍」です。
この場合の忍は認の意味です。
「認」は信じる事により真理を深く理解出来る、ことを示す一文字であります。

※此処で間違えずに頂きたいのは、
信じる為に理解を深める、ではなく
信じるから理解が深まる、という点です。

法華経が釈迦世尊の真意を表す経典であると信じるなら、法華経を信じて切り、それ故に佛の真意が深まるのであり、法華経を信じたいが為に深く理解しようとしてはならない、という違和感のある解釈が皆さんを救うのです。

汝等は、当に如来の誠諦の語を信解するべし
(なんじらは、まさににょらいのまことのことばをしんげするべし)

この三度繰り返される意味こそ「信認」であります。

南無阿弥陀仏 観自在菩薩
合掌 拝託

画像は☆なの☆さんからお借りしました

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