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極楽浄土
おはょうございます٩(´ᵕ`๑)و
少し早いのですが、お目覚めであります。
皆さんも清々しくおめざめですか?
さて、今更ながら
南無阿弥陀仏(念仏)を唱えると、何処へ行けるのか?と聞かれたので、聞き飽きた感は有りそうですが、書いておきます。
簡単に申し上げておくと、念仏を唱えると言う事は、それ自体が「極楽浄土」と言う、成仏予備校(かなりの合格率を誇る)所へ向かう片道切符の予約行為です。
日本では、「法然・親鸞」両上人(様)が広められた教えであり、一般的には浄土系(呼び名は幾つもある)の信仰です。
さて極楽浄土という仏国土は、私達が住む娑婆と呼ばれる仏国土から西の方向に10億仏国土先に在る、とお釈迦様が説かれた、とされています。
その荘厳さは、言葉に表せれない程に美しく、華は咲き、鳥が美しい声で奏でる世界であり、その内容は全てが佛の教えであると、言われています。
その仏国土にて、そこに生まれた衆生全てを教化されているのが『阿弥陀仏』であります。
阿弥陀仏とは
・無限の生命
・遮りぬ永遠の光、が仏名の由来であり、
南無阿弥陀仏と今生にて日々唱えれば、ほぼ無条件で極楽浄土への生まれ変わりが約束される(迎えに着て貰える)、と…何とも有り難い佛様なのです。
この極楽浄土へ生まれ変わると言う事は、全ての分別・差別のない姿で生まれ変わる事になります。
即ち今生での善悪や男女の区別が無いままに生まれ変わると言う事です。勿論地位や富裕・貧困に囚われず、皆平等に極楽浄土へ行けることになります。
即ち、今生に於ける様々な姿形を無意味にして、新たに極楽浄土の住人として、喜怒哀楽のない世界で、成仏はの修行をさせて貰える(出来る)事になります。
然しここで間違えてはならないのは、極楽浄土は学び続ける為の予備校であり、
そこでの学びは、一切の喜怒哀楽のない修行のみ与えられた時間だと言うこと。
遊ぶこともなければ、自分の都合さえ無い生活です。
毎日決められた時間割があり、全ての住人はそれに沿って暮らすことになります。当に全寮制の予備校生活です。
仏教は今生で修行をし、その意志を深層心理の最深部に懐き続け、輪廻転生を繰り返し、いつの日か成仏へ到達する、という無量無限の時間を必要とする教えです。
しかし浄土思想は、今生での修行を軽減(無意味とは言わず)して、先ずは極楽浄土での生まれ変わりと、そこでの修行で成仏を目指す考え方です。
良く言えば、煩悩から解き放たれない娑婆での生活での修行は諦め、片道切符を頂き、来世での成仏を願うことに専念する、であり
悪く言えば、今生の生活を捨てずに、来世へ期待する、とする信仰です。
これは成仏思想の始まりが、遥か昔のお金持ちによる来世への期待による幻想から生まれたもである故なのです。
然しそれが時間を費やし、少しずつ変化をし、今生での姿のまま、分別・差別なく仏教を信仰しても、有り難い結果に繋がる、とした考え方へと変わり(如何にも大乗仏教そのもの)、日本へ伝来した頃には、文字さえ読めない無学な人々でも成仏出来る(人を分別・差別しない)、即ち佛の名の下では、皆平等であるとして、信仰できる、に変革したのです。
私も投稿記事の最後に【南無阿弥陀仏】と唱えます。
然しそれは片道切符を手に入れる為ではありません。
無量なる生命と佛様の光に繋がる為であり、あくまでもいつの日か、何処かの仏国土での(出来れば娑婆がいい)成仏を願い続けるからです。
そして一人でも多くの人達に、分別・差別つなく、如来の教え(真理と智慧)が、遍く拡がる様にと願う為です。
私の家系は浄土真宗(門徒宗)ですが、私の信仰は、その教えに囚われることなく、大乗仏教の徒であるのです。
南無阿弥陀仏 観自在菩薩
合掌 拝託
帰って着ました。
戻りました。
皆さん、今日も1日お疲れ様です。
今日は日中も少し冷えましたね。
この時間だと、薄着は寒いです。
風邪を惹かないように気をたけたい…
まぁ確かに上げられた国々では、感染は低下している様ですが、
その国の誰かが他国へ行き帰国して、また感染が広がる可能性はある訳で、
一概に安全とは言えないし、新たに日本への影響は消えた事だはないので、入国時の水際対策は万全に、と思います。
明日は1日☀そうですね。
気温は今日より少し高いかも。
お洗濯日和で間違い無し。
私は明日、静岡方面へ出掛けます。
所々写真を撮れたらいいなぁ。
良い写真が取れたらアップしよう。
それではまた後ほど!!
世恩