月別アーカイブ / 2020年01月

前にも書きましたが、我が家には老犬がいます。
もうすぐ黄泉の国への旅立つお年頃。

その前には猫を2匹。
14歳と16歳で旅立つています。

私は今の所、あの世にもこの世にも、何処かへ旅立つ予定はないので、寂しさを紛らわすには、また小さな仲間を迎え入れなければ、と思っているのですが…

先ずは兎が候補の1番手。
ただあの小さな💩の世話が大変そう。
知り合いも飼って居ますが、かなり可愛いとか…

その次に考えてるのは「パンダネズミ」笑
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なんでも江戸時代からペットとして買われていたようで、その歴史に黄昏ちゃいそう。

これだけ小さいと、エサ代も今より節約になりそう。

そうそう、シマリスを3年ほどパートナーとしていた事もありました。
懐くと可愛いんですよ(*´ー`*) ♡♡

さてお昼ご飯も頂きましたので、午後も頑張ろう!

皆様も 
 ∧,,,∧
 (๑•̀ㅁ•́ฅ✧
  o(,,∪ _ノ 頑張って💗💜

世恩

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私は仏教者です。
とうぜん不殺生戒を重んじて日々の生活を送っています。

しか〜し
ゴッkeyだけは冷静さを失ってしまいます。

とにかく嫌い(差別)。
9歳の頃のトラウマに囚われ縛られいます。

もうゴッkeyを見ると、私の中の殺戮の天使が目覚めるのです。

仕留めねば…もう主水さんモード。
一撃必殺、北斗百裂拳の心で仕留めます。

トラウマについては長くなるので割愛しますが、何処で見つけようが容赦はしません。

仕留めたあとに我に帰り反省をする、の繰り返しです。

武器は様々…喫茶店に出てくる白いおしぼりでも必殺技として使います。
もちろん、家には殺虫剤は、常に手の届くところに置いてあります。

あぁ、今朝も2週間ぶりに点滴が現れ、私は悪魔に変貌しました…

修行不足です|柱|ヽ(-ω- )反省…

世恩

合掌の意味は「敵意」の無さを表すことに始まります。
当然、神仏に対する敵意などあるはずもなく、両手に尊敬や感謝の心を包みながら、頭(こうべ)を垂れるのが善し*(๑¯人¯)ナムナム✧*

合掌の際には、両手の小指側から優しく手を合わせる余裕は大切。
柏手のように、ベタっとつけるより、少し膨らみがある手姿が美しい。

日常的に「神様…○○」とか、「仏様…○○」と思う事はある事。
それもかなり些細なことで…
感謝をするのだから、お願いをするのだから、それなりの処(神社仏閣)へ出向くべきなのだろうけど、そこが偶然近くに無ければ、そうは行かないのが日々。

もしその度に、それ等が直ぐ傍にあるとしたら、その人は神仏に愛されてるかな?w

心で手を合わける習慣を作りましょう。
ただ感謝や祈願を思うのではなく、心の中で手を合わせる(禅定も同じ)ことが大切。
心で手を合わせると言うことは、その僅かな時間に「間」ができます。

この「間」を釣り合わせることが「お祭り、祀り、奉り」に繋がり、神仏との距離感が合わさるのです。

自然界との「間釣り合わせる」はあなたに不思議な気の流れを作ってるれます。

常に新しい「気」を取り入れて、今日も頑張って下さ
(。・ω・。)o"エイ(。・ω・。)o"エイ(`・ω・´)ノ"オゥ!!

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

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