月別アーカイブ / 2019年11月

ある写メに感じた事…
見せてくれたのは、以前ここに書いた6年毎に幽霊が現れる女性。

例のブログを見た友人(♂)とその話をしていた時、会話の中で知らない女性の声で…
「わかってるよ」と二人とも聞いたそうな…

で、その男性の事で相談があると言われ…
①部屋に誰かいる様な気配や音が聞こえた。
②睡眠障害になった。
と言われ、男性の部屋の写メを見ました。

確かに壁に立て掛けられている姿見に違和感を感じましたので、場所の移動を助言。風呂場に黒い気を感じましたので、部屋の窓を開け、空気の入れ替えをする様に(普段窓も開けずカーテンを閉めたまま)伝えました。

彼女の話では、その男性が私に会いたいと申されているのだそうで、何時でもどうぞ…と話しました。

実は私達の周りには様々な気の流れがあります。その流れを変えたり、邪魔をすると、時にマイナスの気が溜まり、体や精神に影響(耳鳴りや目眩等)があることがあるので、あまり部屋の中に、あれこれ置かず、気の流れを速やかにしていた方が、私は良い様な気がします。

世恩

自分の可能性や将来を想像する時、又は良い結果を求めるするなら、
「信じて揺るがない心」が何よりも大切な事は、よく聞くお話です。
常に成功した自分を、想像しながら過ごす毎日こそ、努力の継続の源なのかもしれません。

さて信仰において、それは当てはまるのでしょうか?

1つの例とし、戒律や規律で考えてみましょう。

各宗教でその内容は大きく違います。
行動、思考に制限や決まりがあります。勿論食に至るまで、それはあります。

では何故、何を根拠にそれらは決められたのでしょう。

この答えを求めてはならぬのが宗教なのです。
仏教経典に書かれているから…
聖書に書かれているから…
そう、神仏がそう申されたから、説かれたから、で良いのです。
原因ではなく、それが教えそのものだから…そう信じて疑ってはならないのです。

私の話をするならば、私は観音信仰です。
しかしどれだけ望んでも、信じてきても、観音様は私の前に姿を表すことはありません。
本当に存在するのか?…そんな事を思った事さえありません。

佛の真の姿は光と意志でしかないのです。そう信じているからこそ、今日の私は存在意義を有するのです。

己の役割と能力、日々の出来事、そして私の人生全ては、佛様のご意志と信じています。

故に瞬間瞬間の自分に疑問を持つことはありません。

この様に、宗教とは信仰とは、信じ切ることに始まります。
故に、その信じ方の労農性を見誤れば、他者に迷惑を掛けたり、周りとのバランスを大きく崩してしまうのです。

何に対しても、信じる事は大切であり勇気が必要です。
しかし自分がそうだからと言って、誰もがそうであるとは限らないのです。

救済と言う大義名分に、目の前が見えなくなる信仰に、心を委ねてはなりません…

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

天国(極楽でも○)と地獄を表す話として、こんな話があります。

それは食事する姿を比べる内容なのですが…

天国で暮らす人々は、大きな円卓を囲んで食事を共にします。
そこにはとても長い箸が用意されていて、あまりに長いので、食材を摘めたとしても、自分の口には運べません。
そこで互いに箸を使って、「!」と互いに食べさせるのだそうです。

自分の事は後回しにし、先ずは誰かの為に…そんな食事風景です。
他に対し、自分を捨て和を保つ…当に布施そのものの究極論です。

地獄では、真逆にとても短い箸が用意されており、上手く食べ物が摘めず、自分の口にも運べません。
仕方なく手掴みで、ボロボロとテーブルを汚しながら食べる様です。

とても誰かの為に、には映らないでしよう。貪るだけの食事風景は、布施とは遠く離れた欲望に駆られる姿です。

同じくあの世よ姿も、心次第ではこうも変わってしまうという喩え話です。

元々布施とは、自らの財(金から時間迄)を切り詰めながら、佛様に感謝を表す事が始まりです。
それを自らの周りには対しても行う事で功徳を積む事になる、と変化した言葉です。

募金やボランティアも布施行です。
しかしこれらの為に、自分へ必要以上の無理を加えると、布施にはならないのです。

とある宗教団体の良からぬ噂として、生活が困窮するほど○○金として差し出したり、財産を奉納させたり、仕事を休んでまでの奉仕は、仏教の布施とは大きく違います。

また審議獲得の為、強引に勧誘する人が居ますが、これまた布施とは言えません。

あくまでも「布施」とは、周りとの調和の中で、感謝する心から生まれる奉仕活動の一つでなければならないのです。

神社仏閣へ詣でて、お賽銭箱(奉納箱)へ入れるお金も、無理のない金額だからこそ、お財布から出せます。

とにかく無理な駄目です。無理のないお布施こそ継続出来て、誰かに感謝される日が来るのです

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