月別アーカイブ / 2019年10月

悩むも、悩まざるもこれまた人なりて!

嫌な気分に直ぐになり易かった私…
気分屋を地でゆく自分に、かなり拒否反応を抱いては、また不機嫌に。
苦手なビールで我を忘れ、その癖…
アーでもなくコーでもないと理屈を捏ねては悪酔いしたあの頃…失礼ながら懐かしい。

他社を傷付けまいと傷付けて、
怒るまいと怒り狂い
蔑むまいと罵倒して
比べるまいと繰り返す差別

それでも観音の慈悲で
今日まで何とか生きてこれ…当に感謝

今では全ての感情を、瞬時に「何処吹く風」の如く切り捨て御免、の精神にて、日々安堵。

観音様Loveの独り善がりな坊主頭には、日々呟く場所も出来て(ココ)、読んで下さる方も居て、ただただ感謝‼

仏教はイイ〜本当にイイ〜
生きる経(みち)、往く路を照らしてくれますもん。

捨て去りたい過去を懐かしむ心になれたのも、皆佛様のご縁と、これにも感謝‼

昨夜飲んでいた居酒屋の、隣に座った若者…実はお寺の跡取りながら、寡黙に佛に使える父親を拒否して、フリーター何だとか…

今は異性にモテたいが故に筋トレ中らしい。
それも人生、大日如来(父親真言宗)に帰依しても人生。

素敵なご縁(異性と佛に…)があります様に…

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

心は、常にその色と形を変えながら、私達の行動に影響を及ぼしています。
1秒単位なる、当に無常そのもの…

そして心が身体の何処にあるのかを考えても答えは見つかりません。

頭の中?胸の内?
目や耳、鼻や口、指先から得た様々な情報が、心に作用しては変化し、私達を迷わせています。

では【揺るぎない心】とは…
強くなくても良いのです。
寧ろ弱くても全く問題はありません。
先程も申し上げた通り、心は無常なるもの…
その瞬間瞬間の心のままを大切にできて、揺るぎなき心なのです。

その為に、出来るなら、その心の原因となった縁起に対し、無条件に「感謝」していると、少しずつ揺るぎの無い、変化に強い心になるでしょう。
様々な感情に対し、焦ることなく、最善の答えを導き出せるでしょう。
人間らしく生きている証として…心は常に揺れているのですから。

その心の拠り所とは、己の中にあるのです。
そして、自分自身に感謝するのを苦手とする私達には、佛様に感謝することを許されています。自分に感謝できなくても、佛様には感謝し易い環境があるのですから…

自らの心の代わりに、佛様への感謝は、当に縁起に対する感謝です。

残念ながら即効性はないので、無駄なことだと思われるかもしれませんが、その積み重ねこそ、善き縁起に恵まれます。
れが佛のご慈悲を賜ることに繋がります。
その結果として、自らの中に、柔らかく安らかながらにも強靭な、心の拠り所が出来るのだと考えて頂ければ幸いです。

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託


出雲大社のイズモの語源は諸説ある様ですが、その1つに【雲に隠れた月か出る】、又は【月が蜘蛛に見え隠れする】、と言うのがあります。

私達の実生活の中で、人の善悪もまたこれと同じ。
善い行いをしたかと思えば、黒い心(煩悩)も顔を出すのが人間らしいのです。

例えば…
悪い行いや他人を妬む心、怠慢な日々等、過ぎた日を思い出せば、自分が辛くなることが何気に多いこと…(私などそれの山積みw)

これを「後悔」といいますが、実は過去には戻れないのに悔やむのです。

そしてこの修復不可能な心の痛みは、どんなに平穏に暮らしていても、ふとしたきっかけで見え隠れします(一種のトラウマ)。
過去に苦しむとは、そういうことです。

しかし考え方を少し変えてみれば…
満月であれ、三日月であれ、雲一つない夜空にその姿を見せると、何となく見飽きてしまうものです。

流れる雲、月に掛かる雲、時にそれを隠す雲があればこそ、色気のある夜空なのです。
当にあるがまま…月を遮る雲在りきで
侘び寂びなのです。

人生も同じ、人生とは言わず今日も明日も、そして戻れる過去も…

悔やんで前に進めない、今を認められない苦しみよりは、人生を風情として考える心を持ちましょう。

良い事も、悪いことも、切ないことも、苦しいことも、辛いことも全部あります。
そしてそれらは全て、直ぐに壊れ去るのです。

悩む前に、喜怒哀楽に一喜一憂せず、これもまた人生、それもまた人生と

笑顔も泣き顔も時に見え隠れして、人は強い心を身につけていきます。

佛は申されるのです。
今出来る事を一つ、無理せずにやりなさい、と。

風に流され、あなたを隠す雲もまた、佛の縁起なのです。

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

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