月別アーカイブ / 2019年08月

アメノミナカヌシノカミ と読みます。神道では最初に出てくる神様として、その名を刻みます。
北極星を表す神様の名前で、中国では妙見菩薩として拝み奉られ、日本に伝来しています。

妙見とは「優れた視力」を意味する言葉であり、日本では「妙見さん」と呼ばれ親しまれてきました。

菩薩と名前には付いていますが、実は天の神様的な由来がある為、普通言われる菩薩様より格が上です。

依って日本では、この世界の想像した主神の一人として信仰されています。

あまり難しく話すと飽きられてしまうので、かなり割愛させて頂きますが、

この世の始まり(即ちビックバーン)を表す神様は三神おられ、そのどの神様も姿無き、光と意思のみとされています。

と、言うことで‥妙見さんも姿無き光と意思だけの仏様なのです。

何事にも囚われず、優れた視力でこの世を創造し、今も目を光らせている‥

怒らせると怖そうな菩薩様ですね。

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

自らの力や能力、即ち努力又は才能を信じることは大切です。

そしてその良好な結果の積み重ねが、更なる自信と【過信】を生んでしまいます。

これがいけませんね!
せっかく積上げてきたものが、過度なる自信が原因で、崩れてしまうのです。

満ち溢れた自身は、時に怠慢さを誘発させ、注意や準備を怠る原因となります。

無常に故に、己は秒単位で、様々な縁起に依り変わるのです。

積上げてきた結果や成果も、実は無常の中に存在するのです。
ましてや他者からの自分に対する評価や期待もまた、無常なのです。

自信がない者は、その周りから良く思われることはないと思います。
ましてや、自信のない人は自分の意見も素直に言えなくなる傾向があります。
「どうせ何をやっても駄目だから‥」等と、投槍に考えがちです。

そうです、それでいいのです!
己に対する不安や不満は投げてしまえば善いのです。
助走を付け、思いっきり投げましょう。

所詮私達は無常の掟からは逃げられないのなら、上手く行くもいかないのも、時の運(佛の意思)なのです。
そう明らめて、苦から、負の連鎖から1歩ずつ逸脱する事が大切なのです。

自信のない自分を愛しましょう、認めるのです。
愛し切れず、認め切れないからこそ、更に深い闇へと心は誘われていくのです。

自信のない自分だからこそ、のんびりと学び、修行すれば善いのです。

小さな努力の積み重ねは、何れ成仏へと道へと繋がるのですから‥

「頑張るな自分」こそ、何れ大きな自信へと繋がるのだと信じて下さい。

南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

私達は宗教に拘らず、言葉を大切にしています。
その影響力は大変強く、時に‥
他人を喜ばせ、傷付け、悩ませ、迷わせ、
怒りを招く原因になります。

同じ言葉なのに、それを発する人により、信憑性はかわり、重みも違います。
(宗教なら尚の事)

では大変厄介な言葉とほ、何を以てこの文字になったのかを考えてみます。

言葉の「こと」は【事】から来ています。
【事】は事実、真実を表す文字なので、口から出る「ことば」に、その意味を持たせるには無理があることから、軽さを付け加える「葉」を添えて、言葉としたようです。

事場(真実の出来事)ではなく、少し軽く受け止められる言葉を用いることで、私達が発する事実や真実から[肩の力を抜く]こととしたのです。

それ故に、言葉には様々な弊害を生む要素となってしまうのです。

これから考えると、宗教を語る者の言葉は、あくまでも慎重に発しなければなりません。

常に相手を思いやる慈悲や慈愛を込めて伝えなければならないのが「教え」ならば尚更です。

お釈迦様の言葉には、この2つの要素に満ち溢れています。


南無阿弥陀佛 観自在菩薩 合掌 拝託

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