月別アーカイブ / 2019年06月

信仰上、私の頭は坊主刈りです。
1000円か1550円で仕上ります。
月に2回行きます。
少し伸びるだけで寝癖が付いちゃいますからねw

高い(w)方は髭を剃ってくれます。
安い方は切るだけ…

で今日は後者です。
1ミリバリカンなので、床屋さんから帰ると、シャツやタオルがアタマに引っかかり、下手をすれば鞭打になる可能性もあったりしてw

査定、何故お坊さんは頭を丸めるのか…

実は古代インドでは、犯罪者の刑罰の一つに、髪を剃る、と言うのがありました。

即ち出家者は、既に恥も欲もない、を表している姿が『坊主頭』なのです。

現代日本仏教では、何気に髪の毛がフサフサしたお坊さんも居りまして、中にはロン毛の方もいます。

世恩

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これは日本の仏教徒の方々は、まず身につけることのない、お経を唱える時に着る法衣です。
これを着たまま歩きながら今日を唱えたり、悪しき波動を整えたりする時に着ています。

長い数珠は108個の数珠玉で出来ています。
日本式で言うなら、この数珠が袈裟に当たると思います。

この数珠玉を指先で回しながら
『南無阿弥陀佛 観世音菩薩』と念じますから、一周すると108回念じた事になり、私の日課でもあります。

また、この数珠に悪しき波動や迷いの波動を移し、供養するものとも言われています。

日本に多く見られる派手な法衣ではありませんが、私はこのシンプルさが好きで利用しています。

世恩

「拝託(ぱおとぅお)
と読み

信仰深い中国系(特に台湾)では

神仏にお願いごとをする様を、こう呼んでいます。


拝み、その願いを託す…そう読んで字の如くです。

ここで重要なのは
「託している」
というところにあります。


神仏に願い奉る時、

その結果がどうであれ、一切を託す。

叶えば感謝、叶わずとも感謝
…この心が大切です。


この心は、私達が普段から抱える、

様々な苦から
気持ちよく解放させてくれるヒント
になります。


例えば

対人関係…その相手が自分をどう思うかは、相手に託してしまえばいいのです。

これは恋愛もそうですね。親子関係さえも同じことです。

自分が自分で出来る、可能な限りの努力や誠意をもって接してみる

その後は、相手がどう自分を捉えるかは、相手任せにしておきましょう。

その方があれこれ結果を予測して悩むより、ずっと楽です。


スポーツや学業、会社での成績…これも同じですね。

それなりに、精一杯努力をした成果は、

ある意味、
運否天賦に任せ
悩まないことが大切です。

努力が必ず報われるとは限らない、そう考えたなら気が楽です。


この世は無常…1秒すら同じ状態ではありません。

無常故に、なるようにしかなりません

なるようにしかならないのなら、任せるしかありませんね。

自分の努力と縁起に託して生きてこそ、苦は少しずつ軽減されていきます。

即ち仏様に合掌をし、願い事をお伝えした後は、

佛の御心、即ち佛の法に身を委ね、気楽に身構えて生活する
ことこそが

私達には凡夫としての【善哉】なのです。


南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託

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