月別アーカイブ / 2019年06月

私の知人が10数年振りに我が家を訪れました。
Tさんと言う知人は、ある業種の腕のいい職人さんです。
寡黙で、笑顔の素敵な職人さん…

そんな彼が仕事についてドクターストップされました、とのお話でした。
肝臓を患った様で、肝硬変の初期段階だそうです。
若い頃から、家庭環境に恵まれず、結婚と離婚も若い頃に経験し、子供さんを引取り、頑張っていた彼…

この年な初めに再婚をされて、直後にその相手に先立たれ(やはり肝硬変)、そして奥様方の義両親に、金銭的に裏切られ、その数ヶ月後に、自らも同じ病に冒されるとは…

何かの見えない縁起の連鎖が原因なのでしょうね。
私が怪しげな宗教にでも入っていたら、呪いやら憑依やらと口走るところでしょうが、これも佛のご意志、即ち命の必然的偶然なのでしょう…

彼を救う術はあるのかと、今悩んでいます。彼自身は無宗教な感じですから…
それ以外で、私の過去の経験が活かされるところでお手伝いをしょうと思っています。

勿論陰日向で、彼を救う祈りは捧げたい、と考え折りますが…

南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託

仏教の特徴として、他教と大きく異なることは、信仰に「速効性がない」ことです。


仏様に手を合わせ、毎日祈り奉ったとしても、直ぐに何かが変わることはありません。


あくまでも、私達の常識では計りし得ない長い時間の先の、ただ「成仏」が約束されているに過ぎません。



では何故に仏教を信仰する人がいるのでしょう?


答えは人それぞれでしょうが、少なくとも、

今を生きる上で、仏教の教えが心を救ってくださる、と思えるからてはないでしょうか


来世の不安を、少しでも軽減出来る可能性を、仏教の教えから、如何に受け取れるかに尽きます。


お経を何れ程読み込んでも、お金が貯まることはありませ。仕事が上手くいくことなどもありません。


しかし仏教の教えを実践することで、周りの環境(縁起)が、信仰者を救うことはある筈です。



「老苦」は人間の本質であり、宇宙のルール(法)であります。


年老いていくことは、確かに不安を募らせる要因です。

しかし避けられない(老化へのスピードは和らげることは出来ても)衆生の定めてす。


私は当に、この老苦を実感しています。

しかし私は、この老苦を楽しんでいます。

楽しめる様に考えている、とでも言いましょうか…



年老いて初めて見える景色を、楽しみながら日々を過ごしています。



例えば子の成長は当にそれです。この手に抱いていた子供が大人になる…その月日はそのまま老いる月日でもあります。


しかしこの老いていく課程に、子供の様々な出来事や思い出が詰まっています。

この成長を振り返った時、当に親としての幸せが老苦を善きものへと変えてくれます。



歳を重ねて見える景色は、若かりし頃の私が見た色彩と違います。


歳を重ねた心は、穏やかになり、様々な事へ「許し」を与える余裕が出てきます。


体力的な疲れは、若い頃とは比べることが出来ないほど蓄積します。勿論回復も遅くなります。 


しかしその分だけ、「休む」勇気を与えてくれます。休むからこそ見える、感じる「何か」が自分を癒してくれるのです。



歳を重ねることは「苦」ではなく、人生の楽しみの課程にある変化です。

そう考えるだけで、無理をしないことを覚え、緩やかな時の流れを楽しめるのです。



南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託

正覚とは「八正道」の一つであり、『正しき経(みち)に目覚める』と言うことです。


成仏迄の、

気の遠くなる輪廻を旅する都度に、

煩悩を軽減しつつ、

少しずつ、佛の教えを身に、

それを実践しながら、

その時その時の寿命を全うする事を表します。 


そして佛の教え、即ち宇宙の法に生きるとは、

全ての存在(私達の世界では衆生を指しますが…)は、

誕生と消滅の繰り返しのみが完全なるルールであり、

それ以外は因縁による事象に過ぎない、とした中で、

私達は自らの認識で、苦楽を感情として迷うものなのです。


正覚とは、この一点に尽きます。

それ以外の理論、理屈は、詭弁でしかありません。


唯一無二の真理(宇宙の法)に準じて、私達があるのです。

避けたくても避けることのできない真理故に、今を生きる心の蟠りも、

実は認識が作り出す幻影だと、佛は申されたのです。


私達の命に恵みをもたらす太陽にも寿命はありたす。

私達に与えられた寿命など、太陽の寿命からすれば瞬きにも及びません。


その様な刹那な時間に、私達は菩薩としての行を積まなければならないのです。


全ての喜怒哀楽は、僅かな時間の中で効率よく菩薩行を行うための種なのです。


この瞬間に喜びや苦しみ、悩みがあるからこそ、心は昇華しています。


穢れた言葉や行動は、自意識をもって軽減させて下さい。 

そしてその積み重ねの先に成仏があり、その道程にある道標が【正覚】なのです。



南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託

 

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