月別アーカイブ / 2019年05月

例の池袋暴走事故の一報を見て…

免許取り消し処分になった、と…

二人も亡くなったのだから当然です。

何故そんな事をイチイチ報道するのか?

それ以前に逮捕されないのは何故?

あれから数件、車の事故で、様々な人が亡くなり傷ついていますよ。

運転手は当然の如く逮捕されてるのに…

理解出来ないなぁ…私なら即逮捕されるでしょうに…

これって差別そのものではないのか?

マスコミも触らぬ神に祟りなし、ってことなんだろうか?

亡くなった母娘の命を分別してるってことですよね?

私だけ納得してないのか…

今日は、そこそこ大きな病院に来ています。
多くの患者さんや検査に来院されている方々を見ますと、数年前を思い出します。

数年前、私は左足の脛を骨折して手術を受けました(完治まで1年半)。

退院後は、自由に歩けない自分に、かなりの苛立ちを覚えました。

歩けないのだから「仕方が無い」、そう諦めれば良いのですが、なかなかそうはいかず、トイレや風呂に入る時、かなり焦りながら自分の足を呪ったものです。

人間関係しかり、病や怪我もしかり、自分に不自由さを感じると、うまく付き合えませんね!?

現実を素直に受け止めて、こんな時だから、あんな人だから、と自分から悩まずにいる事は実に大切です。

病や怪我、苦手な人を実は必要以上に否定するから、心は荒むのです。

心や身体に、絶対的な健康なとありません。何時でもウイルスや気の緩み、不意に訪れる怪我は、生きている限り常に身の周りにあります。

自分の都合に合わせて、それらは待ってくれないのです。

もし、病や怪我…対人関係に、微妙な変化を感じたなら、そのままの自分として、日々を過ごすことが大切です。

病や怪我を楽しむことは難しいのですが、その時にできる事をしながら、回復するのを気長に待つしかありません。悲壮感に包まれては、心まで傷ついてしまうのです。

心の病(と言われること)になったなら、その原因を明らかにして、心の休息が取れるまで、人生を休んでしまいましょう。

私は足が完治するまで、経典を訳したりして過ごしていました。
磯な示唆にかまけて、佛の教えを学ぶ時間を失っていた私に、足の骨折は有り余る時間を届けてくれたのです。

勿論、家族の優しさや友の大切さも、改めて認識できました。

実に有り難い仏縁を頂いたと、今は感謝しています(痛かったけどw)

世恩

首都高速 大黒パーキングに寄りました。
トイレで用を済ませ、さて帰ろうかと思って何気に見たら
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この派手な自販機コーナーに驚きw

上海の街中にみる派手さ!
さすが横浜大黒🅿

中国人の好みを全面に押し出してますw

飲み物を買うのに目眩しそうでした!

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