観音菩薩は女性的お顔をされているので、どことなく慈愛を含む、女性的信仰も多いのですが、実は男性であります。
お釈迦様のご出家前のお姿がイメージされている様で、衣服も装飾品も王子様そのもの!
即ち菩薩行の間は、煩悩ありきの姿として表されているのです。
然しながら、阿弥陀の仏国土の番頭(2番目の地位)であり、何時でも成仏出来るにも拘わらず、色々な体験をしてみたい、と言うことで、時に娑婆に現れては、様々なお姿になり、私達を救済してくださる、何とも冒険好きな男子であられるのです。
同じ様に「天照大御神」も古事記による所では、女性神として表現されていますが、どうやら男性神であられる様です。
天照大御神は太陽の象徴である事から、命を育むその効力をもって、命の母=女性として崇められている様です。
古代日本では男尊女卑であり、男性=陽、女性=陰とされておりましたので、それを基本に考えると天照大御神は男子系神の可能性は強くあります。
天照は海照(渡来文明を神として表現したので)とする意味がある、とする意見もあり、命の源である海を照らすもの、即ち女性を照らす男性、と解釈しても良い気もします。
また邪馬台国の卑弥呼を称えて、天照大御神とした、と言うご意見もあり、
確かに卑弥呼の語源は日の巫女ではないかと考察すれば、天照大御神との関連も繋がり、卑弥呼=女性→天照大御神=女性、の図式も成り立ちます。
しかし観音様に於いては、変化をするとされている為、時に男性らしく、時に女性の為に人をお救いになられるので、非常に微妙な表情でお姿が描かれています。
正に中道のお姿なのです。
迷いを無くされたお姿です。
可もなく不可もなく…美もなければ醜もなく…
男でもなく女でなく…
全てに分別・差別なく立ち振る舞われるのです。
私は観音信仰の一人です。
どの仏様よりも観音様が大好きです。
守本尊は千手観音です。
知らぬ土地に行くと、観音様を探すほどです。
また偶然に立ち寄った所にも、何故か観音様の仏像があったりもします。
もし観音様が女性であったなら、男子の私としては極めて心トキメクことでしょう…煩悩
南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託