私が思うにはですね…心が本当に強い人とは、
自分の弱さを知ってる人であり、不安を抱えてる人であり、その上で他者と自分を比べることのない人だと考えます。
如何なる宗教の教えであろうとも、日々の生活から眺めれば、実に非現実的なところは多く、
仏教に限れば、ただ将来(それも人間には実感できない遠い将来)に成仏を約束しているのみであり、
実生活に於いては、只煩悩の軽減を手助けしているに過ぎず。
帰依するほど深みに填まらなければ(笑)、
疑うことなく菩薩行を歩むことは出来ません。
私でしら、様々なご縁(奇跡と偶然)を頂いて、初めて今があるのです。
それは私が何かに対して凄いのではなく、たた業が深い(悪行)だけであって、
普通に暮らす方々には、経験もされなければ実感も湧かない話ばかりが宗教論であります。
でも、でもですよ!?
何時もどこかに不安がある、何かに怯える、何かに躓く、他とは違う…等を考えていらっしゃる人の方が、
常に万が一地に備え、心の準備や行動の抑制、他者への配慮を兼ね備えていらっしゃる分、
何に対しても強い心の持ち主なのだと思うのです。
日々、私達を襲うトラブルは避けたくても避けれるものではありません(縁起故に)し、更に予期せぬ出来事には、常に自分に奢りのある…私は強い人間…と自慢される方であればあるほど、いざといったたいしょが出来ないものです。
もし仏教に帰依する者が、
「あなたは仏教で救われます」と言い切るのであれば、それは気の遠くなる未来の話。
今を生きる私達を救うことが出来るのは、
心を常に大切にしているのかも人の経験やお話であり、それを聞く者が、
いかにそれを自分の中に生かすかに掛かるのです。
佛様の尊い教えは、宇宙の真理を説くに止まり、私達はそれを学ぶことで、自らの煩悩を軽減する努力を、命の連鎖の中で、僅かでも善い結果になることを祈るしかありません。
一般的に「弱い心の人」こそ、今の時代を生きる猛者なのです。
世恩
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