宇宙に存在する「ダークマダー」をご存じですか?


宇宙に存在する、全ての物質の中に於いて、ずば抜けた質量を持ち、

光を発せず、未だその正体を解明されていない(推測はされてはいるが…)、

宇宙全体の3割を占める不思議な物体。


私達を構成する、宇宙最小の物質「素粒子」の1種でありながらも、やたらと重い素粒子だそうです。


光を発しないのだこら当に【闇】…

しかし、この闇の不可思議な力で、銀河はバランスを保ち、

銀河同士の結び付き(銀河団)を構成しているので、

闇の存在を頭ごなしに否定は出来ない、という事実であります。



さて私達の心にも陰陽は存在します。

得に『心の闇』と単語で表されると、何とも厭な気分になるのは私だけではないと思います。


笑顔の下に隠された心の闇…

優しさの裏側に秘められた心の闇… 

過去のトラウマ…

異常な迄の欲望…

心の闇は色々とあります。


果たしてダークマダーの様に、この光を否定する心は、私達に必要なのでしょうか?


実に微妙な判断です。

光と闇は共存出来るのでしょうか?


この答えを求めた時、如何なる宗教であろうと、それに携わる者からは、言い切れるほど、否定されるだろうと考えます。


光と影…

神と悪魔…

天津と黄泉…

佛と魔羅、当に対比する存在として否定されています。


そしてそれ故に、幸不幸の原因の様に語られるのです。


しかし私達は宇宙の欠片的存在。そしてこの命も宇宙の産物。


仏教徒の私からするなら、佛とは宇宙意志であり、その意志の一部にダークマダーがあるなら、闇も必要悪と考えて然りです。


もし宗教的理論の中(教義)に、正しき姿しか語られなければ、「正」は疑問の対象となるばかりでしょう。


闇をどう表現するかは、その語り部の感性に任せるとして、

人の心に、僅かでも光や温もりを届けたいのであれば、心の闇は、実に必要な存在として語らなければならないのです。


そして私達は、自らが抱える心の闇があればこそ、

自らを鼓舞し、そこから抜け出す様々な知識を学び、

他者に救われ、その感謝として、他者を思いやる心が生まれるのです。


そう闇ありきて、光は差して来るのです。



南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌(拝託)