お知らせ

池袋の事故で若い母親と幼子が亡くなられました…

運転していた方も重症とかで、回復後に逮捕するかしないかを検討すると警察談

(; ・`ω・´) ナ、ナンダッテー!! (`・ω´・ ;)

近ごろ、高齢者の運転ミスによる事故は多く見られます。

日々車に乗られておられる方なら、一度は高齢者の無謀運転を目の当たりにした事はある筈です。

私も高齢者へ近付く年齢なので、家族には70歳で免許の返納を宣言しています。

事故の原因は様々あるのでしょう…でも大半は運転する者の過信です。

過信は執着(煩悩)そのものです。
足腰が弱ってきたから車を使う…他者への迷惑など考えていない証ですね。

老い先長く無いのであれば、たとえ垢の他人と言えども、他者の幸せを願いながら、寿命を全うして欲しいものですが…

池袋の事故が、どう集結するかは分かりませんが、例え当事者がどれ程の有名じであれ、日本に貢献した人であれ、人命を奪った責任は、その人なりに償って欲しいものです。

残された父親の会見を昨日拝見させて頂きましたが、あの悲しみから救うことは、如何なる宗教でも無理でしよう…

何故なら私達は未完成な心を抱いている凡夫なのですから。

事故に巻き込まれたと二人の、ご冥福を切に願うばかりです。

南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌 拝託

この世に生きとし生けるものは
皆、幸せで在りたいと願うものです。

他人の幸せを恨んだり、邪魔する者は
自分が気付かぬうちに、誰かに恨まれ、
自らの願いや想いが、不思議と上手くいかないことになります。

自分に対する見返りがあろうとなかろうと、誰かの幸せを願う、喜ぶ者には、自然と見えないラッキーアイテムが増えていくものです。

他人を気遣えぬ者には、負の連鎖が…いいえ、負の鎖に繋がれ、抜け出すことが出来ないのも、不可思議な結果です。

一般的には「因果…」と陰口を言われるのがオチでしょう。
ここでいう「因」は他者に対する気持ちや態度であり、「果」は友情や愛情、信頼を失った様を指しています。

しかし、自分でも気付かぬ悪態なのですから、本人ではどうすることも出来ませんね。

もしこんな人に出会したなら、救いたいとか、なんとかしてあげたい等と考えず、その人のありのままを受け入れ、なすがままに受け応えするしかありません…誰かの意見を聞いて、先入観を持たず、差別(しゃべつ)せず、本人の態度など気にすることなく、接する忍耐力をもって接して上げるしかありません。

あぁ、この人はこうなんだ…と気にすることを早く捨て、こんなもんだろう…と無理することなく付き合って上げるのとで、接してくれてる人の慈しみの心によつて救われるのです。

実は私も分かち頃に、そう私に接してくれた多くの方々に救われ、今は佛様に帰依している一人なのです。


南無阿弥陀佛 観世音菩薩 合掌(拝託)

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