今日はしし座流星群がよく見えるそうで。
私はこの流星群の名前を見るたびに、
2001年のしし座流星群のことを思い出します。
忘れもしない、
1時間に2800〜3000個もの流星が観測され
東京でも5分間に30個以上も流れ星を見ることができた
文字通り、星が降る夜のこと。
6人で近所の公園に観に行った。
レジャーシートを敷いて、寝転んで
寒いから、あったかい紅茶を水筒にいれて。
深夜にもかかわらず、
カップルや家族が結構あつまっていて。
流れ星が流れるたびに、
みんなが感嘆の声をあげて。
深夜まで私達のために働いてくれたいた父親と
母親のピッチから電話を繋いで
「今のみた?」
「同じ流れ星かなぁ」
なんて会話をしたのを覚えている。
しばらく天体観測をして
もうちょっとしたら帰ろうか、という時に
流星というよりは隕石といった方が近い
蒼くて大きな流れ星が、
スーーーーーブヮァン!
という音をともなって流れて行ったのを観た。
公園にいた誰もが、その日1番
大きな「わぁー!」という声をあげていた。
後にも先にも、流れ星の音を聞いたのは
その時だけ。
今思い出しても泣きそうになる。
どんなに綺麗でも、
とっておくことはできないこと。
すごく輝いているのに、
一瞬で燃え尽きてしまうこと。
明日になれば、もうこんな
星が降る空なんて見れなくなってしまうこと。
そして明日以降も見れる、星座や星達も
あまりに遠すぎて
ここからは見つめるしかできないこと。
流れ星とか、惑星とか、星空みるたびに
神様とか幽霊とかの
切なさみたいなこと考える。
確かにそこにいても、
誰にも見られなければ、記録に残らなければ
科学で証明できなければ
無いものとされてしまう。
誰も見てなくても、
記録に残っていなくても、
科学で証明できなくても、
あるものも、ある。
だから私は誰かが
「昨日、すごく綺麗な流れ星をみた」
という話を
「良かったね」
と信じるくらいの素直で
イエス様が示した
「天なる父」
「父なる神」や、
その話を信じたいなぁ
と思うんだ。
エル・カンターレも
エル・カンターレが説く
「愛」や、
その話を信じたいなぁ
と思うんだ。
誰かがそうやって、不確かで
でも最も大切なものを
科学しようとしてきてくれたからこそ
今日も、この星がこの星としてあると思うんだ。
ではまた。
🎬セカンドランスタート🏃♀️✨
映画「夜明けを信じて。」公式サイト
ではまた明日。
毎週日曜よる20:00〜 ラジオ大阪
「千眼美子の飛んでけ!SOUND WAVE」
お便りもお待ちしております📩
インスタフォローもよろしくお願いします‼️