どんな、きっかけが?とかそういうことは
言いたいけど言うべき日まで秘密にします。



じゃあ何でやったんですか、
じゃあ何で続けたんですかとか。

そういう思いでやって欲しくなかったとか。


まぁツイッターは文字数が限られていて
どうしても埋まっちゃう部分があるので
分かってもらおう、とかいちいち
思ってないんですけど。



疑問に対する答えがあるとすれば、
人、のことが好きだったから、ていうのが1つ。
それと同時に、
目に見えない神様のことも好きだったから。
この2つしかないです。



お芝居は私にとっては果てしなく身を削り
最後は自分がいなくなるまで削るような
苦しいことでしかなかったので
大好き!楽しい!なんか言えないなぁって
思ってました。

毎回、毎回、新しいトラウマを抱えていくような
そんな気持ちでした。


撮影が楽しいのと、
お芝居が楽しいのは、
全然違うから。

お仕事が大好きなのと、
お芝居が大好きなのは、
全然違うから。


数えきれないスタッフさん。
数えきれない共演者の方々。


苦手な人も、やり方が合わない人も、
失礼な人も、怖い人も生きてりゃ沢山会うけど

見たことなくても、
みんな寝顔だけはきっと同じで
あどけなくて、神様から見たら
可愛いんだろうな、と想像したら

なんか嫌いになんかなれなくて
そんな人のご機嫌が良かった日に
一度でも笑ってお疲れ様、とか言ってくれたら
それを大事にしよう、と思った。




気の合う人も、自分と似ている人も、
素敵な人も、優しい人も生きてりゃ出会えるけど

それが当たり前じゃなくて
すぐ、忘れちゃったとしても
人生3万日の何分かの一を共にできることは
それ自体が喜ばしいことで
それには、だれかれ職業年齢性別関係なく
わたし以外はあなたでって関係しかなくて。

嫌いな人も好きになって
好きな人ももっと好きになって
好きってこと自体が
こんなに嬉しくてってなったら
もう嬉しいを返したい、としかならなくて
そしたら私が気付けた分はせめても
誰かの願いに貢献したいなぁって思ったから

それでなんか辛くても繋いで来れたんですね。



目に見えない神様だけど
神様だから
きっと人も地球も出会いもぜーんぶ見てて
なんかそれだけでありがとうってなって
もうそうしたら同じで返したい、ってなるから。

それで生きなきゃ、って
自殺せずに、やって来れたんですね。





でもね、人への好きと、ずっと一緒、は
たまに噛み合わない。


嬉しいにも種類があって、
それぞれが嬉しいと感じるものは
人生を歩んでいるうちに違くなってくる。


こっちに自分の幸せがあるなぁーって
思った方に辛酸なめながらも進んでいる
それが、
人が今日それぞれの人生を
選択して生きてるプロセスだと思うのだけれど。



どんなに好きでも、
その人が嬉しいと思ったことに
完全にかなう自分になってしまったら
私はもう壊れてしまう


お芝居とは別のところで
こんな問題も生じていたわけで。

そしたら
人が好き、だからお芝居も死ぬほど頑張れる
自分を支えていた
その理由が通らなくなってきた。


何で頑張って生きなきゃいけないんだ?
使いものにならなくなったら
捨てられて終わるだろうに。
意向に沿わなければ
干されて終わるだろうに。


心の中がだいぶ血生臭くなってきた。
それ自体に耐えられなくなってきた。


何かの"意向"ってさ。
善なるものであると自分でも思えるのなら
無理なく、ガンガン沿えるのね。

でもその中に濁ったものを見ちゃったら
もう、心は死んで行くしかないと思うの。
ついていけないや、やめようって思った時に
やめれないって状況にあって。

じゃあ死のう、と。思った。
もう死ななきゃ断ち切れないや。と思った。





まぁ、今は今でこそ
極端だなーって思うんだけど
病んでる時って
極端なことしか考えられないからね。



「もし、あの日に帰れたのなら
違う選択をしている?」

って聞かれて。
その人、
めちゃくちゃ迷惑かけちゃった人なんだけど。


「それはないです。
時間を戻せても同じ選択をしてると思います。」

って言ったのね。
そしたら少しだけ驚いていた。

そりゃそうだよな、って思った。


「今でも本当に取り返しがつかなくて、
申し訳ないと思っています。
本当にすみませんでした。」って言ったあとに

同じ選択をしてると思う、って答えたら


反省してへんやないかい!ってなるし。


でも同じ選択をしていなければ
間違いなく私はここにいなくて
ご飯をつつきながら
あの日に戻れたら、なんて質問に答えることも
本当にすみませんでした、とも伝えられず
ユーレイになってたと思う。



全く綺麗な話にするつもりないんですけど。
自分で最初の方に言ったみたいに、
人生三万日の何分の一を分け合ったのに
私は逃げたから。
自分の命をとったから。


それをいけないことだと思っている人が
私をくそやろう!って思ってるのだと思うし。
それは全然、間違いじゃないので。
仕事を一生懸命やってる人ほど
死ぬ気でやる、それが仕事だ!って気概で
いらっしゃると思うので。
ほんと、全然間違ってないです。



私があとちょっと強かったら。

ずーっと言ってました。
ずっとずっとずっと思ってました。

逃れても、逃れられる責任なんて
ないと思ってます。
生きてる間に果たせるだろうか、
その意味や重さが最近、より一層
わかってきた気がします。



でも、お芝居は責任だけでやるものではなく
好きと言えるか、ってことが
とってもとっても大事なんだなと思いました。

語れるほど、自分のこと上手いと思ったことも
全然ないんですけど。


ただ、繋がったふり、じゃなくて
相手と繋がれるか、

自分以外の誰かを演じながら
それを私として繋がれるか。


それがいかに稀有なことで
嬉しくて楽しいことかを実感したのと、

その稀有な瞬間のために、
恥ずかしかったり情けなかったり
辛かったり悲しかったりするんだ、ってことが
頭じゃなくて心で分かったの。


そこに"何か"があるのを知っていて
みんなで目指す。
それが切り取られて広がる時に、
人の心を動かす。
誰かの人生にコンタクトする。

映画ひとつ、ドラマひとつ、舞台ひとつ、
全員が全員かけては出来ない"何か"。

それをみんなで追いかけてる。
追いかけている時間そのものがまぶしい。


黒のオセロが綺麗にひっくり返って
白にパラパラパラ〜って変わっていくような
そんな音がした。


そんな今ね、
もう挫けない、って自信を持って言えるし
もう逃げない、戦える、ボロボロになる、
それでもやり抜く、って自信を持って言えるの。

ロッキーバルボア、ロックン・ロールなの。

お芝居をいつかはやめよう、って
頭の片隅にあった。
それすら崩れはじめてる。


一生終わらない挑戦がここにある。
上手くなんて一生ならない。
これでいいなんて一生ならない。

どの職業もきっとそうで、
私は今それを生業にしようとしている。


できなくたって、責めすぎない。
下手くそだって、受け入れたい。

繋がった、と思っても
もう一段深い繋がりがある。
そのこと忘れずに

ただただ、誰かと繋がれる瞬間を求めて。
その物語が生んだ感動が
誰かの強さや優しさに繋がれる瞬間を求めて。

それでお芝居する。


どうせ死ぬ気で追いかけるのなら、
善なる方向でありますように。


どうか全ての役者さんが、
良き物語、良き役に恵まれますように。
そして素敵な物語が、広がりますように。
見てくれた人の心が明るくなりますように。



願わくば、現実世界で、私自身も
いろんな人とコンタクトしたい。
それ自体が喜ばしくて希なことだから。


芸能はじめて、10年。
やっとお芝居のこと、好きになれました。
清水富美加のことも、大好きです。
今日の千眼美子のことも、大好きです。

失敗したり、恥ずかしかったり、涙したい。
ごりごり戦いたい。
そして最後には必ず乗り越える。



ありがとうございます。


いつも比喩が多くてごめんね。


ではまた。


ps.とかいって今日は休んじゃった!
すみません明日から頑張ります〜。